先日の文(編集注:ラ・マルセイエズ、国歌をカヴァーしたセルジュ・ゲンズブールの挑発)に、少しだけ書き足しておきたい。
ゲンズブールは「ラ・マルセイエズ」をレゲエにして物議を醸した。サイン会やコンサートは相次いで中止され、ストラスブールでは「不遜」な歌を演奏させないよう、パラシュート部隊が最前列を占拠した。
この事態を受け、ゲンズブールは独り登壇し、町中のホテルに爆弾を仕掛けたという警告にジャマイカから来ていたミュージシャンが怯えていることを伝えつつ、次のように発言してから「ラ・マルセイエズ」の原曲をアカペラで熱唱した。
俺は服従しない。
俺は『ラ・マルセイエズ』ができた時に込められていた意味を、もう一度この曲に与えたんだ。
Je suis un insoumis,
et qui ai redonné à La Marseillaise son sens initial.
YouTubeでみることのできるニュースのアナウンサーは、ゲンズブールが自身のヴァージョンではなく「ルジェ・ド・リル」(原曲の作者)のヴァージョンを歌ったとしている。つまり通常の国歌だ。だが,そうだろうか?
この短いコメントと熱唱はとてつもなく憂鬱だ。もしゲンズブールが冒瀆の誹りに耐えかねて「祖国の子供たちへ」ではなく国歌を歌ったのだとすれば、敵(国粋主義者という権力)に屈していることになる。だから些細なようだが、歌ったのは国歌ではなくその歌詞を変えた再カヴァーだったのだ。
「僕らに対して,横暴な政治の血まみれの旗が揚げられているよ」
会場でゲンズブールを含む「僕ら」に「血まみれの旗が揚げられている」とすれば、それはコンサート会場を占拠したナショナリストの旗、つまりフランス国旗だろう。ゲンズブールはそんな「横暴な」連中に内なる敵をみ、「ラ・マルセイエズ」の当初の意味を「もう一度」甦らせて「武器を手にとろう」と観客に呼びかけた。
ここに僕は見事な行為とロックの力をみたのだけれど、それにしてもこの出来事はなぜ1980年におきたのか。
ゲンズブールは「リラの切符切り」(1958年)でデビューして以来、歌手としてそして作曲家として高い評価を得ていた。「夢見るシャンソン人形」や「さよならを教えて」など、ポップでキャッチーな数々のヒット作を生み出した。
しかし1970年代自曲は振るわず,主にコンセプトアルバムを制作していたせいで低迷期ともいわれる。1978年に「海,セックスそして太陽」が大ヒットするが、これは大当たりした映画『レ・ブロンゼ』の挿入歌であったせいでもある。次が『フライト・トゥ・ジャマイカ』だ。
80年代のゲンズブールはコーラスに主旋律を繰り返させて自身では呟くだけという唱法を確立した。そこに音の冒険はまずない。テレビでは紙幣を74%分燃やしたり(1984年)、ホイットニー・ヒューストンに卑猥な言葉を連発したり(1986年)、わかり易い挑発ばかりが目立つようになっていく。
「祖国の子供たちへ」はまさにそうした転換期の節目にでた作品だったのだが、それでも僕の中で疑問は消えない。ゲンズブールが「もう一度」国歌に与えた意味とは一体何だったのだろう…
2016.08.05
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