5月1日

藤田浩一&オメガトライブ、シティポップとトライアングル・プロダクションの秘密

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1986オメガトライブのシングル「君は1000%」がリリースされた日
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この男がいなければ“シティポップ”はなかった


藤田浩一。

―― 昨今のシティポップブームで海外からも注目されている角松敏生、杉山清貴&オメガトライブ、菊池桃子らを発掘した音楽プロデューサーである。残念ながら2009年に62歳の若さで旅立ったが、今回の主役、1986オメガトライブ(のち “カルロス・トシキ&オメガトライブ” に改称)も彼が主導し、成功に導いたプロジェクトだった。

その藤田は1947年生まれ。ビートルズが来日した1966年、GSバンド “アウト・キャスト” にギタリストとして加入し、翌年「友達になろう」でデビューする。アウト・キャストは水谷公生(作曲家、スタジオミュージシャン / 当時は “水谷淳”)、松崎澄夫(音楽プロデューサー、アミューズ元社長 / 当時は “轟健二”)、穂口雄右(作曲家)、大野良二(音楽プロデューサー)らが在籍した伝説のバンドだが、傑物揃いのメンバーのなかで藤田は作詞・作曲も担当。「友達になろう」も彼の手によるものであった。

アウト・キャスト脱退後は別バンドのギタリストや、かまやつひろしのマネージャーを経て、1975年にトライアングル・プロダクションを設立。1977年にデビューしたレイジーを手がけたのを機にプロデューサーとしても活躍を始める。ミュージシャン出身で自ら作詞・作曲も手がける藤田は自分が「これ」と思った音楽を追求するアーティスト気質のプロデューサー。そのためだろう。方向性を巡ってアーティストと衝突する場面もあったようだが、1980年代に入ると独自の感性が時代とマッチし、次々とビッグヒットを放つようになる。その最初の成功例が1983年にデビューした杉山清貴&オメガトライブであった。

都会やリゾートを舞台にしたジャパニーズAOR


ヤマハのポピュラーソングコンテストで入賞したロックバンド “きゅうてぃぱんちょす” のボーカルを務める杉山の声に着目した藤田は「プロの作家から提供された楽曲を歌うこと」と「レコーディングではスタジオミュージシャンが演奏すること」をデビューの条件として提示。詳しい経緯は『杉山清貴「さよならのオーシャン」バンド解散直後の大ヒットにはこんな秘密が!』をご参照いただきたいが、その条件を飲んだ彼らは “杉山清貴&オメガトライブ” というバンド名でプロデビューを果たす。

そこからはトントン拍子だった。“杉オメ” はメインライターを務めた康珍化(作詞)、林哲司(作曲・編曲)の手腕により、従来の歌謡曲にはない洗練されたサウンドと歌詞世界でヒットを連発。仕掛人の藤田は「都会やリゾートを舞台にしたジャパニーズAOR」という新たな鉱脈を開拓する。それはやはり “夏バンド” と称されたサザンオールスターズやTUBE(1985年デビュー)とは異質の、洋楽的で涼やかな音楽であった。

だが――。プロジェクトの成功とは裏腹に、メンバーは次第にジレンマを抱えるようになる。バンドなのにレコーディングに参加できない。シングルはすべて作家からの提供作品で、自作曲は一部がアルバムに採用されるだけ。その状況が続くことに疑問を感じた彼らはバンドの解散を選択する。1985年のことだった。

杉山清貴の後継、カルロス・トシキ


さて、ここからが本題だ。

杉オメ解散の1年ほど前、藤田はある青年の歌声を耳に留める。声の主はカルロス・トシキ。ブラジル出身の日系3世で当時21歳だった。日本の歌謡曲に魅了されて18歳で来日したカルロスはウェイターなどのアルバイトをしながら音楽を勉強。様々なオーディションを受けるもデビューのきっかけが掴めず、「そろそろ見切りをつけて帰国した方が将来のためになるかもしれない」と考え始める。藤田から「会いたい」という連絡が入ったのはそんなときだった。

「これがラストチャンス」。そう思って面接に臨んだカルロスに藤田はこう打ち明ける。「実はオメガトライブのボーカルを探している」。そして杉オメの曲を練習するようにと伝え、後日オーディションを実施した。課題曲は「ふたりの夏物語」と「サイレンスがいっぱい」。杉山とは異なる中性的な甘い声に加えて、洋楽的センスを持ち合わせたリズム感と英語の発音のよさに惹かれた藤田は杉山の後継ボーカルにカルロスを据えることを決定する。

