9月21日

80年代が育んだ B’z の独自性、ジャパメタ、浜田麻里、そしてTMネットワーク

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黎明期のB’zのプロモーション? ギタークリニックのエピソード


日本ロックシーンの至宝、B’z。コロナ禍において5週連続の無観客配信ライヴを敢行するなど、その歩みを緩めることなく活動を続けている。

個人的にB’zといえば、まだ彼らのブレイク前、80年代のある日のエピソードを真っ先に思い出す。関西在住だった僕はその日、ギター用品を買うため大阪の某楽器店に立ち寄っていた。その時、レジで店員のお兄さんに「今日ギタークリニックがあるんで、ぜひ覗いてください」と言われ、1枚のチラシを手渡された。書かれていたのは、松本孝弘の “ギタークリニック” の告知だった。

当時の松本は、ヤマハからのシグニチャーモデル、MG-Mの発売に伴い、全国各地でクリニックを敢行していた。僕は、浜田麻里の作品で松本をよく知っていたので、ちょっと足を運んでみることにした。会場は大阪の御堂筋にある、日産自動車のショールームで、車が並ぶ屋内のイベントスペースに椅子が並べられ、数十人ほどが来場していた。

イベントのディテールについて、正直言うと記憶が曖昧だ。確か司会者に呼ばれた松本が登場して質疑応答を行い、ギターだけでなく自身の新ユニットについても、長く話していたと思う。つまり、ギタークリニックの一環として、黎明期のB’zのプロモーションが行われていたのだ。

松本だけのパートが終わり、司会者に呼び込まれて稲葉浩志が登場した時、屋内に並ぶ車の影から、ひょっこり現れたのがどこか初々しかった。歌った楽曲すら記憶が曖昧なのに、その場面だけはやけに印象に残っている。

のちにB’zが大ブレイクした時「あの時イベントで見たユニットか!」と、ひっくり返りそうになった。サインでももらっておけばよかったなあ、と少しばかり後悔したのはいうまでもない(笑)。

そんなB’zのデビューは1988年9月で、本格的なブレイクは90年代に入ってからだ。ここではリマインダーらしく、松本、稲葉の2人が80年代に培ったものが、どのようにB’zに投影されていったのかにフォーカスし、見ていきたい。

ジャンルを選ばずキャリアを重ねた松本孝弘の80年代


ギタリストとしてだけでなく、作曲、プロデュースなども含め、B’zサウンドの核を担ってきた松本。彼の音楽的なルーツの一端は、1996年にリリースした、ロックン・ロール・スタンダード・クラブ・バンド名義のプロジェクト『Rock'n Roll Standard Club』での選曲から、伺い知ることができる。

ディープ・パープル、マイケル・シェンカー等をはじめとした70~80年代の洋楽HM/HRと、そのギタリスト達から影響を受けた松本は、音楽の専門学校でギター奏法や理論を基礎から学んでいる。当時、HM/HR志向なら、独学でマスターするのが普通の時代だ。BOWWOWの山本恭司も同様だったが、早い段階での学びは、松本のギタースタイルの多様化に、大きな影響を与えただろう。

その後、松本は初期ビーイングに所属し、スタジオミュージシャンとして、ジャズシンガー秋本奈緒美のポップス作品や、アニメ『魔法の天使クリィミーマミ』の「Love さりげなく」等に参加しており、ジャンルを選ばずキャリアを重ねた様子が見て取れる。

時は80sジャパメタムーブメントの真っ只中、松本の名がクレジットされた初のジャパメタ系作品は、1984年10月の杉本誘里『ダイナマイト』だ。ここではギタリストとしての参加に加え、典型的なジャパメタ風の「メデューサ」を始め計3曲を提供し、松本もディストーションを効かせた “らしい” ギタープレイを披露している。

