それは体験型? 脳内型? “夏うた” には2つのパターンあり
「あなたの夏うたを教えて」と聞かれた場合、二つのパターンに分かれると思う。ひとつは体験ベース。あの時ヒットしていたこの曲を聴くと夏の想い出がよみがえる… ってやつだ。そしてもうひとつが、妄想の世界で夏が始まる自分だけのとっておきの曲。たとえ共有できる人がいなくても脳内で描かれる夏は永遠だと思える楽曲、アルバムに出逢ったならば、それは、どんな素敵な経験にも勝ることではないだろうか。
僕の場合、前者は、16歳の夏、神津島へと出かけた想い出が鮮やかによみがえるザ・チェッカーズ「涙のリクエスト」なのだが
(『84年夏、高校生は神津島を目指す。BGMはもちろん絶対チェッカーズ!』を参照)今回は後者の話をしようと思う。
トップアイドルの煌めき、松田聖子のサードアルバム「シルエット」
テレビから流れるヒット曲に飽き足らず、自分から主体的にレコードを手にするようになったのは、中学生からだ。中学時代というのは、なんとも面倒くさい鬱屈としたボンクラな時期であった。中学1年生の僕は、友達と海に出かけるという勇気もなければ彼女を見つけるなんてとんでもない!そのくせ家族旅行は面倒くさい… という、なんとも厄介な自分を抱えて部屋でレコードを聴くという寂しい夏休みだったと記憶している。そんな自分の脳内の妄想を一気にスパークさせてくれたのが、81年5月21日に発売された松田聖子のサードアルバム『Silhouette~シルエット~』だった。
このアルバムがリリースされた81年の松田聖子といえば、イタリアの『サンレモ音楽祭』に出場し、前年のヒット曲「青い珊瑚礁」が春の選抜高校野球大会の入場行進曲に。夏には髪をアップした初々しい姿が話題となった映画『野菊の墓』で主役を演じ、「白いパラソル」がTBS系列『ザ・ベストテン』で番組史上初となる初登場第1位を記録。秋に発売された4枚目のアルバム『風立ちぬ』で見事アイドルからの脱却を図ると、髪をショートカットに… といった具合に、すべては松田聖子を中心に回っていたといっても過言ではないくらいの躍進した年であった。
そんな中リリースされた『Silhouette~シルエット~』は、この次にリリースされる名盤『風立ちぬ』と比べると見劣りする存在なのかもしれない。確かに『風立ちぬ』は大瀧詠一とタッグを組んだA面5曲の完成度の高さ、松本隆が全曲作詞を手掛けることにより、その後の “アーティスト松田聖子” の方向性を示唆するエポックメイキングな作品となっている。しかし、そのわずか5か月前、アイドルとして多忙を極める中、短期間で制作、リリースされたこのアルバムは、過渡期の彼女でしか成し得えなかった煌めきが散りばめられている。
夏への憧れを濃縮したアイドル歌謡の名盤
この『Silhouette~シルエット~』には、アイドルとしてのパブリックイメージ… 白いコットンのワンピースが似合う可憐さや、夕日に照らされた横顔に一瞬ハッとしてしまうような刹那的な輝きを内包しながら、抜群の歌唱力で聴く側の脳内に映画のワンシーンのような風景を思い描かせてしまう説得力があった。まさに1981年の松田聖子にしか作ることのできなかったアルバムであると断言しよう。
これは、僕の大好きなパンクロックでたとえてみると、ザ・クラッシュのセカンドアルバム『動乱 -獣を野に放て-(Give 'Em Enough Rope)』やザ・ジャムの同じくセカンド『ザ・モダン・ワールド(This is The Modern World)』のように、前者の次作が『ロンドン・コーリング』、後者でいえば『オール・モッド・コンズ』… といった、現在もエバーグリーンな輝きを放つ普遍的なロックアルバムを作り上げる直前のエナジーを、若さに任せて解き放つ美しさに似たものを感じるのだ。
もちろん、こんな話は今になってすべてを俯瞰して思うことであって、当時の中学生の自分からしてみたら、夏への憧れ、理想の女のコへの渇望がギュッと濃縮された完膚なアイドル歌謡の名盤であった。
A面1曲目で夏真っ盛り、2曲目はしっとり恋の終わり…
特筆すべきは、1曲目「Summer Beach~オレンジの香り~」では当時席捲していたオールディーズブームにあやかってか、チャック・ベリーのようなギターリフやビーチ・ボーイズ風のコーラスと共に…
去年の私はもっと自由だった
そんな気がしてしまう青い波
瞳とじれば潮風恋する女と
ひやかしてゆくわ my sweet boy
といきなり夏真っ盛りモードに入りながら、当時の僕にとってはいまだ知らぬ女のコの心のうちを垣間見せてくれた。
知らないことばかりだけど、夏は海だ! 女のコだ! というキラキラ感をたっぷり楽しみながらも2曲目では、しっとりとチルアウト。この落差もたまらなく良い。この「白い貝のブローチ」では、打って変わってしっとりしたイメージで夏の終わり、恋の終わりを描き切ってしまう。
少しだけサンセット
離れるシルエット
暮れなずむ愛は
さよなら
白い貝のブローチは
似合わないわ秋風
そこには少し陽が落ちるのが早くなった夕暮れ、ひと夏の終わり思わせる潮風の香り、そんなシーサイドの風景を頭の中にイメージさせてくれる。この2曲を聴いただけでも、そこで夏が完結してしまう。ひと夏を経た女のコの気持ちの変化がなんとも刹那な印象だ。そう考えると、アルバム全体の構成力としてはイマイチな感じもするが、この2曲で完結してしまう力強さはアルバム全体に漲っている。
B面にはアーリー80'sの夏を代表する名曲「夏の扉」
もちろん、これだけではない。レコードをB面にひっくり返し、壮大かつドラマチックなホーンセクションが炸裂する「Je t’aime」からアーリー80'sの夏を代表する大名曲「夏の扉」への流れは、“夏を終わらせてはいけない!” という人間の根源にある渇望を見事に体現したといっても過言ではないくらいの生命力を感じるのだ。
同年には大瀧詠一の『A LONG VACATION』、翌年には山下達郎の『FOR YOU』といった40年近く経った今でも夏うたのド定番という名作がリリースされていった。前者は永井博、後者は鈴木英人といったアメリカ西海岸と古き良き1950年代をマッシュアップした、当時新進気鋭だったイラストレーターの作品をジャケットに起用。楽曲と共にアルバムジャケットを飾るだけで、アーバンで憧れの夏を満喫できるのだ。
しかし、そこに届くアンテナを持ち合わせていなかった13歳の僕にとって『Silhouette~シルエット~』は、この2枚にも勝るとも劣らない、夏の風、夏の匂いを感じたら聴きたくなるマイ・ベスト・アルバムだ。針を落とすだけでちょっぴり恥ずかしくも青臭い13歳に戻れて1981年の夏を満喫できるという得難い1枚である。そして、この中で1曲選ぶとするならば1曲目の「Summer Beach~オレンジの香り~」だろうか。レコードを入手して針を落とした瞬間に夏がやってきた!と思わせてくれるほどの躍動感は、今の自分の中にまだ残っている。
2020.07.03