1月21日

松田聖子の新たなスタート「チェリーブラッサム」に込められた秘かな決意

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松田聖子、1981年最初のシングル「チェリーブラッサム」


1月のシングルなのになぜ “桜の花=チェリーブラッサム” だったのだろう。
そしてジャケットはなぜ桜色ではなく青かったのだろう。

It was 40 years ago today.
40年前の今日、1981年1月21日、松田聖子の4枚めのシングル「チェリーブラッサム」がリリースされた。当時中3だった僕は発売日に渋谷で購入した。

冒頭に書いたような疑問が頭に浮かんでいた。ジャケットの松田聖子にもソフトフォーカスがかかっていて、アイドルのシングルとしては率直に言って物足りなかった。6年の歴史を数えようとしているリマインダーでも未だ誰も取り上げていなかった「チェリーブラッサム」。なかなか語ることの難しい、でも決して見逃すことは出来ない1曲なのだ。

財津和夫のメロディに馴染めなかった?


「チェリーブラッサム」でまず触れなくてはならないのは、作曲が前年1980年のデビューから3曲を手掛けた小田裕一郎から、チューリップの財津和夫に代わったことだった。ニューミュージック界から初めての起用。デビューから僅か9カ月余りで松田聖子のキャリアは早くも大きく変化し始めた。

この起用は、チューリップが好きで財津の音楽を洗練されていると感じていた名匠、若松宗雄プロデューサーによるものだった。若松プロデューサーは小田のメロディを曲線的、財津のメロディを直線的と分析している。財津のメロディは松田聖子の音楽性に新たな表情をもたらすはずだった。

しかしこの財津メロディに馴染めない人物がいた。他ならぬ松田聖子である。

前年1980年にシングル3枚、アルバム2枚で小田メロディにどっぷりと浸かっていた聖子は、初め財津メロディに違和感を抱き難色まで示したという。若松プロデューサーがこの曲も必ずヒットすると聖子を説得したが歌入れも2日に及んだそうだ。

結果「チェリーブラッサム」はオリコンで4週連続1位に輝き、前シングル「風は秋色 / Eignteen」の5週連続に続くキャリア2位の好成績を残した。若松プロデューサーの有言実行ぶりも流石だが、18歳のアイドル松田聖子が既にしっかり自分の意見をぶつけていたことにも刮目したい。

込められたダブルミーニング、新たなスタートを高らかに歌う


さらにこの曲には驚くエピソードがある。若松プロデューサーは好きなヴィヴァルディの『四季』をイメージして、明るい春に向けて未来が開けていくようなイメージで曲作りを依頼したというのだ。

作詞は1980年から引き続き三浦徳子が担当しているが、歌詞には “桜の花” は出て来ない。よく出てくるのは「何もかもめざめてく 新しい私」。そして「走り出した」船や愛。

そう、この曲は新年を迎えての新たなスタートを高らかに歌った曲だったのだ。そこには新たな作曲家・財津和夫を迎えリスタートする歌手・松田聖子自身の姿も投影されている。言わばダブルミーニング。なかなかアーティスティックな技ではないか。

「チェリーブラッサム」というタイトルは『四季』から来たこともあるだろうが、新春という “春” の花として選ばれたのではないかというのが僕の想像だ。だからジャケットは桜色ではなかったのかもしれない。

ちなみに当初は “チェリーブロッサム” だったのをより英語の発音に近い “ブラッサム” にしたのも若松プロデューサー。理由はこの方が明るい印象で聖子に向いているから。お陰で中3の僕は正しい発音を身につけることが出来たのだった。

まさしくロック! 大村雅朗のアレンジと1981年にリスタートを切る決意


編曲も1980年から引き続き大村雅朗が担当。シングルでは「青い珊瑚礁」以来であった。ドラムのフィルから入りストリングスが印象的なシリアスなイントロからして大村印だ。間奏でも名手・今剛のギターが厚いストリングスと熱く競演。「チェリーブラッサム」は松田聖子のシングルナンバーとしては最もロックしていたのではないだろうか。

大村のギター厚めのロックアレンジはシングルB面の「少しずつ春」でも存分に発揮される。この曲は小田裕一郎の作曲。1980年の松田聖子の流れを汲み、ファンの間では人気の高い佳曲だ。早いものでこれが聖子に提供された小田の最後のシングル曲となった。

「チェリーブラッサム」は非情にも1980年に別れを告げ、1981年にリスタートを切る決意まで込められた曲であった。その姿勢すらも何ともロックではないか。アイドルのファンだった僕等が少しだけ取り残されたように感じたのも無理はなかったかもしれない。それでもきちんとNo.1ヒットという結果を残したし、この飛躍こそが次のシングルであり不朽の名曲「夏の扉」を生んだと言ってよかろう。

最後に、リマインダー主宰・太田秀樹氏の提唱した “80年代のスタートは1981年” 説に僕も膝を打った。となると「チェリーブラッサム」は80年代の幕も開けたのかもしれない。



2021.01.21
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カタリベ
1965年生まれ
宮木宣嗣
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