5月16日

土曜の夜は「オレたちひょうきん族」桑田佳祐や大瀧詠一も手掛けた音楽の数々

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TBS「8時だョ!全員集合」 vs フジテレビ「オレたちひょうきん族」


1970年代後半から80年代にかけて、TBSとフジテレビの間で繰り広げられた土曜20時台の視聴率合戦、通称 “土8戦争” は、日々真剣にブラウン管の前にかじりついていた我々テレビっ子にとって身近な話題であった。

不動の人気を誇っていたTBS『8時だョ!全員集合』に、フジの『欽ちゃんのドンとやってみよう!』が拮抗し、80年代に入って『オレたちひょうきん族』が遂に『全員集合』を凌駕するという構図。さらには『全員集合』の後番組となった『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』が人気を得て、『ひょうきん族』を終了に追いやるという顛末があった。

遡れば、60年代末にフジテレビで人気を博していた『コント55号の世界は笑う』に対抗して始まったのが『全員集合』だったというのが発端で、他の番組を挟みつつも実に20年に亘った攻防は、ドリフvs欽ちゃん、ドリフvsたけし・さんまという、笑芸界の代理戦争でもあったわけである(イモ欽トリオを生んだ81年スタートの『欽ドン!良い子悪い子普通の子』は月曜21時枠に移されている)。

昭和40年生まれの自分は、小学生時代に『全員集合』を見て育ち、中学生で『欽ドン』、高校生で『ひょうきん族』へと渡り歩いた典型的な “ひょうきん族世代” なのである。そんなわけで、今回は『オレたちひょうきん族』の話。

番組の魅力は音楽の使い方、エンディングテーマは EPO「DOWN TOWN」


社会現象となった漫才ブームの中で企画された番組は81年5月から特番型式で8回放映された後、10月からレギュラー番組としてスタートを切った。ライバルのドリフが綿密に作り上げた笑いに徹底して拘ったのに対し、『オレたちひょうきん族』には自由奔放な雰囲気が漂っていた。もちろんちゃんと台本があり、リハーサルを重ねた上で収録されてはいたのだけれど、スタッフも出演者も若いエネルギーに満ち、新機軸のバラエティ番組としての魅力に溢れていたのだ。

その大きな要素のひとつが音楽の使い方だった。クラシックの「ウィリアム・テル序曲」に始まり、EPOの「DOWN TOWN」で終わるという斬新なフォーマット。エンディングは第1回のみ「星に願いを」が使われたそうだが、2回目から「DOWN TOWN」となっている。

このエンディングの洒落た感じは、中でどんなに馬鹿げたことをしていてもクオリティの高い番組である印象を残すマジックであり、番組の正式なスタートから1年後にはEPOが新たに書き下ろした「土曜の夜はパラダイス」となった。以降も山下達郎「土曜日の恋人」、松任谷由実「土曜日は大キライ」などのオリジナルソングが生み出されて、音楽的感度の高い視聴者の琴線を擽りまくることとなる。

エンディングテーマの詳しい変遷はまた別の機会に譲るとして、番組から生まれた企画盤を改めておさらいしてみたい。わりと早い時期にアルバムも1枚出されているが、ここではシングル盤を追ってみよう。

番組から生まれた企画盤、タケちゃんマン&ブラックデビルは外せない!


まずはなんといっても、人気コーナー「タケちゃんマン」の主題歌「THE TAKECHANマン(タケちゃんマンの歌)」。作曲にクレジットされている佐藤エポ子は、もちろんEPOのことである。そういえばEPOはエンディングテーマ以外にも、CM前のアイキャッチ「チャンネル~はそのまま」も歌ったりと大活躍であった。シングル盤のカップリングは「DOWN TOWN」という得用盤で、途中からEPOの写真が新たにデザインされたダブルジャケット仕様のものが作られたのはあまり知られていないかもしれない。

タケちゃんマン絡みでは、「イエローサブマリン音頭」で新境地を拓いた金沢明子が「タケちゃんマン音頭」を歌っている。ビートたけしもセリフで助演。これは何故かあまり話題にならずに忘れ去られてしまった企画盤だが、だいぶ後になって夏祭りで人々が踊っているのを見たことがある。音頭界ではスタンダードナンバーなのだろうか。

後に登場するタケちゃんマンロボのテーマ「愛より強く」はなかなかの力作といえる。多くのテレビ関連の作品で知られる小六禮次郎の作曲によるメリハリの効いたメロディを町田義人が歌った、アニメ・特撮系主題歌の明確なパロディ。大平透のナレーションもノリノリで楽しい。

