1月1日

大瀧詠一とビートきよし、奇跡のクロスオーバーと類まれなるコミックソング

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年末年始は「大瀧詠一・ビートきよし・うなずきマーチ」3つ揃ったメモリアルデー


早いもので、大瀧詠一サンが亡くなられて、もう6年が経つ。昨日―― 2019年12月30日は、大瀧サンの七回忌だった。

そして―― 今日、12月31日はビートきよしサンの70回目の誕生日である。もちろん、女優の中越典子サンやお笑いタレントの東貴博サン、元大関の小錦サンの誕生日でもある(他にも大勢いる)が―― まあ、今回はきよしサン、フィーチャーで。

そう、大瀧詠一サンとビートきよしサン――。この一見、何の接点もないように見える2人だが、人生でただ一度、2本の曲線が交わった瞬間がある。それが、本コラムのタイトルにもある「うなずきマーチ」である。

 ナナナ ウナ ウナウナナ(ズキ)
 ナナナ ウナ ウナウナナ(ズキ)
 ナナナ ウナ ウナウナナ(ズキ)
 ナナナ ウナナ ウナズキ マーチ

リリースは、1982年1月1日。そう、明日で発売から38年になる。作詞・作曲:大瀧詠一、歌うは、うなずきトリオ―― ご存知、ビートきよし、島田洋八、松本竜介の3人だ。それぞれの漫才コンビ(ツービート / B&B / 紳助・竜介)のツッコミ担当で、きよしサンはそのセンターである。

奇しくも―― 12月30日、31日、1月1日と、年末年始でメモリアルデーが3つ揃ってしまった。そんな次第で、今回は大瀧サンときよしサン、そして、その接点である「うなずきマーチ」について語りたいと思う。

意外なほど似ている2人の境遇、運命の人は細野晴臣とビートたけし


先に、2人の接点は “人生でただ一度” と書いたが、実は意外なほど彼らの境遇はよく似ている。大瀧サンは1948年の生まれ、きよしサンが1949年と、年齢はわずか1つ違い。出身も、大瀧サンが岩手県梁川村(現: 奥州市)で、きよしサンが山形県最上町と、どちらも東北人だ。しかも、2人の住む町は直線距離で50キロと離れていない。

高校卒業後の足取りもよく似ている。大瀧サンが67年、きよしサンが68年と、相次いで上京する。大瀧サンは一旦就職するも、すぐに辞めて翌年、早稲田大学第二文学部へ入学。片や、きよしサンは東京宝映の養成所を経て、浅草のストリップ劇場「ロック座」の幕間芸人となる。

そして―― ここで2人は運命の人と出会う。早稲田の大瀧サンは共通の友人を介して1つ年上の立教の細野晴臣サンを紹介してもらい、意気投合。細野サンが新たに作るバンドへの誘いを受ける。一方、ロック座のきよしサンも、同じ浅草にあるフランス座の幕間芸人をしていた3つ年上のたけしサンと知り合い、漫才コンビの結成を持ちかける。

かくして、ここに音楽とお笑いという異分野ながら、2つの歴史的グループが誕生する。“はっぴいえんど” と “ツービート” である。

登場が早すぎた2つのグループ、はっぴいえんどとツービート


とはいえ――
少々、2つのグループは登場が早すぎた。その作風(芸風)は先進的ながら、市場にあまり受け入れてもらえなかったのだ。

はっぴいえんどは、細野晴臣、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂の大学生4人で結成された、ロック黎明期に日本語ロックを構築したバンド。3枚のアルバムと3枚のシングルを発表するも、世はフォーク全盛期。一部のインテリなファン層や音楽評論家筋の評価は高かったものの、セールスは低迷。結成からわずか3年で解散する。

一方のツービートも、当初、きよしサンがネタ作りとボケを担当していた役割を交代。たけしサンが速射砲のように下ネタから差別ネタ、放送禁止用語を喋り倒し、それにきよしサンがツッコむ芸風を確立するが―― こちらも立川談志をはじめとする業界内での評判は高かったものの、その過激さゆえにテレビ出演の機会は少なく、ブレイクできずにいた。

はっぴいえんどの解散以降、大瀧サンは自身のレーベル、ナイアガラ・レーベルを設立し、いくつかの企画アルバムを発表するも、マニアックすぎるがゆえに、通称 “ナイアガラー” と呼ばれる特定のファンにしかウケず、やがて開店休業状態に陥る。

それぞれの転機と運命のコンテンツ、「A LONG VACATION」と「オレたちひょうきん族」


1980年―― やっと “転機” が巡ってきた。
この年、大瀧サンは CBSソニー(当時)へ移籍し、長い休眠から覚めたように、精力的にレコーディングに取り掛かる。

一方、お笑い界では突如、漫才ブームが巻き起こる。その波はフジテレビの『THE MANZAI』から拡散し、B&B、紳助・竜介、ザ・ぼんちら若手漫才コンビが一躍脚光を浴びる。その中の4、5番手にツービートもいた。

そして81年、運命の年を迎える。
まずは3月21日、大瀧サンの5枚目のオリジナル・アルバム『A LONG VACATION』がリリースされ、夏にはオリコンのアルバムランキングで2位まで上昇。発売1年でミリオンセラーを記録する。

