1月21日
松田聖子はBがいい。制服 ― 珠玉のクオリティはB面Bメロにあり
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photo:SonyMusic  

松田聖子はB面がいい。


―― こう書くと、ちょっと通に聞こえる。

もちろん、松田聖子はシングル曲のA面も24作連続1位を記録するほど名曲揃いだし、アルバムだって『Pineapple』や『風立ちぬ』など名盤の宝庫だ。でも―― 松田聖子ほど印象に残るB面の曲を残したアイドルもいない。

思えば、昭和の時代は映画も2本立てが普通だったし、看板作品とは別に、もう一つの作品を楽しむ余裕があった。確実なヒットを狙って大衆向けに放たれるA面(看板作品)に対し、B面(併映作品)はマーケティング的に比較的自由だった。時にそれは新人クリエイターのお試し枠となり、例えば、ホイチョイムービー第1作の『私をスキーに連れてって』は、根岸吉太郎監督の『永遠の1/2』の併映扱いだった。2本立てのシステムがなければ、“監督・馬場康夫” が世に出ることはなかった。

僕が、松田聖子のB面を初めて意識したのは、3枚目のシングル「風は秋色」のB面「Eighteen」からである。実はこのシングル、“両A面” 扱いなんだけど、事実上、前者がタイトル曲で、後者はB面的位置づけだった。

当時、松田聖子はNHKの歌番組『レッツゴーヤング』のレギュラー出演者のサンデーズのメンバーでもあり、同番組の司会の平尾昌晃先生が彼らに提供した楽曲が「ヤングヒットソング」として番組内でヘビーローテーションされる仕組みだった。その中の一曲が松田聖子の「Eighteen」で、リリース当時、毎週のように披露された。


 夢の中に出てきた
 あなたはとても素敵
 いつも君だけ恋して暮らしているさと


ステージセットは、フィフティーズを彷彿させるテールフィン時代のアメ車のイラスト。楽曲もどこか懐かしいメロディラインで、松田聖子の愛らしい振付と伸びやかな歌声で、僕はたちまち虜になった。

後年、その曲の元ネタが、1959年にアメリカでリリースされたキャシー・リンデンの「悲しき16才(Heartaches at sweet sixteen)」(日本ではザ・ピーナッツがカバー)と聞かされ、フィフティーズを彷彿させるセットも、その「Eighteen」というタイトルも、平尾先生の確信犯的オマージュだったと知ることになるが―― それはまた別の話。

次に僕がハマった聖子のB面ソングは、7枚目のシングル「風立ちぬ」のB面の「Romance」である。A面は御大・大瀧詠一作曲の壮大なバラードだが、B面は軽快なポップスソング。作曲は、音楽プロデューサー川原伸司の別名義である平井夏美。あの「瑠璃色の地球」も彼の作曲である。『夜のヒットスタジオ』では2度も披露され、僕はそのキャッチーなメロディの虜となった。


 Look at me 私をみつめて
 息も止まるくらいに
 眩しいねとささやいて


そして―― 次の8枚目のシングルで、僕の「松田聖子はB面」論はいよいよ決定打を迎える。少々前置きが長くなったが、今回のテーマは、 1982年1月21日にリリースされたシングル「赤いスイートピー」のB面、「制服」である。

作詞・松本隆、作曲・呉田軽穂―― A・B面とも同じ座組である。言うまでもなく、呉田軽穂とはユーミン(松任谷由実)の別名義だ。他のアーティストに楽曲を提供する際に使用する。とはいえ、83年に原田知世に提供した「時をかける少女」は松任谷由実名義であり、明確なルールはない。

ユーミンを誘ったのは、松田聖子の事実上のプロデューサーの松本隆サンである。実は松本サンは最初から聖子の楽曲作りに参加していたワケではなく、デビュー曲の「裸足の季節」を聴いて、その歌声に惚れ込み、半ば売り込む形で加わったという。

松本サンを起用したのは、聖子をデビュー時から支えるCBSソニー(当時)のプロデューサー・若松宗雄サンである。2年目を迎え、作品に “作家性” を求めたいと考えた若松サンは、まず作曲家陣にチューリップの財津和夫を迎え、次に作家性のある作詞家を探していた。そこへ、風の便りで松本隆サンが聖子に興味を持っているという話を耳にする。

最初は、試験的に3rdアルバム『Silhouette 〜シルエット〜』の中の1曲「白い貝のブローチ」の作詞を依頼したという。これが珠玉の出来栄え。そこで以後、6枚目のシングル「白いパラソル」から、ほとんどの楽曲の作詞を託すようになった。ここに、若松宗雄・松本隆・松田聖子という、中期以降の松田聖子プロジェクトの核となる “三松” 体制が確立する。

そんな松本隆サンの仕事は作詞だけに留まらなかった。彼は自身の人脈を駆使して、実力ある有名ミュージシャンたちを次々に松田聖子プロジェクトに引き込んだ。手始めに「はっぴいえんど」時代の朋友・大瀧詠一を誘い、次に声をかけたのが―― 前述のユーミンだった。

ユーミンに狙いを定めたのは、若松Pの「女性ファンを開拓したい」という思いからである。当時、松田聖子は男性層から絶大な支持を集める一方、女性層からは「ぶりっ子」などと揶揄されていた。それに対し、ユーミンは女子大生・OLの教祖。そのマーケットに期待したからである。だが、この誘いに彼女は難色を示す。

