3月6日

伊藤銀次の証言!佐野元春とハートランドの快進撃が始まった〜東松山女子高の奇蹟

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佐野元春 with ザ・ハートランドのライヴが東松山の女子高校で開催された日
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佐野元春との出会い、音楽家としてのセンスの良さと感覚の鋭さに脱帽


不遇の70年代のトンネルをくぐり抜け、80年代に入ろうとした時、佐野元春と出会うことができたことは、僕のその後の音楽活動にとってとてもエポックメイキングな出来事だったことはいうまでもない。

人は出会いを自分で選ぶことはできないけれど、自分の中で音楽的な思いを深くして活動していれば、きっと同じように深く音楽に身を捧げている才能あるアーティストに出会える。彼との出会いはそれからの僕にそんな音楽のおとぎ話を信じさせてくれるものだった。

彼のファーストアルバム『Back to The Street』のアレンジャーとして彼と出会った時から、その音楽家としてのセンスの良さと感覚の鋭さに脱帽した僕は、仕事を離れて彼の音楽を世に知らしめることに力を貸したいと本気で思ったものだった。正直彼がこのままもし評価されることがなかったら、もう日本の音楽シーンも終わりだろうとまで思っていたものだった。

佐野元春にとってライヴとは? 辛抱強くステージをビルドアップ


ただその道は決して楽なものじゃなかったね。ちょうど70年代にシュガー・ベイブが『SONGS』という素晴らしいアルバムを発表してたのに当時はほとんど評価されなかったように、彼の音楽も一般的になかなか理解を得ることができなった。

そんな状況の中で僕が最も恐れていたのは、元春がいじけたりヤケになってしまわないか… ということ。盆栽のようにねじ曲がって育たず、まっすぐ伸びていってほしかった。

ところが元春はそんな僕の心配をはねのけるように、ライヴを一回やるごとに、聴衆にダイレクトに響いていく新たなアイデアを加え、辛抱強くステージをビルドアップしていった。ライヴこそが自分を最も的確に表現できる場所。ライヴこそが聴衆と確実なコミニューションを交わせる場所。そんな信念のもと、彼は自らの手足のようなバンド、ザ・ハートランドを根気よく創り上げていき、彼の思いを自由に表現できる音楽チームに仕立て上げていった。

佐野元春 with ザ・ハートランド伝説のライヴ “東松山の奇蹟”


そんな彼のアプローチがついにあるライヴで突然とんでもない爆発を見せた。それが1981年3月6日に東松山の女子高校で開かれた伝説のライヴだったのである。

このライヴは、在校生が卒業生を送り出す壮行会へのゲスト。会場は学校の講堂のようなところで、観客はもちろんセーラー服姿の女子高校生ばかり。ライヴが始まってすぐはまだおとなしくしていた生徒たち、ライヴが進んでいき、いよいよクライマックスの、元春十八番の「デトロイト・メドレー」「悲しきRADIO」のくだりにさしかかるや、なんとその生徒たちが総立ちとなって、ステージの際まで押し寄せて来たのだった。

それまで常宿でライヴをやってきた新宿ルイードでもそんなことはなかったのに、しかも女子校で、まるでビートルズのような熱狂状態になったのである。本編が終わって楽屋にはけてくると、なんと楽屋の窓を叩いて熱狂している生徒まで!!

パニクったベースの小野田清文の「一体どうなってんだ。まるでグループ・サウンドだよ」の一言を耳にしながら、僕は「おお、信じてやっててよかった! これはきっと、ここからやっと何かすごいことが始まるきっかけにすぎない」という確信を持つことができた。

案の定、この日を境に、まるで急な階段を一気に駆け上がるように、佐野元春 with ザ・ハートランドの快進撃が始まったのだった。初めて元春と聴衆のチャンネルがピタリと合った日、1981年3月6日は今でも忘れられないミラクルな日。僕たちハートランドはこの日の出来事を “東松山の奇蹟” と呼んだ。


※2019年8月27日、2021年3月6日に掲載された記事をアップデート

アルバム「SOMEDAY」リリース40周年☆特集 Early Days 佐野元春

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2022.06.04
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土屋 美哉
この時あの会場にいて、シャウトしていた素敵な思い出がこんな形で記事になってるなんて。80年、ラジオから流れてきたビートに魅せられ40年。81年にこんな素敵なライブの真ん中にいた。今でも一番の思い出。
2020/09/08 17:45
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カタリベ
1950年生まれ
伊藤銀次
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