そしてツービートは、元旦に『ビートたけしのオールナイトニッポン』が始まったのを機に、男子中高生から圧倒的な支持を得るようになり、同年5月16日――特番1回目の『オレたちひょうきん族』で、たけしサンがタイトルコールの役を得る。つまり、番組の座長となる。

この特番1回目で最も笑いを誘ったのが、本コラムの冒頭でも紹介した “うなずきトリオ” である。もちろん、この日が初登場。漫才コンビのパッとしない方と言ったら申し訳ないが、今でいう “じゃない方芸人” である。それを3人集めて、漫才をさせたのだから、そのシュールさと言ったらなかった。『アメトーーク!』がやる30年近くも前に、既にそのパターンの “笑い” を発明していたのである。

黄金の6年間とはクロスオーバー、全てのジャンルが交わった奇跡の時代


思えば、『ひょうきん族』はインテリ好きのする番組だった。オープニングは、ロッシーニ作曲の歌劇「ウィリアム・テル」、エンディングは EPO の『DOWN TOWN』と、妙にオシャレ。ゲストもユーミンやYMOなど、本家の『ザ・ベストテン』に出てくれない人たちが、「ひょうきんベストテン」には出てくれるという有様だった。

この現象こそ、本リマインダーで再三、僕が唱えてきた「黄金の6年間」の言うところの “クロスオーバー” である。1978年から83年にかけての6年間、音楽もお笑いも文学も映画も広告もパルコも―― 全てのジャンルが垣根を超えて交わろうとした奇跡の時代。『ひょうきん族』も、その中の1つだった。

もうお気づきだろう。大瀧詠一サンとビートきよしサンの距離も、ぐっと近づいてきたことを――。

ナイアガラの大躍進とツービートの大活躍!


1981年夏、大瀧サンのアルバム『A LONG VACATION』がオリコンランキングで2位まで上昇した同じころ、『オレたちひょうきん族』も特番7回目にして、初めて視聴率を二桁に乗せる。裏番組が強敵 TBSの『8時だョ!全員集合』であることを思えば、それは快挙だった。

ちなみに、この回はパイロット版の「タケちゃんマン」が初登場した記念すべき回であり、「ひょうきんベストテン」の第1位は、ビートきよしサンの歌う「雨の権之助坂」だった。そう、ツービート大活躍。そして、この視聴率を受けて、晴れて『ひょうきん族』の10月からのレギュラー放送が決まる。

同年10月10日、レギュラー版『オレたちひょうきん族』がスタート。相変わらず、うなずきトリオの人気は高く、DJスタイルの「オールナイトひょうきん」が彼らの定番コーナーだった。3人が黒部峡谷の宇奈月温泉を訪れるのも、この頃である。

イモ欽トリオのパロディ、うなずきトリオ。盟友たちと運命の引き合わせ


運命の瞬間は刻一刻と近づいていた。
ある回のこと。「ひょうきんベストテン」で、うなずきトリオの3人がイモ欽トリオに扮し、大ヒット中の『ハイスクールララバイ』を歌った。その様子を偶然、テレビで大瀧詠一サンも見ていた。この時、メロディーがどこへ行くか分からない彼らの歌に、大瀧サンはインスピレーションが閃いたという。言うまでもなく、『ハイスクール~』は大瀧サンの盟友、松本隆サン、細野晴臣サンが手掛けたもの。何か波長を感じたのかもしれない。

運命の引き合わせか、うなずきトリオの新曲の依頼が、大瀧サンのところへやってくる。曰く、打ち合わせの段階では、既に頭の中ではイメージが出来上がっていたという。

 今日も元気だ 首すじ軽い
 前後左右に 縦横無尽
 手塩にかけた このうなじ
 明日もうなずきゃ ホームラン

11月中旬、レコーディング。そして12月には番組内で歌が披露された。メインボーカルがきよしサン。それを左右から洋八サンと竜介サンがコーラスを入れたり、ハモる編成だ。

 西へ行っては うなずいて
 皆 見に来ても うなずいて
 北いにこたえ うなずいて
 東 ずんでも うなずいたよ

奇跡の交差が生んだ類まれなるコミックソング「うなずきマーチ」


なんだろう。このメロディーの小気味良い感じ。そこへ、きよしサンの微妙にヨレた節回しのボーカルが乗り、左右2人の「♪ ナナナ ウナ ウナウナナー」のコーラスが重なる。一度聴くと、ある種の中毒というか、もう一度聴きたくなる。これは、よほど3人の声質と音域を理解した上で作ったものだろう。恐らく―― 確信犯だ。

 よしなさい よしなさい
 よしなさい よしなさい(メモレー)

音作りの職人でありながら、昔からクレージーキャッツを崇拝し、笑いへの造詣も深い大瀧詠一サン。運命のいたずらか、同じ東北人で一歳違いのビートきよしサンとの奇跡の “交差” が、類まれなるコミックソングの名曲を生んだのだ。

明日、1月1日は、この『うなずきマーチ』がリリースされてから、38年目です。
そう、名曲は色褪せない。

皆さん、本年もお世話になりました。来年も、よしなに――。


※ 指南役の連載「黄金の6年間」
1978年から1983年までの「東京が最も面白く、猥雑で、エキサイティングだった時代」に光を当て、個々の事例を掘り下げつつ、その理由を紐解いていく大好評シリーズ。

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2019.12.31
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カタリベ
1967年生まれ
指南役
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