「ペンネームの “呉田軽穂” 名義なら協力してもいい」

ユーミンが松本隆サンに出した妥協案がそれだった。自身のブランドではなく、純粋に楽曲のクオリティで勝負したい―― 鼻持ちならない、恐ろしいほどの自信家だが、事実、当時のユーミンはそれを裏付けるように才能がほとばしっていた。

僕は、音楽家としてのユーミンの最盛期は、1978年の『紅雀』から1984年の『NO SIDE』までの7年間だと思っている。そう、年2枚のオリジナルアルバムを発表した時期を含む “黄金の7年間”―― 有り余る才能が次から次へ湧き出た時代である。セールス的には80年代後半から90年代初めにかけて、彼女は絶頂期を迎えるが、楽曲のクオリティは断然、黄金の7年間のほうだと思う。

奇しくも、ユーミンが松田聖子に楽曲を提供した期間がすっぽりと、その中に収まる。これをラッキーと言わず、何と言おう。この時期の松田聖子を、先の “三松” 体制に「松任谷」を加えた “四松” 体制とも呼ぶのは、そういうことである。

松本隆サンがユーミンにリクエストしたのは、高音部をあまり使わない、やさしい曲調だった。松田聖子はデビュー時からその天性のストレートボイスが評判だったが、声を酷使してしまい、2年目の「白いパラソル」あたりから伸びのある高音部が出にくくなっていた。

そして完成した楽曲が「赤いスイートピー」である。レコーディングに立ち会ったユーミンは聖子に「声を張らずに歌うように」とアドバイスし、後の “キャンディボイス” への扉がここから開かれる。


 春色の汽車に乗って
 海に連れて行ってよ
 煙草の匂いのシャツに
 そっと寄りそうから


呉田軽穂の類まれなるメロディラインに、松本隆の絵画的な詞。そこに聖子のやさしい歌声が見事にフィットして、「赤いスイートピー」は大ヒットする。

この曲をターニングポイントに、以後、女性ファンが急増し、やがて男女のファン層の比率が逆転するのは承知の通りである。

でも―― そんな「赤いスイートピー」のクオリティに感心しつつも、またもや僕の心を捉えたのは、B面だった。

まずタイトルがいい。「制服」――。元来、僕は押しつけがましい情緒的なタイトルが嫌いで、シンプルな名詞のタイトルが好きである。その方が聴き手の想像力を膨らませる。ユーミンの「中央フリーウェイ」とか尾崎豊の「回帰線」とか中森明菜の「北ウイング」あたりが、僕の琴線にピタリとハマる。その意味では「制服」は最高だった。何せ、制服である。制服。普通の名詞だ。めちゃくちゃカッコいい。


 卒業証書抱いた
 傘の波にまぎれながら
 自然にあなたの横
 並ぶように歩いてたの


ややドラマチックなイントロに続く第一声は、いきなり「卒業証書」である。この出会いがしらのクライマックス感が、またカッコいい。このたった2行の詞から、既に映画の一場面のような情景が浮かぶ。松本隆サンは歌詞に色を入れるのが好きな人だけど、ここでは色の描写はないものの、僕らは勝手に男子の黒と女子の赤の傘を思い浮かべる。


 四月からは都会に
 行ってしまうあなたに
 打ち明けたい気持ちが…


同曲はメロディの宝庫である。中でも、この一小節ごとに盛り上がるBメロなんて天才の仕事に他ならない。あふれんばかりの才能がほとばしったユーミンの “黄金の7年間” ならではの珠玉のクオリティだ。


 でもこのままでいいの
 ただのクラスメイトだから


そしてサビである。正直、Bメロほどの感動はない。この時期の松田聖子は声の調子が最も悪かった時期で、同曲も終始ハスキーボイスである。それが研ぎ澄まされ、キャンディボイスに昇華するまでもう少し待たねばならない。でも、これはこれで切ない高校生の心情が伝わってくる。


 失うときはじめて
 まぶしかった時を知るの


最後はAメロを少しなぞって、終局に向かう。見事な曲構成である。この2行の詞はもはや文学ですらある。

先にも触れたが、僕は「制服」の珠玉はBメロにあると思う。松本隆さんもそれを分かっていて、2番と3番も、このBメロの詞が最も盛り上がる。普通、楽曲で一番盛り上がるのはサビだが、同曲はBメロなのだ。


 テスト前にノートを
 貸してくれと言われて
 ぬけがけだとみんなに


―― これが2番のBメロの詞。情景がありありと浮かぶ。ゾクゾク、ワクワクする。もはやドラマや映画の1シーンだ。そして――


 雨にぬれたメモには
 東京での住所が…
 握りしめて泣いたの


これが3番のBメロ。この物語のクライマックスとも言える。なんとも切ない。だが、人は楽しさよりも切なさに共感する生きもの。この瞬間、聖子の歌う「制服」の主人公に、聴き手は自分を重ね合わせる。

かつて、ユーミンがあるラジオ番組で、スピッツの草野マサムネさんの楽曲を評して、こんなことを言っていた。

「AメロとBメロは最高なのに、サビが一番つまらない」

一見、辛らつな言葉にも聞こえるが―― それは、かつての「制服」がそうであったように、自分に重ねて、その才能を評価していたのだと思う。

ユーミン一流の、誉め言葉だったのだ。


歌詞引用:
Eighteen / 松田聖子
Romance / 松田聖子
赤いスイートピー / 松田聖子
制服 / 松田聖子


2018.01.21
134
  YouTube / 黒騎士


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