10月1日

天才・銀色夏生との出会い、彼女が書きためた100編の作品

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太田裕美にとって16枚目のアルバムにあたる『Far East』から、(原盤会社である渡辺音楽出版側の)担当ディレクターになった私。

参考:「太田裕美の担当になりました。実は全然合わなかった吉田保と大村雅朗…」

そこではまだ、デビュー以来のプロデューサーで彼女にいくつものヒットをもたらしてきた CBSソニーの白川隆三さんとしては、「生意気な若僧(=私)がどんな仕事をするのか見てやろう」といった様子伺いの体(テイ)だったと思いますが、なんとか認めてもらえたのか、次のアルバムについては、私が自由にやっていいことになりました。引き続き、太田裕美のそれまでの路線などまるで無視な私でしたが、白川さんも、そろそろ何か転換すべき時期だと考えていたのでしょうか。

詞は銀色夏生でいきたいと思っていました。

銀色さんの詞に出会ったのはその年、1983年の前半だったと思います。その頃はまだ “銀色夏生” という名前はなかったのですが。大学時代に書き溜めた100編ほどの詞を、彼女は EPICソニーの A&R だった小坂洋二さん宛に送りました。それらのクオリティの高さに驚いた小坂さんですが、その頃は佐野元春のプロデュースに専心していたので、自分ではこの才能を活かしてやることができないと、知人であり信頼に足るプロデューサーである木崎賢治さんに紹介したのでした。私は木崎さんからその彼女の作品群を見せてもらったのです。

まったくの素人であるにもかかわらず、その100編の中には曲をつければすぐにもレコードとして発売できそうな歌詞がいくつもありました。

たぶん銀色さんの詞で最初にレコード化されたのは沢田研二のシングル「晴れのち BLUE BOY」とそのB面の「出来心でセンチメンタル」ではないかと思いますが、これが1983年5月10日発売。そして、大沢誉志幸のデビューアルバム『まずいリズムでベルが鳴る』(全作詞:銀色夏生)が同年6月22日発売。どちらも木崎さんの仕事ですが、彼が彼女のことを知ってからわずか半年も経たないうちにレコード化されたこれらの歌詞は、ほとんどその最初の100編の中にあったと思います。

それから山下久美子の『Sophia』(1983年7月21日発売)の中の「ちょいまち Baby なごりのキスが」、「LOVER ステッカー」、「今夜も Bad Trip」、「秋ラメきれない Night Movie」。これらはすべて私が最初の100編からピックアップし、ただの1文字も変えていません。

天才ってやっぱりいるんだなぁ… その時私は思いました。きっとそのうち松本隆さんやユーミンにも伍する作詞家になれるであろうと。惜しいことに、たった2年ほどで、「自分の自由にできないから」と作詞業から撤退してしまいましたが。

その後、堂々たる人気作家となっていくわけで、ほんとはとてもたくましい人なんですが、出会った頃の彼女は、まるで「ぼのぼの」のシマリスくんのようにオドオドしていて、話しかけてもたまに蚊の鳴くような声で二言三言返すのがせいぜいの、幼気ない少女でした。この小娘のどこにあんな切れ味の鋭い詞を生み出す力が潜んでいるんだろうと不思議でしたが、でも天才ってこういうものかもしれないななんて妙に納得もしたものです。

太田裕美の次のアルバムのイメージとして、“大人の童話” とでもいうような世界観が、私の中に浮かんでいましたが、それも銀色さんの詞を見ているうちにインスパイアされたものです。『I do, You do』と名付けたそのアルバムの中の銀色さんの詞、「満月の夜 君んちへ行ったよ」、「お墓通りあたり」、「ガラスの週末」、「こ・こ・に・い・る・よ」、「移り気なマイ・ボーイ」… とタイトルを並べるだけで、物語が浮かびそうでしょう? でもこれらもすべてやはり、例の100編の中にそのまんま入っていたのです。

ただ、私はこのレコードでは、“銀色夏生” ではなく “山本みき子” という名前でクレジットしています。なんとなく “銀色夏生” の世界じゃないと思ったので本人に相談したのです。そしたら本名の “やまもとみきこ” でと言うので、漢字はもちろん確認したのですが、あまりにも声が小さくてはっきりしない中、“山本みき子” と思いこんでそう書いたら、実は “山元みき子” だったことがあとで判明しました…。


※2017年12月18日に掲載された記事をアップデート

2019.01.20
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iTunes / I do,You do あなたらしく、わたしらしく 太田裕美

 

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カタリベ
1954年生まれ
ふくおかとも彦
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