5月16日

80年代のスクーターブームと世界的大ヒット「ベティ・デイビスの瞳」の関係

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キム・カーンズのシングル「ベティ・デイビスの瞳」が全米1位になった日
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80年代バイクブームの礎、市場をたたき起こしたラッタッタ~!


最近、オートバイという乗り物はすっかり趣味性の強い乗り物となってしまった観があるが、一方でかつてメーカーの稼ぎ頭だった50ccの原付バイクは、すっかりユーザーの “下駄代わり” としてコモディティ化してしまった。また昨年の道交法改正で普通免許の取得者であれば、ちょっとした講習だけで125cc以下の小型バイク免許が取得できるようになったことで、その存在感はさらに希薄になりつつある。

とはいえ、クラス分けが細かく国際的にも不評をかっている日本の二輪免許制度が、いくらか規制緩和に向いていることはむしろ歓迎すべきことだ。二輪車のユーザビリティが上がることは、安全面でも好ましい効果をもたらすかも知れない。“原付” が交通事情にそぐわない30Kmという速度規制や、2段階右折のルールなどの我慢を強いるようなバイクであることは確かだが、それでも当時僕らはそれを足掛かりにして、より大型のスポーツバイクやモータースポーツにも興味を広げていった。そうして作り上げられた80年代のオートバイブームを愉しんできた身としては、その郷愁からどことなく今の有り様には寂しい気持ちを持っている。

70年代まで50㏄バイクと言えば、ホンダが誇る世界のベストセラー「スーパーカブ」のような業務用バイクか、「モンキー」や「ダックス」といったレジャーバイクが主流だった。もちろん日常の足として使っている人たちはいたけれど、それを目的に開発されたバイクは決して多くなかった。まして普段ママチャリに乗っているオバちゃん達向けの車種などありようもなかった。

しかし76年、ホンダからミニバイクの先駆けとなった「ロードパル」が発売されると、それまで眠っていた市場の様相は一変する。イタリアを代表する名女優ソフィア・ローレンがテレビCMで発した「ラッタッタ~」の掛け声が市場をたたき起こしたのである。

“HY戦争” 勃発! 主婦だけではない埋もれていたニーズが顕在化


ホンダが拓いた市場に敢然と切り込んできたのは業界2番手のヤマハ発動機だ。77年に発売されたヤマハ「パッソル」は、「ロードパル」のように見た目に自転車感の残る簡易なバイクではなく、女性がスカートのまま足を揃えて乗ることができるステップスルーのスタイルが支持されて大ヒット。翌年発売された上級グレードの「パッソーラ」と合わせて大きくシェアを伸ばし、ホンダに肉迫する。これをきっかけに両社のシェアは接近し、“HY戦争” と呼ばれるような激しい販売競争が繰り広げられた。

「ラッタッタ~」の一言が市場を切り開いたように、当時はテレビCMの影響は今よりずっと大きかった。消費者には商品の利用価値を伝え、理想の生活シーンを描いた。彼女たちの憧れは『ローマの休日』でグレゴリー・ペックが駆るイタリアのスクーター「ベスパ」の姿であったかも知れない。だが現実的に “オートバイだから” と尻込みする世のお母さん方を口説き落とそうと、ヤマハがCMキャラクターに選んだのは、当時からドラマの母親役としてお馴染みであった女優、八千草薫さんだった。

しかし、このクラスのバイクに注目していたのは、何もオバちゃん達ばかりではない。この頃、免許取得可能な年齢に達しようとしていた僕らは、この “新しい玩具” の使い道に可能性を見出していた。同じ原付であっても、ミッション付きのスポーツバイクは、いきなり乗り出すには技能的にもハードルが高い。だがスロットルをひねるだけで車道へ繰り出せるスクーターであれば、行動範囲を格段に広げてくれる上に、ちょっとしたスピードのスリルも味わえる。価格の設定も当時、少しアルバイトを頑張れば、何とか手が届く範囲だった。その時僕らの脳裏に浮かんでいたのも、79年のTVドラマ『探偵物語』で松田優作が乗りこなす「ベスパ」であった。埋もれていたニーズの顕在化は、その後のメーカーの車種展開と広告を大きく変えていくことになる。

なんと “イージー・ライダー” の起用、ホンダのCMにピーター・フォンダ!


80年9月に発売されたホンダのスクーター「タクト」は、動力性能に優れ、僕らの欲求にも十分に応えられる製品であったが、対抗するヤマハは81年春、上級クラスの車格を備えた「ベルーガ」を市場に投入する。また同じ頃、スズキから発売されたスクーター「ジェンマ」は、イタリアの大スター、ジュリアーノ・ジェンマをCMキャラクターに起用。その名に恥じないスタイリングで注目を集めた。

スクーター市場は、ついに各メーカーがしのぎを削る三つ巴の争いに発展していった。先行するホンダ・タクトのCMキャラクターは、ピーター・フォンダ。別にホンダとフォンダの語呂が合っていたからというわけでもないだろうが、70年公開の映画『イージー・ライダー』で大型バイクを爆走させる若者を演じた彼の起用には、分別ある大人に成長した姿をユーザーたちに自己投影させようという意図も感じられる。タクトは彼の見識眼にも適ったバイクだと言いたかったのだ。

