あけましておめでとうございます。
さて、歌謡曲には、しばしば「元日リリース」の曲があります。有名なところでは、1984年元日リリースの中森明菜「北ウイング」があります。また、私が偏愛する新田恵利「冬のオペラグラス」は1986年元日の発売。
しかし、80年代歌謡曲における、「元日リリース」の代表と言えば、沢田研二「TOKIO」をおいて他にはありません。何といっても、80年代が幕開けた、1980年1月1日に発売されたのですから(「80年代」を「1981年~1990年」でカウントする考え方もあるようですが、ひとまず措きます)。
1979年の大みそかから元日にかけて、民放全チャンネルで放映されたテレビ番組=『ゆく年くる年』で、1980年1月1日のちょうど0時0分、沢田研二は「TOKIO」を歌い出したのです。つまり、日本の80年代は「TOKIO」によって迎え入れられたということになります。
この曲の新しさを、3点でまとめるならば、
(1)パラシュートを背負うという、沢田研二の奇想天外なコスチューム。
(2)自身の独創的なベースを中心とした、後藤次利の大胆なアレンジ。
(3)糸井重里による、荒唐無稽でナンセンスな歌詞。
で、今回注目したいのは(3)です。昨年12月13日にNHK BSプレミアムで放映された『いきものがかり水野良樹の阿久悠をめぐる対話』という番組の、水野良樹と糸井重里の対談の中で、糸井による見事な阿久悠評があったのです。
いわく「時代のニュアンスが入るようになって、啓蒙的になり、阿久悠の歌詞はつまらなくなった」(この対談の内容は『ほぼ日刊イトイ新聞』に掲載されています。下記インフォメーションリンクへ)
そこで糸井重里が例に出したのは、1979年発売の沢田研二「OH! ギャル」です。正直、この曲は確かにヒドい。私の自著『1979年の歌謡曲』(彩流社)でも酷評したものです。そして、そのヒドさは、「これからは女性の時代」という啓蒙的メッセージを、歌謡曲の中に抱えてしまったことにあると、糸井は語っていました。
ということは、70年代から80年代への転換は、阿久悠的「時代を啓蒙してみせるぜ」的作詞から、糸井重里的「荒唐無稽でナンセンス=時代なんて決して語んないよ」的作詞への転換だったと言えるのです。
その転換は、沢田研二というステージの上で行われた。眉間にしわを寄せた阿久悠が下手から退き、ヘラヘラと半笑いの糸井重里が上手からやってくる。そして、それらすべてをまるごと飲み込める沢田研二の、表現者としての豊かな包容力。
実は、その1980年元日をはさむ約半年間、阿久悠は作詞活動を「休筆」しています。
東京人ならではの、ソフィスティケートされた言葉を並べる松本隆と、語感のみを重視して、意味から大胆に解放された言葉を投げつける桑田佳祐の2人が、背中からひたひたと迫ってくる中、「時代なんて決して語んないよ」と、阿久悠の根源価値を揺り動かすかたちで、糸井重里が目の前に立ちはだかった―― 阿久悠は、どんな面持ちで「休筆」期間を過ごしていたのでしょう。
しかし、この話には、私がとても大好きな後日譚があります。松本隆、桑田佳祐、糸井重里が80年代前半を制圧した後、彼らの勢いがふっと止まり、更なる新しい才能であり、更なるナンセンス志向の秋元康が完全ブレイクした1986年。阿久悠は、このような素晴らしい言葉を紡ぎ出すのです。
目立たぬように はしゃがぬように
似合わぬことは無理をせず
人の心を見つめつづける
時代おくれの男になりたい
1986年発売、河島英五「時代おくれ」。この歌詞は、いささか禅問答のようですが、このように説明できます――「時代を語って、時代から疎んじられた阿久悠が、それを逆手に取って、時代の流れを自ら疎んじながら、しかし、そういう男がいてもいい時代だろうと、時代に対してメッセージする歌詞」。
このように、阿久悠をはじめ、様々な人々の人生を巻き込み、大きく変えてしまった沢田研二「TOKIO」は、間違いなく、時代の転換点となった1曲だと思います。
38年前の元日に思いをはせながら―― 今年もよろしくお願いいたします。
平成30年 元旦
歌詞引用:
時代おくれ / 河島英五
2018.01.01
YouTube / 野口靖彦
YouTube / kahkun1959before
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