敵キャラの歌としては、明石家さんまが演じたブラックデビルの歌「好きさブラックデビル」のシングルが最初の一枚となる。かつての青春歌謡シンガー、山田太郎と美樹克彦が “オレたち・昔アイドル族” のユニット名で歌っている。B面は二人の代表作のタイトルを繋げた「回転禁止の新聞少年」だった。

番組内の名物コーナー「ひょうきんベストテン」にも何度か出演して歌っていたのが思い出される。なお、ブラックデビルは当初は高田純次が演じていたがおたふく風邪のため降板してさんまに引き継がれたことは、ひょうきん族世代には常識である。

桑田佳祐は「アミダばばあの唄」、松山千春は「びっくり箱の歌」


続いて登場したアミダばばあの「アミダばばあの唄」は、アミダばばあ&タケちゃんマン名義で明石家さんまとビートたけしが歌った、桑田佳祐の作詞・作曲&プロデュースによるもの。

5分で出来たという歌の詞はともかく、メロディの美しさは抜群で、桑田自身も後にセルフカバーした名作なのだ。この後、松山千春の作詞・作曲でナンデスカマン&タケちゃんマンが歌った「びっくり箱の歌」も哀愁漂うナンバーで、カップリングが「愛より強く」という強力なシングルであったが、個人的には番組から生まれたレコードのナンバーワンにはやはり「アミダばばあの唄」を推したい。

ジャケットはタイトルロゴが橙字のものと赤字のものの2種類が存在しており、赤字の方が後刷り。橙字では地の色に紛れて見にくかったためだろう。

キャラクターソングも登場! 安岡力也の「ホタテのロックン・ロール」


やはりタケちゃんマン関連ながら、そのキャラクターと共にもっとも忘れられがちな一枚に伊丹幸雄が歌った「ロンリータコくん」がある。B面は「ほ・ら・が・い」。当初は伊丹がほら貝を吹いてタケちゃんマンを呼ぶという設定だった。

その「ほら貝」のことを「ほたて貝」と言い間違えたのがきっかけで生まれたといわれているのが、安岡力也のホタテマンで、「ホタテのロックン・ロール」というキャラクターソングも吹き込まれた。

これには原曲があり、日本テレビで71~75年に放映された『まんがジョッキー』の挿入歌「マンジョキロックンロール」の詞が変えられたもの。元歌を歌っていた内田裕也のプロデュース、加瀬邦彦の作曲という、GS人脈によるノヴェルティソングだった。

大瀧詠一の「うなずきマーチ」をはじめ、充実したひょうきんソング!


そのほかの関連盤では、大瀧詠一ワークスのご存知「うなずきマーチ」は、ビートきよし、島田洋八、松本竜介の、今でいう “じゃない方芸人” のユニット。

島田紳助と明石家さんまによる「い・け・な・いお化粧マジック」は、忌野清志郎+坂本龍一「い・け・な・いルージュマジック」のタイトルとジャケットだけを真似た、曲自体は清々しいくらいの別物である。

大瀧も尊敬していた、クレージーキャッツなどでお馴染みの作曲家・萩原哲晶がアレンジした「ひょうきん絵書き歌」は山田邦子が歌いながら絵を描いていた人気コーナーがレコード化されたもの。山田が「アンアン小唄」をカヴァーしたり、萩原が「イエローサブマリン音頭」を編曲していた経緯から、これも大瀧プロデュース作品かと錯覚させられる。

さらには、当時まったく売れなかったであろう、西川のりお率いるフラワー・ダンシング・チームの「フラワールームより愛をこめて」。そして、Mr.オクレや村上ショージがフィーチャーされた「ラブユー東京」の替え歌「ラブユー貧乏」は、本家のロス・プリモスが歌ってシングル発売された。

忘れてはならない一枚、EPO「土曜の夜はパラダイス」の元ネタ?


最後に忘れてはならない一枚が、究極の楽屋オチともいえるスタッフ5人のユニット、ひょうきんディレクターズ(佐藤ゲーハー義和、三宅デタガリ恵介、荻野ビビンバ繁、山縣ベースケ慎司、永峰アンノン明)による「ひょうきんパラダイス」。

半年後に出されたEPOの「土曜の夜はパラダイス」はこの曲ありきだったのだ。テクノ歌謡の珍盤として最近ようやく再評価されている様だが、当時ちゃんとシングル盤を買っていた自分を褒めてやりたい。

―― というか、ここで紹介した盤をすべてリアルタイムで集めていた学生時代の自分に我ながらあきれてしまうわけで。実は20年ほど前に一度頓挫しているCD企画『オレたちひょうきん族 音楽全集』がいつの日か実現しますように。


※2017年9月2日に掲載された記事をアップデート

2020.05.16
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カタリベ
1965年生まれ
鈴木啓之
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