脳天をかち割られるような衝撃、the 原爆オナニーズ
5歳上のOLだったユカさんとは、パンク雑誌『DOLL』の友達募集欄で出会った。高校生だった私にとって、初めての “年上の友達” だった。
当時私は高校2年。日本のパンクバンドを聴き漁った挙句、「the 原爆オナニーズ」にたどり着いた。バンドの名前に衝撃を受けた以上に、サウンド、そして当時はアイドル的なパンクバンドもいた中、ゴリゴリの大人のおじさんたち(…に、見えた)が本気でオリジナルパンクを演奏している様に、脳天をかち割られるような衝撃を受けた。
しかし女子校で進学校、まわりには原爆オナニーズのギグに一緒に行ってくれる友達もおらず、DOLLに “原爆オナニーズが好きな方、友達になってください” という募集を出したのだ。
ペンフレンドは、古着のジャケットにドクター・マーチン
すると、“原爆オナニーズは知りませんが、オナニー大好き!” とか、“オナニーより、〇〇〇が好きです!” とか、“俺のフェアレディZに乗りませんか? 写真同封します” … などという見当違いな返事ばかりがきた。
こんな募集欄で友達なんて作ろうとしたのが間違いだ… と諦めていたところ、かわいいレターセットで、きれいな字で返事をくれたのがユカさんだった。毎週のように手紙を書いて、文通を始めた。そして渋谷のラ・ママに来る原爆のギグに行こうということになった。
待ち合わせたユカさんは、古着のジャケットにドクター・マーチン、スリムでとてもオシャレだった。私を見るなり「17歳より幼く見えるね?」と笑った。とても恥ずかしかった。親のお金で学校に行きながら、「パンクの精神はどうのこうの」と、さんざん偉そうに手紙に書いていたし。自分で稼いで自立して、パンクロックを心の支えに強く生きている、ユカさんとは覚悟が違うと、話してすぐに思い知った。
ライブでも定番のナンバー、力強い反戦歌「GO GO 枯葉作戦」
高3になったが受験勉強には身が入らなかった。ユカさんとギグ以外の日も会って、原爆の話ばかりしていた。ユカさんは原爆の曲では、「GO GO 枯葉作戦」が一番好き、と言っていた。
「GO GO! 枯葉作戦! GO GO! サリドマイド!」
とだけ、ボーカルのタイロウさんが繰り返し叫び、跳ね、うねるようなEDDIEさんのベースが地鳴りのように響く、ライブでも定番のナンバー。屈強な男たちが狂ったようにモッシュする地獄の3丁目で、17の小娘は何度も命の危険を感じた。“やけっぱち” のような曲だと思っていたがユカさんは、こう言っていた。
「“戦争はいけません、平和が大事です” なんて誰にでも言えるよね? きっとパンクっていうのは、“自分ならどう表現するか” っていう、自分だけのアティチュードを持つことなんだよ。こんな力強い反戦歌、他に聞いたことないよ」
人生を変えた、ボーカル・タイロウの言葉
すっかりユカさんに憧れ、ギグ通いばかりしていた私は受験勉強にドン詰まった。ライブ後に、タイロウさんにまで「もう受験やめたい。自分でお金稼ぐ、いっぱしの人になりたい」と言った。するとタイロウさんは「自分の与えられた場所で、自分ができることを放棄せず、ちゃんとやるのがパンクでしょ。俺も大学行ったし、今は会社員やってる。でもライブもやる」と言って、私の持っていた、塾のテキストに「浮かれよ、受かれよ」と書いてくれた。そして「終わるまで来るな」と言ってくれた。
それは受験直前の12月。その日を境に、受験が終わるまでギグに行かないことに決めた。ユカさんもそんなタイロウさんの言葉に「パンクだね、優しいね」と感激していた。
そこから死にもの狂いで勉強し、晴れて大学に合格した。親の次にユカさんに電話すると、「よく頑張ったね。これで一緒にまたギグに行けるね」と喜んでくれた。それなのに、その後数回一緒にギグに行った後、会わなくなってしまった。なんで会わなくなったのか、よく思い出せない。
パンクとは、自分だけのアティチュードを持つこと
あれから30年以上の時が過ぎ、原爆は今年結成38周年、今もパンクの最前線で走り続けている。久々にギグに行った時に、「GO GO 枯葉作戦」のモッシュの中でユカさんを思い出した。最近の不穏な世界情勢や政治に関するいろいろな “おしゃべり” を見聞きしても、彼女の言葉を思い出す。
自分だけのアティチュードを持つこと
気付くと、あれからずっと基準にしている。そしてこの先も私はずっと、あの人が教えてくれた “パンク” に憧れ続けてくんだと思う。
※2017年6月21日に掲載された記事をアップデート
2020.08.06