1977年 3月20日

ファーストアルバム「タモリ」戦後日本を代表する天才芸人の純然たる証

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photo:SonyMusic  

天才芸人としての純然たる記録、パンキッシュな即興芸の数々!


ファーストアルバム『タモリ』(1977年)。世間では、あのタモさんがアルバムを出していたことすらも知られてなさそうだが。1975年の芸能界入りから80年代半ばまでに企画された5枚のアルバムのうち、はじめの3枚は稀代の天才芸人としての純然たる記録盤だった。

たとえば、国営放送のお便り番組、料理番組、教養講座、大相撲中継、さらには演歌、伝統芸能、民族音楽など、どこか無機的で厳かなイメージにある文化の数々を容赦なく滑稽化させていくこと。本作にぎっしり収録されたパンキッシュな即興芸の数々こそ、彼本来の姿といえる。小学生のとき偶然聴き、後々整理がついてきて、今日び自分の中でそのカッコよさとは “日本人の新しいプライドの形” なのだと解釈している。

おそらく、自分たちの文化をこれほど笑いものにする民族は稀なものだろう。マイケル・ムーアみたいに政治的ニュアンスで嘲笑うわけでなく、ただ単に面白がるという思考回路が珍しいのだ。

日本は、欧米に依存する小さな島国。外来文化が屈折しやすい環境にあり、明治より西洋コンプレックスとの下手な付き合い方を長々とつづけてきた。ところが戦後のいつ頃からか、近現代民俗史にしみこんだインチキくささを一種のブランドとして受け入れる姿勢が徐々に身についてゆき、多くの日本人には、文化の狭間に生じるズレに対して他民族よりも理解力があるという “ユーモアのプライド” が潜在している。

タモリといえば密室芸、「デタラメ外国語」「ハナモゲラ語」…


孤高の時代のタモリを心底笑えるリスナーは、湿気にとり巻かれた世界から宇宙へと飛びぬけて俯瞰し、日本人としてあるべき楽な佇まいを確認することになるのだ。奇しくもそれは、“密室” の中で行われていた純粋な悪ふざけに他ならない。

密室芸と称された無数のレパートリーの中でも後世に語られやすいのが「デタラメ外国語」と「ハナモゲラ語」である。世界の言語がもつ独特の語感・イントネーションを模写した、限りなく言語に近い非言語。意味に生きている人間にとって、意味のないものを単調にならず口にすることは本来至難の業だ。しかも、裏側に各国のステレオタイプなキャラクターが貼りついている。言語じゃなくてもある程度伝わるという、人間のしくみを明かす芸とも言えるだろう。

その中で「ハナモゲラ語」とは、日本語っぽい非言語という「デタラメ外国語」の進化形。山下洋輔一派との交友から自然発生したものらしく、いわば彼らの友情の証となる共通語である。かつては「四ヶ国語麻雀」「イグアナ」と並ぶタモリの代名詞であったが、個人でメディア消費することを拒んでか、脱力司会が板についた90年代以降彼の口から「ハナモゲラ語」が披露されたことはほとんどない。

お笑いビッグ3「タモリ、たけし、さんま」をピッチャーにたとえると?


お笑いビッグ3=タモリ、たけし、さんまは、野球のピッチャーにたとえると分かりやすい。明石家さんまは、とかく完投する。絶対にマウンドを譲らず、体力が途切れることはない。彼の場合、個人プレーかチームプレーかの二者択一ではない。自分の活躍はもちろん、自分を起点とした各選手の活躍も常に念頭に置き、そればかりか対戦チームとの攻防のプロセス(試合の盛り上がり方)までも演出しながら一球一球を投げている。すべてを手に入れようとし、実際手に入れてきた強欲のピッチャーだ。

対してビートたけしは、試合に来ない可能性が高い。チームが勝つかどうかなど端からどうでも良く、その時間にどれだけ予想を裏切れるかを美徳としている。とりあえず審判めがけて投げてみる。グローブめがけてグローブを投げてみる。バッターが塁に出たら一緒に走ってみる。そんな感じでただルールを破壊しているだけなのに、結果周囲には新しいエンターテイメントだとして賞賛されてしまう。本人にもわからない不思議な人徳をもつピッチャーだ。

そしてタモリは、魔球を出し惜しみしている。現場にはいつも遅れずやって来る。けれど、そんなに試合に出たくもない。出たい人が他にいればあっさり譲る。誰とも共有しない楽しみ方があり、基本的には自分の手柄が表立たなくて良いと考えている。そのわりにときどき本気になると、見たことがない球をいくつも投げる。鈍いのが相手ならフォアボールだが、打ち返すことは誰にもできない。

いわゆる、0か100かのピッチャーだ。昔から自分がタモリびいきだった理由は、協調性があるようで無い、その生き方にも共感をおぼえたからかも知れない。

守るべきところは守り、嘘をつかずして周囲と上手に関わりあうが、徒党は組まない。労働社会のルーティーンを身につけていながら心情的には世捨人なのである。ぼくは100のときのタモリも、0のときのタモリも同じくらい好きだ。

大概が0なので、100のタモリがときどき恋しくなったら、このアルバムをひっぱりだして聴くことにしている。


※2018年3月20日、2019年3月20日に掲載された記事をアップデート

2020.08.22
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