80年代中盤、アイドルに求められたマルチな才能とは…
1970年代から1980年にかけてデビューしたアイドル歌手たちは、“格好良さ” “可愛いさ”そして“歌の上手さ” が主な武器であった。それが、最盛期を過ぎた1985年辺りからアイドル歌手たちを取り巻く環境にとある変化が起こり始めていた。容姿や歌唱力に加え、軽妙なトークやコントでの演技力、さらに素のリアクションも突き抜けるという “マルチな才能” が要求されるようになったのだ。目の肥えた視聴者の指向の変化が、正統派アイドル歌手の斜陽化に拍車をかけたと言えよう。
たとえば、1983年デビューの松本明子は『第44回スター誕生!決戦大会』出場。他にも1985年デビューの山瀬まみ、井森美幸のふたりは『ホリプロタレントスカウトキャラバン』でグランプリを獲っている。輝かしい経歴を引っ提げてデビューした彼女たちは、歌い手として評価が高かったはずだ。ただ、そんな彼女たちですら一歩抜きん出ることは難しかった。歌唱力だけでは足りなかったのだ。
元祖は森口博子、バラエティ+アイドルという新機軸
そうなると、できることは “身体を張ること” とか、ヌードグラビアからの体当たり演技ができる女優… そんな既定路線が脳内にチラつく。ところが所属事務所は彼女たちにバラエティタレントとして活路を見出そうとしてくれた。バラエティ+アイドルを標準にするという新機軸。その新たな試みは、時代の流れも味方して彼女たちに希望を与えてくれた―― バラドルの誕生である。
その中で、僕が注目したのは森口博子だ。彼女も “元祖バラドル” として名高いタレントのひとりである。
森口博子がデビューするきっかけになったのは、NHK『勝ち抜き歌謡天国』で準優勝を飾ったことである。
先に紹介した輝かしい経歴の彼女たちに比べると、グランプリじゃないためか若干見劣りしてしまう。けれど、そのときの森口博子にとってこれは十分な勲章になったはずだ。何故なら、幼少のころから芸能界に憧れ、10代でスクールメイツに所属してレッスンを積み重ね、バックダンサーとして踊りながらアイドル歌手の後ろ姿を羨望のまなざしで見続け、何度も何度もオーディションに応募してようやく手に入れた栄冠なのだから。
今回は、そんな森口博子の強い信念と、切っても切れないガンダムソングとの関係について語ってみたいと思う。
デビュー曲「水の星へ愛をこめて」はZガンダムの後期オープニング
森口博子のデビュー曲は『機動戦士Z(ゼータ)ガンダム』後期オープニングテーマ曲「水の星へ愛をこめて」だ。
ニール・セダカの未発表曲をアレンジして、そこに売野雅勇が歌詞を付けたこの曲は、オリコン16位を記録するスマッシュヒットであり、並みいるガンダムソングのなかでも人気曲だ。改めて聴いてみると、深いリバーブがかかったスネアドラムや、きらびやかなキーボードの音色がやけに懐かしく感じてしまう。いかにも1985年を思わせるサウンドなのだ。
歌いだせば、まだ若さが感じられる彼女の声。だが、低いところからかなりのハイトーンまで苦も無く歌いこなしている。ガンダムというリアリティーのある物語の内容から、切なさや儚さ、そして祈りのような感情を歌に込めたのだろう。松田聖子並みの声量を持ちながらそれを出し切らず、余力を残しながら情感を込めるテクニックは、一聴しただけで本物を感じさせてくれた。ガンダムファンならずともこの曲はぜひ聴いて欲しい。
こうして念願だったアイドル歌手人生をスタートさせた彼女だったが、アニメの曲でデビューしたこともあって、レコード屋で彼女のシングルはアニメソングコーナーに分類されていた。今でこそアニソン歌手は多くのファンを魅了する憧れの職業だが、その当時はまだまだ陰の存在だったのだ。事務所の思惑から少し外れてしまったかもしれない。
持ち前の愛嬌と根性で勝ち取ったバラエティ番組レギュラーの座
通っていた堀越高校の同級生である荻野目洋子など、忙しくて学校に来ることさえままならない子が多かった中で、悔しいかな森口博子は皆勤賞をとってしまうほどヒット曲に恵まれなかった。
そして、高校卒業目前にして所属事務所から「故郷の福岡へ帰れ」とリストラ宣告されてしまう。ただ、オーディションを受けては落ちる苦しい経験もあって、そう簡単には引き下がれない…。彼女は一念発起して「どんな仕事でも頑張るから帰らせないでください」と事務所に懇願する。
