8月5日

仕掛け人・萩本欽一と「ハイスクールララバイ」視聴率100%男の真実

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イモ欽トリオのデビューシングル「ハイスクールララバイ」がリリースされた日
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歴史は後から作られる。

例えば、今年の暮れに50作目が公開される映画『男はつらいよ』――。今でこそ寅さんシリーズは “日本人の心の故郷” なんて持ち上げられるけど、80年代後半には世間からマンネリと敬遠され、むしろ併映の『釣りバカ日誌』の方が人気を博して、寅さんが始まると席を立つ客も目立ったほど――。

70年代を代表する2大ガールズグループ―― キャンディーズとピンク・レディーの関係性も、両者はよくライバル視されるが、リアルタイムの比較だと、3年遅れでデビューしたピンクは人気・セールスとも時代のトップランナーで、片やキャンディーズは数ある人気アイドルの中の一組という印象。ただ、衝撃の解散宣言から満員の解散コンサートへ至る有終の美で、解散後にピンクのライバルになった感がある。

その流れで言えば―― 萩本欽一、欽ちゃんの人気も、80年代前半には、出演する番組が軒並みヒットして「視聴率100%男」と呼ばれた―― なんて伝説が語られがちだけど、実際の空気感はちょっと違う。既に、1980年の漫才ブームで笑いの質が変わり、特にビートたけしのブレイクで、世の男子中高生はみんな たけしサンを笑いの教祖と崇める一方、欽ちゃんの笑いは既に時代遅れになっていた記憶がある。

じゃあ、なぜ「視聴率100%男」と呼ばれたのか。
そこだ。それが今回のテーマである。

思うにそれは、芸人・欽ちゃんの人気というより、プロデューサー・萩本欽一が仕掛ける番組や、その出演者たち、そして彼らが歌う楽曲の人気ではなかったか。そう、今日、8月5日は、今から38年前の1981年に、まさにその象徴である、イモ欽トリオの「ハイスクールララバイ」がリリースされた日に当たる。

話は少しばかり、さかのぼる。

時に1974年―― 僕が小学生に上がった年、あるラジオ番組が中高生に人気を博していた。ニッポン放送の『欽ちゃんのドンといってみよう!』である。夜9時台の10分ほどの帯番組で、スポンサーは集英社。日替わりで様々な投稿コーナーが用意され、欽ちゃんがハガキを読んで、面白かった作品に賞をあげるという内容だった。その中で、確か水曜日だったと思うが、一番人気の『レコード大作戦』なるコーナーがあった。例えば、こんな感じだ。


 【母と子の会話】
 子:「母ちゃん、どうして毎日、相撲ばかり見てるの?」
 母:「うるさいわね…… アラやだっ、まわしが取れた!」

 ~ここでレコードが流れる~

 ♪ ゆらゆらゆれる……
 (小柳ルミ子「私の城下町」より)


―― とまぁ、実に他愛もないネタだが、これでも当時は最先端の笑いで、僕は眠い目をこすりながら、中学生の兄と毎週水曜日だけ聴いていたのを覚えている。

それから、割とすぐにフジテレビで、欽ちゃんを司会に新番組が始まった。1975年4月、土曜夜7時半から90分の番組で、その名も『欽ちゃんのドンとやってみよう!』―― そう、先のラジオ番組のテレビ版だった。

目玉コーナーは、やはりラジオ同様『レコード大作戦』である。スタジオのセットは、観客を背に、司会の欽ちゃんとレギュラーの前川清、そしてアシスタントの香坂みゆきが座る珍しいスタイルで、観客の笑いが画面からダイレクトに伝わる趣向だった。この時、テレビ用に採用された新たなシステムが、読まれたハガキがどれくらい笑いを取ったか、3つに判定するというもの。それが―― 〔バカウケ〕、〔ややウケ〕、〔ドッチラケ〕―― だった。

同番組で印象に残っている出演者が、先の前川清サンと、彼が所属する内山田洋とクールファイブの面々、それに素人から人気が出た「気仙沼ちゃん」なるブスキャラの女の子だった。特に前川サンのトボけた喋りが面白くて、番組内で欽ちゃんと「コント54号」を結成して、コントや漫才を披露したこともあった。

今、記録を見ると、同番組は休止を挟みながら80年3月まで続いたことになっているが、勢いがあったのは、せいぜい最初の2年間だけだったと思う。何せ、その裏には、あのバラエティ番組の王者―― TBS の『8時だョ!全員集合』が控えていたからだ。そう、俗に言う TBS とフジテレビの土8戦争である。

もともと、この枠はそこからさかのぼること10年以上前、1968年にフジテレビの伝説の女性プロデューサー、常田久仁子サンが、欽ちゃんと相方の坂上二郎サンの「コント55号」を起用して、『コント55号の世界は笑う』を仕掛けた枠だった。当時、55号は大ブレイクを果たすも、やがて69年にスタートしたドリフターズによる『全員集合』に敗れた因縁の歴史があった。

