12月12日

藤波辰巳「ドラゴン・スープレックス」入場曲にもなった不滅の大技!

25
2
 
 この日何の日? 
プロレスラー藤波辰巳がアントニオ猪木から初めてフォールを奪った日
この時あなたは
0歳
無料登録/ログインすると、この時あなたが何歳だったかを表示させる機能がお使いいただけます
▶ アーティスト一覧

 
 1985年のコラム 
デロリアンに乗って教えてあげたいこと、バック・トゥ・ザ・フューチャー

これぞ「ザ・エイティーズ」1984年から1986年はテッパンの3年間!

神脚本が生まれたヒミツ「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は何故ヒットしたのか?

レコードデビューは「仮面舞踏会」ジャニーズ史上最長グループ、少年隊の軌跡!

いつかは3人で!デビュー曲「仮面舞踏会」を歌う少年隊は輝きに満ち溢れている!

全米ナンバー1のシンガーソングライターが河合奈保子に提供した王道AOR

もっとみる≫



photo:HIP TANK RECORDS  

真矢ミキ主演ドラマ「さくらの親子丼」に出演した藤波辰爾


真矢ミキ主演のドラマ『さくらの親子丼』。古本屋の女主人が、行き場の無い人に親子丼を作って食べさせ、そして励ますという何とも心温まるストーリー。そこで出される親子丼が美味そうで、美味そうで、ついつい翌日の昼には茅場町の鳥専門店で食してしまう。「真矢さんに作ってもらったら、もっと美味いのだろうか」という妄想も味を引き立てることは間違いない。

そうそう、親子丼の話ではなく、古本屋の話。真矢さん演じるさくらはどうもプロレス好きらしい。“親子丼無料” につられてやってきた、態度の悪いヤンキーたちと乱闘になると、なんと “ドラゴン・スリーパー(飛龍裸絞)” を繰り出しているではないか。そして部屋の中には、炎の飛竜・藤波辰巳(現・藤波辰爾)のポスターが!(藤波はドラマの五杯目に出演した)Re:minderプロレス担当の私としては、ついついこの原稿を書きたくなってしまった。

レスラー藤波辰巳のニックネームは “ドラゴン”


70年代後半に、ドラゴンブーム(あのブルース・リーや倉田保昭の作ったブームとは異なる。念のため)を巻き起こした藤波は、とっても幸せなレスラーだ。ニックネームである “ドラゴン” が技の名前に付いてしまうからだ。

たとえば “ドラゴンロケット”。これは、メキシコ伝統のプロレス、ルチャ・リブレを代表する飛び技 “トペ” のことだが、藤波が繰り出した瞬間に “ロケット” となる(古館さんの命名か?)。ほかにもワンハンド・バックブリーカーを “ドラゴン・バックブリーカー” と呼んでいたし、“ドラゴン・スクリュー” や、前述したオリジナルの絞め技 “ドラゴン・スリーパー” などは藤波の専売特許。

このように自分の名が技の名につくのは、藤波と交代するようにジュニアヘビー級戦線に登場したタイガーマスク(初代)ぐらいではないだろうか?

ちなみに “ラリアート(Re:minderでは敢えて80年代初期の表現を使用)” は、使い手によってリキ・ラリアート(長州力)、ラッシング・ラリアート(ラッシャー木村)、ジャンボ・ラリアート(ジャンボ鶴田)などと呼ばれたが、これらは同じ技でもあり、いくつもの “ドラゴン” 名義があった藤波とは比べることはできない。

入場曲タイトルにもなった大技 “ドラゴン・スープレックス”


その中で、最もインパクトが強かったのが “ドラゴン・スープレックス”。これは、相手を背後からフルネルソンで捕え、そのまま後方に反り投げてブリッジしながらフォールするというというもので、相手はフォールされるというよりも、そのままギブアップもしくは失神KOの恐怖を味わう。まさに危険極まりない大技だ。

1978年1月、ニューヨークで行われたWWWFジュニアヘビー級選手権で初披露したが、「練習もしていない。咄嗟に出た」ということらしく、当然ながら名無しの技だった。そのため、試合後のインタビューで本人が慌てて命名したようだ。つまり、“ドラゴン名義の技” のきっかけは自身で作ったというわけだ。

この戴冠は藤波を一気にスターダムに押し上げた。そしてドラゴン・スープレックスは、藤波スペシャルとしてファンが期待する大技となり、オリジナル入場曲のタイトルともなった。この曲は、絶頂期を迎えた80年代のプロレスシーンには欠かせない名曲として、特に深い印象を残している。

アントニオ猪木にフォール勝ち!フィニッシュはドラゴン・スープレックス


ただし、技のほうはというと、藤波がヘビー級に転向して以降、あまり見ることができなくなってしまう。ヘビー級の背の高い、しかも重い選手を投げるには、ちょっと藤波は小柄すぎるのだ(といっても当時の身長は公称186㎝だったので、日本人としては十分デカいのだが…)。

一方で、「あまりに危険なので禁じ手となった」という話もあったが、実際にはデカい外国人レスラーを投げることも難しかったのではないかと推測される。

そんな事情のためか、80年代後半になると、入場曲「ドラゴン・スープレックス」に代わって、ほかの曲も使われたようだが、新日本プロレスが最も華やかだった時代の曲ということで、私自身はこの曲を推したい。

1985年12月12日。この日は、藤波にとってエポックメイキングとなった日だ。タッグ戦とはいえ、師匠のアントニオ猪木にフォール勝ちしたのだ。フィニッシュはもちろんドラゴン・スープレックス。デカい外国人レスラーでは危険だが、受け身も上手な猪木であればこその大団円。数年の間、繰り出すことのなかった大技を、師匠のために取っておいた、そんな印象を受けたフォールだった。


※2017年11月3日に掲載された記事をアップデート

2020.12.28
25
  YouTube / Records of the Wrestling World


  YouTube / WWE


  YouTube / Records of the Wrestling World
 

Information
あなた
Re:mindボタンをクリックするとあなたのボイス(コメント)がサイト内でシェアされマイ年表に保存されます。


おすすめのボイス≫
1967年生まれ
にしやん
さくらの親子丼に藤波辰爾出てましたよ(^ ^)
プロレス雑誌を買い取ってもらいに来てけど断られるチョイ役でした。
2017/11/14 00:08
1
返信
カタリベ
1964年生まれ
小山眞史
コラムリスト≫
55
1
9
7
7
アントニオ猪木の入場テーマ「炎のファイター」宿命のライバルは太陽にほえろ!
カタリベ / ミゾロギ・ ダイスケ
14
1
9
8
1
滑舌の悪いおじさん、天龍源一郎の入場は「サンダーストーム」と共に!
カタリベ / 小山 眞史
45
1
9
8
6
長州力はテクノの名曲「パワーホール」プロレスラーの入場曲はいつから始まった?
カタリベ / 指南役
112
1
9
8
3
ダイコンフィルムとトワイライト、オタクのテーマソングになった ELO の名曲
カタリベ / 鎌倉屋 武士
34
1
9
7
2
全日本プロレス旗揚げ50周年!X世代に刺さる入場テーマ曲ベストテン(昭和編)
カタリベ / ミゾロギ・ ダイスケ
12
1
9
8
5
長州力のパワーホール、革命に酔い、心がざわめく圧倒的インパクト!
カタリベ / 小山 眞史