1975年 12月20日

【追悼:谷村新司】ソロアルバム「海猫」を聴いて驚け!その多彩な音楽性と柔軟な感性

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ザ・ロック・キャンディーズの一員として音楽シーンに登場した谷村新司


谷村新司が日本の音楽史に残した足跡の大きさは言うまでもない。けれど、彼の音楽性の幅広さについてはあまり語られてきていないかもしれないと思う。

谷村新司が最初に音楽シーンに登場したのは1968年のことだった。大阪の大学に進学した谷村は、ザ・ロック・キャンディーズ(以下:ロック・キャンディーズ)という男性2人女性1人の、いわゆるPP&M(ピーター、ポール&マリー)スタイルのフォークグループを結成、神戸の学生フォークサークル、“ポート・ジュビリー” を拠点に活動していた。

当時、ザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」(1967年)を発売して大ヒットさせていた東芝レコードを中心に学生フォークグループをデビューさせる動きが盛んで、ザ・リガニーズ「海は恋してる」、フォーセインツ「小さな日記」など、それまでアマチュアだった学生フォークグループがヒット曲を連発し、いわゆるカレッジフォークブームが盛り上がっていた。

関西を中心に人気が高かったロック・キャンディーズも同じ1968年に「どこかに幸せが」でレコードデビューした。ちなみにこの曲の作曲は谷村新司だが、作詞は当時テレビの人気司会者だった栗原玲児が手掛けていた。翌1969年のシングル「あなたの世界」は作詞・作曲ともに谷村新司が書き下している。

ロック・キャンディーズはアリスと同じ3人編成ではあるけれど、典型的な男女混合のフォークグループで、谷村新司の曲や演奏もまさに典型的なカレッジフォークという感じで、とくに強烈な個性を感じさせるものではなかった。



アメリカを横断旅行して演奏するというツアー、“ヤング・ジャパン” に参加


ロック・キャンディーズ時代の谷村新司のキャリアで特筆すべきことは、1970年の大阪万博のイベントに出場したことをきかけに、この年に行われた日本のフォークミュージシャンたちにがアメリカを横断旅行して演奏するというツアー『ヤングジャパン』に参加したことだろう。

加藤和彦、北山修らも参加したこのツアーの実態はなかなか悲惨なものだったようだが、ブラウンライスというバンドのドラマーとして、このツアーに参加していた矢沢透と出逢い、意気投合する機会でもあった。さらに、このツアーの機会に谷村新司は、ジャニス・ジョプリンやレッド・ツェッペリンのステージを見て刺激を受けたという。

1972年アリス結成、「走っておいで恋人よ」でレコードデビュー


帰国後、谷村新司はロック・キャンディーズを解散し、ポート・ジュビリーのフォークソング仲間だった堀内孝雄とアリスを結成し、1972年にシングル「走っておいで恋人よ」でレコードデビュー。間もなく矢沢透も合流し、2本のアコースティックギターとパーカッションというアリスとしての骨格が完成する。

アリスがデビューした時期は、ちょうど日本でもフォークがブームとなっていた。しかし、その中でアリスにはなかなか脚光が当たらなかった。「走っておいで恋人よ」などの初期の曲を聴くと、その後のアリスらしさをつくり出すパワフルな個性はまだあまり感じられない。どこかおとなしいその楽曲は、逆に当時のブームの中で埋もれてしまっていたのかもしれないとも思う。実際、谷村新司らのオリジナル曲だけでなく、都倉俊一らの楽曲を歌っていた時期もあった。

そんなもどかしさを打ち破ったのが「今はもうだれも」(1975年)だった。この曲はオリジナルではなく、ウッディ・ウーというグループが1969年に出したシングルのカバーだけれど、谷村新司、堀内孝雄という2人のボーカリストのテンションがストレートに伝わるテイクがリスナーの心をキャッチして、アリスとして初めてのヒット曲となった。



注目したいのは、このシングルでは矢沢透がアレンジをしていること。けっして打楽器がクローズアップされたサウンドではないけれど、サウンド全体にどこかリズミックなノリが感じられるのだ。

「今はもうだれも」をきっかけに注目度を高めたアリス


「今はもうだれも」をきっかけに注目度を高めたアリスは「冬の稲妻」(1977年)、「チャンピオン」(1978年)など、より迫力あるビートを感じさせる曲を大ヒットさせていく。2人のボーカリストのパワフルな歌唱をダイナミックにドライブさせていくサウンド。そんな男っぽい迫力がアリスらしさとして認知されていく。

この時期のアリスは、どうしても谷村新司と堀内孝雄のコンビネーションに目が向いてしまうけれど、実はアリスらしい音楽の表現に置いては矢沢透がつくり出すビート感の存在がきわめて重要だったと思う。



谷村新司が矢沢透とアリスを作ろうと思ったのは、ウッドストック・フェスティバルにも出演したアメリカの黒人フォークシンガー、リッチ―・ヘブンスから受けた影響が大きかったという。アコースティックギターの弾き語りというスタイルでありながら、リッチー・ヘブンスの演奏にはパワフルなビート感があった。

リッチー・ヘブンスのビート感あふれるフォークソングというスタイルがアリスならではの魅力として受け継がれたとも言えるのかもしれない。

谷村新司の音楽性の多彩さに気づいたセカンド・ソロアルバム「海猫」


アリスならではのサウンドをブラッシュアップしていく一方で、谷村新司はグループとは違うサウンドへのアプローチも見せていった。実は、僕が谷村新司の音楽性の多彩さに気づいたのはセカンドソロアルバム『海猫』(1975年)を聴いた時だった。

アリス自体がまだ注目され始めたという時期でもあり、正直言ってあまり期待せずに聴いた。しかし、1曲目の「ハーバー・ライト(湊の灯)」で驚いた。スタンダードのようなジャジーなサウンドとムーディなボーカルは、アリスとは完全に違うアプローチを感じさせた。さらにはシャンソンを感じさせる曲やボサノヴァ曲もあるし、戦後のモダン歌謡に通じる楽曲や後のアリスサウンドに通じるアプローチもあるなど、多彩な音楽性を全体を通してバランスよく組み合わせたバラエティ豊かな聴きごたえあるアルバムになっていたのだ。



『海猫』によって、僕は谷村新司がフォークだけの人ではないことを知った。ファーストソロアルバムの『蜩』(1974年)はどちらかといえばフォーク寄りの印象だったけれど、サードソロアルバム『引き潮』(1976年)では『海猫』の世界観をさらに発展させていた。

「昴-すばる-」「いい日、旅立ち」「サライ」谷村新司の金字塔となる楽曲


この時期、谷村新司はアリスのサウンドを突き詰める作業と並行して、自分の音楽性の可能性とコアになるものを計っていたのだと思う。一連のソロアルバムで展開した多彩な音楽性。その中から慎重にピックアップされたエッセンスが、その後の谷村新司のスタイルを表現する作品として発表されていったのだろう。

それらが「昴-すばる-」(1980年)や山口百恵への提供曲「いい日旅立ち」(1978年)、さらには加山雄三との共作「サライ」(1992年)といった谷村新司の金字塔となる楽曲となっていったのだ。



これらの突出した谷村新司を代表する楽曲たちの影には、幅広い音楽性と柔軟な感性で受け入れて、自分の作品へと昇華させていく音楽家としての姿勢があったのだということを、久しぶりに『海猫』を聴いて改めて強く感じている。

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2023.11.06
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カタリベ
1948年生まれ
前田祥丈
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