1990.6.15 FRI 新宿某所頭脳警察活動再開
文字だけの愛想のない小さな広告が1990年4月29日の朝日新聞の朝刊社会面に掲載された。この年から「みどりの日」(現・昭和の日)に改称された昭和天皇の誕生日に、「新宿某所」「活動再開」という告知。画数が多い漢字を見て胸を高鳴らせたことなんて後にも先にもこの時しかないだろう。
1975年に頭脳警察を解散した後、PANTA&HALやソロ活動を続けていたPANTAが、80年代の終わり頃から時々ライブで頭脳警察の曲を歌い始めたので「もしかしたら」という淡い期待を心密かに抱いていたが、年号が昭和から平成に変わったこのタイミングにその期待感はさらに盛り上がった。
活動を再開する「新宿某所」とは日清パワーステーションのこと。6月15日当日、会場内は不穏な雰囲気に包まれていた。頭脳警察の登場を待つ観客は右に左にゆっくりと波打つようにうねり、ひとつの意思を持つ生き物のように蠢いていた。
ライブではPANTAが何かに腹を立てTOSHIのコンガを思いっきり蹴飛ばしてひっくり返したり暴れる気満々。頭脳警察の活動再開を印象付けるものだった。
同じ年の11月11日には朝霞米軍基地跡(旧名称 キャンプ・ドレイク)でフリーライブが開催された。この翌日12日は皇居で「即位の礼」が行われるというこれまた図ったようなタイミングだ。
廃墟のような建物の間にステージが組まれ、その脇ではドラム缶の焚き火がたかれ、まさに「共謀罪」に触れそうな空間がそこにあった。爆竹の破裂音が響く中、復活の狼煙のような歌「腐った卵」が始まった。この瞬間こそが僕にとっての頭脳警察の始まりだった。
11月21日に7thアルバム『頭脳警察7』が発売、翌年5月に8thアルバム『歓喜の歌』が発売され、この時の頭脳警察の活動は終わる。その後も頭脳警察は散発的に活動を続けているが、この時の活動には心踊らされた。
昭和から平成に変わったこの時期を活動再開のステージに選び、頭脳警察にしかできない歌を響かせた。
偶然なのか、必然なのか、演出だといってしまえばそれまでだが、僕にとってロックと時代が交差する瞬間を肌で感じた貴重な1年間だった。
この1年間のせいで70年代の頭脳警察はどんなだったんだろう? とさらに悩ましくなるんだけど。
2017.05.08
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