つまり、欽ちゃんはドリフと2度対戦して、2度敗北する屈辱を味わったのだ。だが、天才・萩本欽一はこれで終わらない。時間帯を変え、三度帰ってくる。少々前置きが長くなったが、それが本日のテーマに直結する、1981年4月にスタートしたフジの『欽ドン!良い子悪い子普通の子』である。

番組の枠は、後に数々のヒットドラマを生むことになる「月9」である。だが、当時、同枠は何をやっても当たらず、フジは欽ちゃんに「10年間は欽ちゃんに任せるから」と全面的に信頼した上での起用だった。「良い子悪い子普通の子」という、いわゆる “三段落ち” が企画の柱。タイトルはラジオ時代から愛称として使われていた『欽ドン!』が正式に採用された。

ヨシオ(山口良一)・ワルオ(西山浩司)・フツオ(長江健次)の3人はオーディションで選ばれたという。山口サンと西山サンは既にタレントとしてキャリアがあった(特に西山サンは中学時代に日本テレビの『スター誕生!』で欽ちゃんと出会い、弟子入りした経緯があった)が、長江サンのみ素人の高校生からの抜擢だった。しかも、一度オーディションに落ちての復活採用だったという。

そう、肝はフツオ役の長江サンだった。元々、ラジオ時代からリスナーのハガキで笑いを作ってきた欽ちゃんにとって、素人と絡んで、笑いを作り上げるのが彼の原点、いわばレーゾンデートル(存在価値)だった。

考えてみれば、55号の坂上二郎サンも元は歌手志望で、欽ちゃんと出会って、コメディの才能を引き出されたようなものだったし、『欽ドン』の土曜日時代に組んだ前川清サンも、欽ちゃんと組むことで、初めてあのユーモアあるキャラを開花させていた。その人の眠れる才能を掘り起こす―― それこそが天才・萩本欽一の持ち味だった。もはや、その才能はプロデューサー的と言っていい。

『欽ドン!』は当たった。番組は、ヨシオ・ワルオ・フツオの3人と欽ちゃんのやりとりがメインで、ラジオ時代から同様、視聴者からのハガキで構成された。ここで一躍人気に火が着いたのがフツオこと長江健次である。ごく普通の高校生である彼の朴訥とした持ち味を引き出したのが欽ちゃんだった。そして、あの名曲が生まれる。「ハイスクールララバイ」である。


 とにかく とびきりの美少女さ
 うかつに近寄れば感電死
 授業も上の空 よそ見して
 チョークが飛んで来た
 ハイスクールララバイ


作詞・松本隆、作曲・細野晴臣。2人の起用はプロデューサー・萩本欽一のまさに真価発揮だろう。元「はっぴいえんど」の2人だが、当時、松本サンは作詞家として上り調子のタイミング。初めて松田聖子のシングル「白いパラソル」を書いた頃で、ここから怒涛の聖子ソングの量産が始まる。一方の細野サンは、言わずと知れた YMO が大ブレイクした翌年である。5作目のアルバム『BGM』を出したのが春先で、その前衛的な作風が物議を醸していた。そう、人間、完成された時より、その前の上り坂の時代が最も面白いとされる、そんな絶妙なタイミングだった。


 100パーセント片想い
 Baby I love you so
 好き好き Baby
 100パーセント片想い
 ちょっと振られて
 フリフリ Baby


その曲は、見るからに100パーセント、YMO のパロディだった。前奏時の山口サンと西山サンの小芝居からして笑わせる。片やキーボードとシンセ、片やドラム―― もちろん “エア” プレイだ。そこへ、長江サンのフツーのボーカルが始まる。だが、ここで僕らは たちまちノックアウトされる。コミックソングと思えたその楽曲は、めちゃくちゃにカッコいいのだ。


 こんなに好きやのに
 つれないなぁ(ナア)


もちろん、欽ちゃんは、ボーカルの長江サンを生かすことも忘れない。素か確信犯か分からないが、サビの直前に入る棒読みの台詞が、この楽曲に絶妙なアクセントを与えたのは言うまでもない。

同曲は、オリコンで7週連続1位、TBS の『ザ・ベストテン』で8週連続1位と大ヒット。ミリオンセラーを記録する。そればかりか、ベストテンで2週連続1位となった1981年9月17日には、同番組史上最高視聴率となる41.9%を叩き出したのだ。

プロデューサー・萩本欽一の「視聴率100%男」伝説は、やはり本当だった。そして、この物語もまた「黄金の6年間」の1つであることを付け加えておく。

2019.08.05
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カタリベ
1967年生まれ
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