松本孝弘を表舞台に知らしめた浜田麻里の3作品


ジャパメタ系アーティストに関わり始めた松本が頭角を現し、キャリアにおけるエポックメイキングになったのが、1985年1月の浜田麻里4枚目のアルバム『RAINBOW DREAM』だろう。日本のメタルクイーンとして、シーンのトップに駆け上がった彼女をサポートするポジションは、松本にとって、自らを知らしめる絶好のチャンスになった。ここでの松本は、あくまでもギタリストに徹し、楽曲にマッチした的確なプレイを聴かせてくれる。

浜田麻里では、1985年12月の『BLUE REVOLUTION』にも続けて参加。今度は全編でのギターワークに加え、キャッチーなハードロックチューン「Stormy Love」を浜田麻里と初共作し、作品創りにより深く携わっていく。

さらに1986年9月の『PROMISE IN THE HISTORY』にも参加し、浜田麻里とは3部作と言えるコラボレーションになった。スタジオのみならず、ライヴツアーでのギタリストも務めるなど、時代を彩る一流ヴォーカリストのサポートは、松本の長きキャリアの中でも、とりわけ重要な位置づけとなったに違いない。

メタル系ギターワークの集大成的作品「サウザンド・ウェイヴ」


同時期には、ビーイングが送り出した “歌謡メタル” を標榜する、早川めぐみの複数の作品にも深く携わった。ここではギターに加え、多数の楽曲提供とライヴにも関与するなど、ソロシンガーを全面的にバックアップする経験を積んでいった。

自身のソロ活動も、この時代が起点となった。1985年4月の『ヘヴィ・メタル・ギター・バトル Vol.1』は、北島健二、ブリザードの松川敏也、筋肉少女帯の橘高文彦と、ビーイング関連のギタリストとともにラインナップされたコンピレーションだ。

フルアルバムでは、1988年の『サウザンド・ウェイヴ』が初の作品となった。松本が80年代に培ったメタル系ギターワークの集大成的な1枚で、ラウドネスの樋口宗孝が全面参加しているほか、TMネットワークの小室哲哉が1曲参加。この前後の時期における小室哲哉との数々のワークスが、松本をさらなる高みへと導いていく。

B’zの礎になったTMネットワークとの出会い


浜田麻里に続き松本がサポートしたのが、80年代末期のJ-POPシーンに新風を巻き起こしたTMネットワークだった。松本はB’zの活動と重なりながらも、サポートギタリストとして関わっていく。

大規模会場を巡るライヴツアー、1988年12月の『CAROL ~A DAY IN A GIRL'S LIFE 1991〜』など、海外も含むスタジオワークを通じた、TMネットワークとの蜜月は、松本にとってチャレンジングな日々であり、B’zの礎になったのは、想像に固くない。

とりわけ、90年代の音楽シーンの頂点に上り詰める時代の寵児、小室哲哉とのワークスの経験は、当時の最先端をいくダンサンブルなデジタルビートを駆使した、サウンドメイキングの手法など、のちのB’zサウンド構築に、大きな影響を与える事になる。

こうして、メタル系ギタリストらしからぬ、特異なキャリアを重ねた松本だったが、1986年には鳴瀬喜博やそうる透など、名手たちとの「うるさくてごめんねバンド」に参加し、ライヴ活動を展開。セッションワーク中心だった松本にとっては新鮮な刺激となった。

松本の音楽的ルーツでいえば、2003年にTAK MATSUMOTO名義で発表した『ザ・ヒット・パレード』も、中々興味深い内容だ。そこには80年代では尾崎亜美、八神純子、中森明菜、オフコースをはじめ、リマインダーの読者にはお馴染みの70~80年代の歌謡曲、ニューミュージックの楽曲が、多数セレクトされており、B’zの音楽性を紐解くカギは、ここにもありそうだ。のちに幅広いジャンルのアーティストとコラボする松本の柔軟な姿勢は、こうした音楽的バックボーンも影響しているのだろう。

