京都・賀茂川にかかる出雲路橋の西詰(橋の西側っていうこと・念のため)から川沿いを北に向かって歩き、ちょっと大きなグラウンドを通過しながら300メートルほど行ったところに聖地はあった。 そこはひざ上ほどの低い立木に囲まれた30平方メートルほどのスペース。冬の冷たい北風を和らげることはなく、夏の暑い陽ざしをさえぎることもない。やや高い位置にある川沿いの加茂街道からは丸見えなので、こっそりと仲いいことをしようとするカップルや近所の子どもを連れて散歩するママも見当たらない。 それでも「賀茂川日焼け倶楽部」にとっては部室であり、練習場所であり、憩いの場でもあった。 1985年3月に創設されたこの倶楽部は、来るべき就職活動に向けて、その対策を講じることを目的にしていた。あの頃の就職活動といえば、企業から①社会常識、②健康な肉体が求められていたこともあり、日々の活動から、それを身につけようとしていたのである。部長と主将を2トップに、多いときには十数名の男子大学生が参加していた。女子部員がいなかったのは、とても残念である。 部長のE君は、常に京都新聞を持ってくる。これを隅々まで読むことで、面接官の厳しい質問攻めにも耐えられる程度に、社会の動向を頭に叩もうとしていたのだ。この新聞は貴重だった。何せ新聞を取れるほどの生活費を確保していた部員は他にいない。これを部員に回し読みさせることで、E君は部長の立場を得ていたのだ。 練習は厳しい。全員がほぼ裸となり陽ざしを浴びる。「はい上向き」と主将の号令がかかると全員が仰向けになる。もちろん、「はい下向き」との合図ではうつ伏せになる。時折、加茂街道から「アホな学生が、アホなことしとるわ」てな顔の通行人がのぞくが気にしない。 京都の3月は寒く、北風ビュービューの中でも問題ない。日によっては終始サブイボが立つが部員の熱気でもろともしない。ちなみにサブイボは、全国的には鳥肌のことだ。 練習が中盤になると異種格闘技戦を行う。アメフト選手、元空手部員、新聞部員、スキーショップのバイト、歴代の横綱をすべて暗記している男などが集まっていたこの集団は、なぜか格闘好きばかりだった。当然ながらプロレス好きも多いので、自然と異種格闘技戦となったのだ。 E君が得意としていたのは卍固め。元空手部員との対戦では、ローキックをもろともせず組み付くと、いつの間にか技に入る。その威力には定評がある。「さすがに猪木ファンのフィニッシュは卍固めだな」と称えると、「違う!!! 俺の技は天龍だ」と宣う。どこが違うんだろうか。 ただし、天龍源一郎が、賀茂川日焼け倶楽部の部長をも魅了していたことは間違いない。 最近、“滑舌の悪いおじさん” としてバラエティ番組やCMにも起用される天龍だが、これは昔から。本人は40年もの長い間のどへの攻撃を受け続けてきたこと、酒を飲みすぎたことが理由だとしている。しかし、現役時代にマイクパフォーマンスを聞いたことがあるが、さっぱり聞き取れなかった。この原稿を書きながらYouTubeで確認してみたが、やっぱり聞き取れない。 ただしこの人、いい意味で変わったレスラーだ。大相撲の力士としてバリバリに活躍していたのは周知の通りだが、転向直前の場所では勝ち越していたし、最高位も前頭筆頭だから絶対に強い。いろいろあったのだろうけど、全日本プロレスに入団するという決断をしたことが、まずは変わっている。 80年代に入ると、少しずつ力をつけて「風雲登り龍」なんて呼ばれ、さっさと全日第三の男となったが、これは「変わっている」とは言えない。変わっているのはその後の行い。 1)新日の総帥、アントニオ猪木スペシャルの「卍固め」や「延髄斬り」をあっさり全日で使ってしまう。 2)ジャンボ鶴田と「鶴龍コンビ」を結成。全日最強タッグとなり、馬場さんにどいてもらった。 3)長州力率いるジャパンプロレスが全日マットに登場すると、それに呼応するように闘争心を前面に押し出すスタイルに変更。さらには、圧倒的なパワーでジャパンプロレスの連中をいじめていた。 4)長州たちがいなくなると、ラグビー世界選抜に選ばれた経験を持つ阿修羅原と「龍原砲」を結成。ジャンボとシングルで対戦するなど、全日にあらたな風を吹き込み、ファンをつなぎとめた。 5)90年以降はSWSに移籍したり、WARを設立して新日に参戦したりするなど目まぐるしく動く。 6)女子レスラー・神取忍とも闘うし、ハッスルにも出るし、その後はもうプロレスのためなら何でもあり、という感じ。 しかし、近年のプロレス人気の復興を考えると、プロレス低迷期にも体を張り続けたこの人の功績はとてつもなく大きい。そんな天龍の入場は、いつも「サンダーストーム」と共にあった。あの高中正義の名曲で、1981年のアルバム『虹伝説 THE RAINBOW GOBLINS』に収録されている。そりゃ、カッコいいわけだ。 ついでに引退のときには『天龍源一郎 引退(革命終焉)-THUNDER STORM-』と題して、高中さんがリングで生演奏したこともある。こりゃすごい。「滑舌の悪いおじさん」は、まさに「ミスタープロレス」と呼ばれるにふさわしいカッコいい人だったのだ。 さて、余談だが、E君は聖地で学んだ社会常識と日に焼けて健康そうな顔色で、見事誰もが知っている超有名企業に内定。聖地での厳しい修行の成果を部員に示した。それから30数年を経過した今も京都に住み、鴨川(ある地点から字が変わってこのように書く)のそばから離れようとしない。
2017.12.28
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