(Vol.4からのつづき)どこの会社であっても、開発だからといって採算とれずに散財していては、周囲の理解も、上司の信頼も得られないのは、サラリーマンの皆さんもご存知の通り。
しかし、ヒット商品を一発出しておくと、その後しばらくはマニアックな商品開発をしていても社内で咎められることはない。J−POP界の開発屋こと角松課長にも「オイ、ちょっと副業でいいから金のなる木を育ててくれ」と指令が回ってきた。
それが、杏里の新曲プロデュースであった。しかも杏里の『CAT'S EYE』がザ・ベストテンなどチャート番組で軒並み1位を獲得した後、ここで真価が問われる場面。失敗して一発屋の汚名を彼女に着せるわけにはいかない。
実は角松はそれまでに『Lady Sunshine』『Fly By Day』と杏里のシングルを2曲も手がけていた。
けれど、聴くとわかるが、角松の色が強すぎて、ボーカルトラックだけ杏里の声に入れ替えたような感じである(実際、角松は『Fly By Day』を自分でも録音している)。角松ワールドで杏里が歌っているだけ。従来の角松ファンからは評価されても、「角松の妹分」からは一歩も抜け出せていない。
さらに「自分の作品テイストでは、通にはウケても、大衆にはダメみたいだ」というシビアな現実に向き合わざるを得なくなったのだ。いずれにしても、このままでは「伸び代がない」と角松は踏んだのだろう。
そこで角松は売れるため必勝の布陣を敷くのだが、これがおもしろい。
ミーハー路線がイヤで角松が辞めた事務所が後釜に据えたのが「オメガトライブ」。その実質的なクリエイターである康珍化&林哲司コンビに作品を依頼したのである。
ちょうどオメガトライブがデビューして、注目を集め始めていた時期だ。角松は康に「友人に彼氏を横取りされちゃた話」、林に「モータウンのサウンド」とオーダーし、自らは裏方に徹する。
この「悲しいストーリーを明るい音楽で」というコンセプトが恋愛至上主義(ま、いつの時代も女のコはそうだけど)の女性たちのハートにつき刺さり、新曲『悲しみがとまらない』は大ヒット。
「いい音楽と売れる音楽は違う」
とはかつての筒美京平の名言だが、角松も自ら拒否した路線が世間には求められていることを悟る(オメガ全盛の頃、自分のラジオ番組でよく「カルロストシキ、もとい、かどまつとしき」等とおちょくっていたのだが、今にしてみれば角松の売れ筋へのささやかな抵抗だった気もする)。
しかし、この極意を得て、角松は中森明菜や中山美穂のプロデュースでも名をあげてゆく。
その後、角松と杏里は、かくれた名バラード『I CAN'T EVER CHANGE YOUR LOVE FOR ME』を発表する。これ、いわば「悲しみ〜」の後日譚として位置づけられる名バラード。これもぜひ聴いてみてほしい。
(つづく)※2016年6月2日に掲載された記事をアップデート
2018.11.05