そう言い切った彼女に事務所が与えたのは、バラエティ番組の仕事だった。「どんな仕事でも全力で続ければ、きっと歌に繋がるはず」と、タレント生命をかけ全力でバラエティに取り組んでいく――
『パオパオチャンネル』『クイズ!年の差なんて』『森田一義アワー笑っていいとも!』など、持ち前の愛嬌と根性で次々とレギュラーを勝ち取り、さらに単発のバラエティやクイズ番組、グラビアの仕事までこなす日々… そのかいあって徐々にタレントとしてお茶の間に認知されバラエティの仕事が忙しくなっていった。
歌に対する並々ならぬ思い、怠らなかった歌手活動
けれど森口博子は、それにかまけて歌手活動を怠ることがなかった。このあたりが他のバラドルと一線を画したところである。彼女自身の歌に対する思いは並々ならぬものがあったのだ。決して諦めることなく、少ないチャンスを活かし、粛々とシングル曲のリリースを続けていく。
そんな彼女に転機が訪れる―― 1989年10月からフジテレビ系列で放送が始まった『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』にレギュラー出演が決まったのだ。
80年代の女性お笑い芸人代表ともいえる山田邦子と一緒に番組を盛りあげることで、彼女はバラドルとして開花する。そうして1991年には、1週間の各曜日全てのバラエティ番組にレギュラーを持つという偉業を成し遂げたのだ。
もちろん歌手としても『機動戦士ガンダムF91』の主題歌「ETERNAL WIND~ほほえみは光る風の中~」がオリコンシングルチャートで9位を記録、第42回NHK紅白歌合戦(1991年)に初選出された。なんとその年から6年連続紅白出場を記録し、叶わなかったけれど、彼女は紅組司会の候補に何度も挙げられるほどにまで上り詰めたのだ。
SMAPを奮い立たせた森口博子の信念
バラドルとしても歌手としても人気絶頂を迎えていた1992年、自身初となる看板番組『夢がMORI MORI』が始まった。お世話になった山田邦子の番組を引き継ぐ形で実現したバラエティ番組である。
実はこの番組には森口博子と似たような境遇のアイドルグループがキャスティングされていた。そう、言わずと知れたSMAPである。デビューからヒット曲に恵まれず「本当にジャニーズなの?」などと言われ続けていた彼らは悔しい思いを胸に秘めていたはずだ。
そんな彼らに彼女は自身のツライ境遇を重ね合わせ、今度は自分が彼らを羽ばたかせる番だと確信しただろう。この番組を機に、SMAPは歌もバラエティもこなせるマルチな才能を開花させたのは周知のとおり。
「バラエティを全力でやるのは、その先に生命線の歌があるから」という彼女の熱い信念が、彼らを奮い立たせたに違いない。
ガンダムの女神・森口博子、生涯ガンダム愛を宣言
さて、歌手森口博子の人気は、今なおガンダムと共に盤石の布陣である。
2019年、ガンダム40周年を記念して制作された『GUNDAM SONG COVERS』がCDセールス10万枚を超える大ヒット(第61回日本レコード大賞企画賞受賞)。これは、2018年5月に放送されたNHK BSプレミアムの特別番組『発表!全ガンダム大投票』で、ガンダム全56作品360曲以上ある中、100万を超える投票から選ばれた10曲(なんと「水の星へ愛をこめて」が1位だった)を、豪華ミュージシャンをバックに森口博子がカヴァーした作品である。その勢いもあり、翌年2020年に『GUNDAM SONG COVERS 2』を発売している。
デビュー曲「水の星へ愛をこめて」が決まったとき、スカウトしてくれた当時のディレクターはまだ17歳の彼女にこう言ったそうだ。
「この曲は何年経っても歌える曲だから。君には、そういう歌手になって欲しいから」
きっとそのときは考えもしなかっただろうが、もはやガンダムと森口博子は運命共同体なのだ。
森口博子は感動を裏切らない。常に一生懸命な姿は色褪せることなく僕らの前で輝いている。親しみやすさと妙齢の美しさを兼ねた彼女の快進撃は止まることを知らないのだ。
「ガンダムが人生のパートナーです」と、とあるラジオ番組で生涯ガンダム愛を宣言した森口博子。そんな彼女のことを、多くのファンはこう呼んで称えている。
―― ガンダムの女神と。
2021.06.13