杉真理さんは私の人生で知り合ってよかった人ベスト10に入る。出会いはもちろん『ナイアガラ・トライアングル Vol.2』。「Nobody」「ガールフレンド」「夢みる渚」「LOVE HER」。スイートなのにコーラスに回っても埋もれない強い声。曲にはビートリーな要素がいっぱいで、ポップス界に王子登場! とまだ10代だった私は思った。
仕事で会えるようになったのは87年頃で、アルバム『HAVE A HOT DAY!』くらいから『WORLD OF LOVE』あたりまで “CD でーた” という雑誌で担当させてもらっていたはずだ。杉さんの世界にはあふれるほどの愛と笑顔、涙の先に射す光があった。救いのない哀しみや怒りや悔しさは絶対に歌わなかった(だってそんなの歌いたくないじゃん、と本人談)。ハッピー・プリンスは期待を裏切らなかった。
やがてレコード会社の移籍などで取材の機会がなくなり、いつのまにか疎遠になってしまった。再会したのは14~5年前だと思うのだが、きっかけを劇的に描写したいのに私の頭はそれをまったく思い出してくれない。なぜだろう。不思議なくらいに思い出せない。とにかく今度は呑み友達の輪に入れてもらえ、たくさんの楽しい夜を過ごすことになる。
杉さんのジョーク好きは常軌を逸しているところがある。自分のラジオ番組で毎回やっていたものすごく手の込んだショートコントをまとめて CD 焼いて配ったり、毎年4月1日にはかなりブラックな嘘メールが友人一同(竹内まりやさんから私にまで)に届き、それにどう返信するかでこちらの腕前が問われたり。人を楽しませることにとにかく時間と手間を惜しまない。
2008年の3月9日、私は友達を亡くした。レピッシュの上田現。癌に侵され、余命3か月の宣告から1年半頑張ったものの力尽きてしまった。亡くなる前日にマネージャーから「会いに来い」と呼ばれ、10数人の友達とともに最期を看取った。葬儀は13日。翌14日は杉さんの誕生日だった。私は例年通りおめでとうございますメールを送り、友達が死んだこと、ずっと哀しかったけど今日は杉さんが生まれた日だと思ったら少し元気が出たことを書いた。
アインシュタインと同じ3月14日生まれの杉さんの誕生日には毎年呑み会があった。でもその年は杉さんのデビュー30周年ということで、日にちをずらしてパーティーが開かれることになっていた。夕方、突然のメール。「やっぱり誕生日だから集まりたい。来れる人は来て」。その頃お気に入りだった渋谷にあるピザの美味しいカレー屋さんに、当日招集だというのに10人以上が来た。私も久しぶりに大笑いができた。
散会のとき、杉さんはいつもみんなとハグをする。私の番になり、耳元でふいに聞こえたささやき声は「元気になった?」。あぁこれは自分の誕生日にかこつけた私のための会でもあったのか…。今思い出しても涙が出そうになる。杉さんが作る曲は聴き手の心にほのかな灯りをともす。その火種は消えることがない。還暦を過ぎた童顔の王子は今日も誰かを笑顔にしているはずだ。
※2017年3月14日に掲載された記事をアップデート
2019.03.14
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