私はかなり物持ちがいい。でも昨年実家の片付けをして物をとっておくことは決していいことではないとわかったのでいろいろ捨てたいのだが、たまにこんなものが出てくるから困る。
アルバムやシングルの音が上がると試聴用カセットテープと一緒に(その後MDになりCDーRになり今はデータがほとんど)レコード会社が送ってきた紙資料の束。昔はディレクターの腕の見せ所とばかりに凝ったものも多かった。
ユニコーンの紙資料は自身もドラマーであるディレクター・マイケル河合氏による文章がものすごく面白くて、毎回楽しみだった。
2ndアルバム『PANIC ATTACK』の惹句はこうだ。“ユニコーンは錯乱しました。パニックのあまり1stアルバムも裏切りました。『PANIC ATTACK』はなんの延長線上にもありません。” この後の展開を思えば微塵も錯乱していないように思うのだが、それはまあ仕方がない。温泉で撮影した「ペケペケ」のPVは確かにちょっと錯乱している。
88年7月にリリースされたこのアルバムの前にはもう日本青年館を埋められるほどの動員があった。99.9%が女子だった。だからライブ後の場内は体育祭が終わったあとの女子更衣室の匂いがした。
私はこの青年館のライブ評でユニコーン=チープトリック説を書いており、イケメン組とそうではない組(失礼)をジャケットの表裏で分けたチープトリックの名盤『蒼ざめたハイウエイ』を思わせるこの『PANIC ATTACK』を見てほくそ笑んだ。
そして問題の『服部』である。CDショップがディスプレイに困ったあのジャケットである。しかしマイケルさんは真面目にこう綴っている。
“気合いでもメッセージでも叫びでも怒りでもない、音楽というつくりものをできるだけ美しくつくろうという気持ちのかたまり、それがユニコーンの『服部』です。多少ヒキョーな手段を使ってもとにかく目的は果たした、とユニコーンの連中はホッとしています。”
このへんから名盤『ケダモノの嵐』に至るあたりで奥田民生の人気が爆発した。とにかくモテた。少女漫画界にもまつ毛が長くて少しタレ目でへの字口の男子が増殖した。
本人はいつも飄々としており、モテとは逆方向の言動も多かった。それでもモテた。レピッシュの恭一(当時の表記は狂市)はNYの街角で民生に間違えられていた(当時は確かに似ていたし私服の系統も近かった)。
『服部』に先んじて89年4月にやっと出た1stシングルは人事異動に翻弄される悲哀を歌ったオーケストラ・パンクの「大迷惑」。予想を豪快に裏切っていくチームプレイが気持ちよかった。
カセットテープでも売られ、B面はカラオケだった。民生が歌唱指導をしていた。リリース当時は学生でも社会人になって夜の街で涙ながらにこれを歌った人はいるだろうか。
2017.04.24
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