私の場合、80年代の音楽体験談は、ほぼ自身の就職〜駆出し社会人時代を語ることと重なります。1978年4月に株式会社渡辺プロダクションに入社、系列の渡辺音楽出版株式会社に配属され、原盤制作ディレクターとして、音楽制作に携わっていくことになります。まずは80年代に入る少し前から始めてもよいでしょうか。
1978年4月4日は、あの ”キャンディーズ” が後楽園球場で解散コンサート「ファイナルカーニバル」を行った日ですが、奇しくもそれは、渡辺プロの新入社員研修の真っ最中でありました。
大学ではロックバンドでドラムに熱中し、「学部は?」と訊かれると「軽音楽部です!」と応えていたくらい、全く勉強をしなかった私なので、内申は悪く、推薦も受けられず、岩波で広辞苑の編集に携わる夢は藻屑と消え、他の会社も次々と落ち、いつのまにか私の就職戦線は面白半分で受けた渡辺プロを残すのみとなってしまいました。
キャンディーズ、特にランちゃんのファンだった私は、大学に募集案内が来ていた渡辺プロを、友人と話のタネにと受けたのでした。友人は首尾よく希望先のカタギの会社に決まりましたが、私はここを落ちれば就職浪人、受かっても落ちても困ったなと思っていたら、受かってしまいました。「ランちゃんに会えるかも」と頬ゆるみつつ、「人生これでいいのか?」という大きな疑問も横切りましたが、これが運命です。入社しました。
ところがそこに、「普通の女の子に戻りたい!」と突然のキャンディーズ解散宣言。ランちゃんに会えるかもという希望の風船は、シューッと音を立ててしぼんでしまいました。
4月1日の入社とともに、私たちは新入社員研修合宿に入りました。渡辺プロの新入社員研修は代々、禅寺で行われるのでした。その時は埼玉県蕨市の寺院。夜明け前に起きての庭掃除から始まり、座禅はむろん、食事も禅宗の作法通りに行いながら、音楽業界や仕事について学ぶのです。4泊5日だったと思います。音楽業界甘くはないぞというアピールでしょうか、かなり厳しい合宿でした。
すると、その3日目だったと思いますが… なんと、研修の一環として「ファイナルカーニバル」を観に行く、と告げられたのです。そうだ!その日だった!つらい合宿から一時解放され、歴史的なイベントを観られるうれしさに、私は心の中で小躍りしました。
かくして、なんという運命のいたずらか、今はなき後楽園球場のだいぶ上の方の席でしたが、私はキャンディーズの最後のパフォーマンスを、じかに見届けることになったのでした。
名曲「哀愁のシンフォニー」はサビの「こっちを向いて〜」のところで、(これも今はなき)紙テープを一斉に投げるのがファンのルーティンだったのですが、円い球場ですから、上から見ているとまるで、一瞬、極彩色の花が咲いたようでした。その美しさに見とれながら私は、これから始まる新しい人生に対する大きな不安と少しばかりのやる気で、胸が張り裂けそうになっていたのでした。
2016.12.14
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