起死回生のマイナーチェンジを図ったホンダが、81年9月新たなモデルの登場にCMで華を添えたのが、キム・カーンズ「ベティ・デイビスの瞳」。その年全米チャートで9週間1位を獲得し、82年のグラミー賞では最優秀楽曲賞と最優秀レコード賞の2冠を達成した佳曲である。

世界中のヒットチャートを席巻し、ハリウッドスターとの至極のコラボレーションがまさか東洋の島国のスクーター市場で実現しようとは、制作者たちにとって思いもよらない出来事だったかも知れない。いかにそれだけ各メーカーがこの市場を制することに躍起になっていたかということを示す事実でもある。

キム・カーンズ「ベティ・デイビスの瞳」カントリーソングを現代風にアレンジ


「ベティ・デイビスの瞳」は、キム・カーンズが唄ったものとは別にオリジナル版が存在する。60年代から活躍するシンガーソングライター、ジャッキー・デシャノンによるもので、そのサウンドはまさにアンプラグドなカントリーソングである。そしてこの曲をカバーすることになったキム・カーンズ自身も実はフォークやカントリーをバックグラウンドに持つシンガーソングライターであった。79年には大御所ケニー・ロジャースとのデュエット「荒野に消えた愛(Don't Fall In Love With A Dreamer)」でヒットを飛ばし、既に彼女は押しも押されもせぬベテランシンガーの域に達していたから、彼女にとっては今更感のある選曲のように感じられたのだろう。レコーディングに入るまで、あまり気乗りしなかったというのも当然のように思える。

だが実力を認められながらソロアーティストとして、なかなかそれに相応しい成功を収めることができずにいた彼女を何とかブレイクさせようとプロデューサーのヴァル・ギャレイは原曲「ベティ・デイビスの瞳」の再生に取り組んだ。メロディラインを生かしながら、シンセサイザーのリフを駆使して古びたサウンドを現代風にアレンジ。彼女のハスキーな歌声はロックバンドのボーカルも務まりそうなほどの迫力で、シンセドラムとも互角に渡り合い、妖艶でミステリアスな雰囲気を湛えた楽曲へと見事に蘇えらせた。

前回のコラム『ドナ・サマーの功績、EDM の視点から見たクィーン・オブ・ディスコ』で、ドナ・サマーについて書かせてもらった際、テクノロジーの恩恵を受けたシンガーとして取り上げたが、そういう意味ではこのようなテクノアレンジで飛躍を遂げたキム・カーンズについても同じことが言えるかもしれない。「ベティ・デイビスの瞳」があまりにも偉大なヒット曲となったため、彼女を一発屋扱いする向きもあるが、ソングライターとして他のアーティストに多くの楽曲を提供している彼女の場合、必ずしもそれは当てはまらないだろう。85年のオールスターシングル、USAフォー・アフリカ「ウィ・アー・ザ・ワールド」でソロパートを任されたのは、ミュージシャン達のリスペクトの賜物だろう。

近年ではテイラー・スウィフトを輩出し、まだまだ未知の才能が埋もれていそうなアメリカのカントリーミュージック界には、底深い凄みを感じることがある。日本で例えるなら驚くべき歌唱力を持ったヴォーカリストが現れた時、子供の頃に習っていた民謡… 島唄とか、江差追分とか… がルーツに持ってたりする感覚に近いかもしれない。

ピーター・フォンダとキム・カーンズの共通項、そして後日談…


もう一つ、キム・カーンズのキャリアの中に、71年公開の映画『バニシング・ポイント』のテーマ曲を手掛けたというものがある。この作品は一見すると派手なカーアクション映画のようでもあるが、当時のアメリカン・ニューシネマの代表作で、そのストーリーといい、衝撃的な結末といい、いわば『イージー・ライダー』のクルマ版ともいえるようなロードムービーであった。果たして当時のCM制作者たちがそこまで意識していたかどうかはわからない。だがそんなところにもピーター・フォンダとの共通項を見出してみると、彼らの密かな企てに思いを馳せることもできる。

こうした先人たちの苦労の甲斐もあって、ホンダ・タクトというスクーターブランドは、40年を経た今もまだ健在だ。しかも市場が著しく縮小して、各メーカーの個性が失われていく中、かつて鎬を削り合ったライバルのヤマハのスクーターブランド「JOG」を統合し、2年前から同一車種として両メーカーのそれぞれのブランド名で売られているというから、まさに隔世の感である。

ところで後日談、キム・カーンズは83年次作となるアルバム『カフェ・レーサー』をリリースする。セールス的にはメガヒットとなった前作の成功には遠く及ばなかったが、そのジャケット写真で彼女がまたがっていたバイクもまた「ベスパ」であった。いったい何が足りないのか、日本のスクーターが世界でどれほど売れようとも、“絵になる” というその1点で、当時も今もこのイタリアメーカーには、とても敵いそうな気がしない。

2020.06.22
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  YouTube /  KimCarnesVEVO
 

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カタリベ
1965年生まれ
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