音楽的なルーツはジャパメタ、稲葉浩志の80年代


一方、稲葉浩志にとっての80年代はどうだろうか。岡山在住の頃の稲葉が、80年代中期に地元の仲間と、ラウドネスのコピーバンドに興じるプライベート映像が、YouTube上に何曲もアップされ話題になった。その堂に入った歌いっぷりは、稲葉がアマチュア時代から、高いポテンシャルを持っていたのに加え、ジャパメタのコピーに勤しんでいた事実も証明している。この頃、松本はすでにプロとしてジャパメタを演じる側だったが、稲葉にとっては、音楽的なルーツのひとつだった。

稲葉の熱望により2016年に実現した、ラウドネスの二井原実との対談動画が、B’zの公式サイトにアップされている。憧れのヴォーカリストを前に、二井原やラウドネスについて嬉しそうに語る稲葉を見ていると、ガチのファンだったことが、ひしひしと伝わってくる。その中では、ロバート・プラント、デヴィッド・カヴァーデルなど、海外の一流HM/HRシンガーからの影響も公言している。

そんな稲葉だけに、大学進学とともに上京して、ラウドネスやジャパメタと関係の深いビーイングのヴォーカルスクールに通ったのは、必然だったといえよう。その過程で、以前『B'z、X JAPAN、ZARD… ブリザードが90年代のビッグネームに与えた影響』で書いたように非公表だが、ブリザードの松川RAN敏也のソロ作のヴォーカリスト(Mr.CRAZY TIGER)として、キャリアをスタートし、荒削りながら、よく伸びるハイトーンヴォイスをお披露目した。

最終的には、ビーイングの長戸大幸氏が、稲葉の歌唱テープを松本に渡すことによって、ジャパメタムーブメントと少なからぬ関連のあった2人が繋がり、B’zがスタートするのだ。

B’zのスタートはTMネットワークの延長線上ユニット


ビーイングのプロデュース方針も大きかっただろうが、デビュー当時のB’zは、二人のルーツにあるHM/HRを、そのままストレートにやることに固執せず、意外にもTMネットワークの延長線上にある、ダンサンブルなデジタルビートを駆使したサウンドで、自分達の音楽を表現した。また、HM/HRでは当たり前のバンド形式に拘らず、ヴォーカルとギターによるユニット編成をとった。

あくまでも拘ったのは、どうすれば売れるのか、という点だ。松本は、アルバム3作以内に絶対ブレイクさせる目標を立てたという。売れてこそナンボ、という松本の逆算思考は実に潔く、見事に有言実行したのは周知の通りだ。

近年、B’zがメタル専門誌に初めて掲載され、HM/HRファンの物議を醸し出したのは記憶に新しい。B’zは果たしてメタルなのか否か? 禅問答のようだが、僕は、正解でもあるし、不正解でもあると思う。

80年代ジャパメタ究極の進化形、奇跡的なバランスで生まれたロックモンスター


ここまで見てきたように、B’zは80年代のジャパメタムーブメントのフィルターを色濃く通過して生まれた。そこにTMネットワークをはじめ、主に松本に内包された様々な音楽のエッセンスがミックスされていった。

ある意味、B’zは「80年代ジャパメタ究極の進化形」と言えるのではないか。したがって聴き手の受け止め方次第で、メタルか否かの評価は異なってくるはずだ。

音楽性や成り立ちが全く異なるが、HM/HRを直接演るのではなく、あくまでも楽曲やライヴでの表現において、エッセンスとして盛り込んでいく方法論は、アルフィー辺りに近いのかもしれない。ブレイク後に自らのルーツに原点回帰し、HM/HR系のサウンドを披露していく手法もどこか似通っている。

こうしてB’zの独自性を見ていくと、彼らがメタルなのか否かを論じること自体が、周回遅れに思えてくる。B’zはそこには収まらない独自の音楽性と世界観を確立し、何周も先をひた走っているからだ。だからこそ、これだけ永きに渡りトップランナーとして君臨し続けられるのだろう。

80年代を彩った様々な音楽的ファクターから、奇跡的なバランスで生み出されたロックモンスター、B’z。音楽シーンを先導する彼らの動向から、今なお目が離せない。



2021.02.22
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