新生オメガトライブにはカルロスのほか、杉オメのメンバーだった西原俊次(キーボード)と高島信二(ギター)、そして菊池桃子のバックバンドなどで活動していた黒川照家(ギター)が参加。作家陣は一新され、オメガサウンドの肝となるアレンジャーには当時30歳の俊英・新川博が起用される。但し、レコーディングをバンドメンバーではなく、一流スタジオミュージシャンで行なう手法は継続。藤田は自分の意向やこだわりが正確に反映される体制を構築する。

1986オメガトライブ、「君は1000%」でデビュー


時代の動きに敏感で、タイアップの重要性を早くから認識していた藤田は新生オメガの船出にあたり、日本テレビ系の連続ドラマ『新・熱中時代宣言』(1986年4月期)のタイアップを獲得することに成功。その主題歌として「君は1000%」の制作に着手する。

作詞には寺尾聰「SHADOW CITY」などアーバンな世界観を得意とする有川正沙子、作曲にはシティポップからアイドルまで幅広く手がける和泉常寛をキャスティング。余談になるが、タイトルはカルロスとの会話で「ブラジルでは “100” のことを “セン” と言う」と聞いた藤田が「それは面白い」と反応し、有川に「君は1000%」で書くように依頼したものであった。

杉オメのリゾートソング路線を継承しつつ、カルロスの若さや声を生かした楽曲にシフトした新生オメガは “1986(ナインティーン・エイティシックス)オメガトライブ ”と命名され、1986年5月1日にバップよりデビュー。爽やかなサウンドとボーカルはたちまち評判となり、「君は1000%」はオリコンで6位、『ザ・ベストテン』(TBS系)では2位まで上昇するヒットを記録する。

同時期のヒットチャートではソロになった杉山清貴もトップ10入り。デビュー3年目を迎えた菊池桃子もナンバーワンヒットを重ねており、トライアングル・プロダクション所属のアーティストが音楽業界を席巻していた。

ブラックコンテンポラリー路線へ。バンド名もカルロス・トシキ&オメガトライブに




その成果に自信を深めたであろう藤田は “1986” のサウンドをさらに洋楽に近づけることを構想。右腕となった新川の力を借りて、ブラックコンテンポラリー路線へと突き進む。ちなみに当時の藤田が手本としたのはクインシー・ジョーンズやベイビーフェイス、ジャム&ルイスらのサウンド。「彼らと同じ音を作りたい。ついては同じミュージシャンを揃えてほしい」と要請された新川は1988年、ロサンゼルス録音を取り仕切る。

この流れを汲むのが同年にデビューしたラ・ムーだが、オメガ自体もバンド名を “カルロス・トシキ&オメガトライブ” に改称。その後も「アクアマリンのままでいて」などのヒットを連発するが、1991年に解散し、カルロスはソロ活動へと移行する。

再評価されるサウンドに実感、日本が元気だった “時代の勢い”


カルロスを主体としたオメガプロジェクトの活動期間は1986年から1991年までの5年間。奇しくもバブル期とぴったり重なるため、そのサウンドや世界観には日本や音楽業界が元気だった時代の勢いが感じられる。予算も潤沢で、時間をかけて「いい音楽」を作る余裕があったからだろう。時の洗礼を受けても色褪せず、近年再評価が高まっているのも納得のクオリティだ。当時を知らない若いリスナーには、新川が手がけた“クリスタルサウンド”と呼ばれるキラキラしたシンセサウンドも新鮮に響くに違いない。



鮮烈なデビューから36年。その “カルオメ” を生んだ藤田浩一の “藤田イズム” を、関係者への取材と門外不出のトラックシートで検証する『1986オメガトライブ / カルロス・トシキ&オメガトライブ クリスタルサウンドの秘密』が6月15日に出版された。企画の発案者である梶田昌史氏は編曲家に関する書籍の執筆やCD企画の監修をあまた手がける、プレイヤー視点での楽曲研究の第一人者。筆者も共著者として関わっているため、いささか手前味噌になるが、楽曲制作に関する貴重な証言と資料が満載なので、多くの音楽ファンにお目通しいただければ幸いである。

なお、同じ6月15日にバップより『The Reverb 2022 OMEGA TRIBE』がリリースされた。こちらは新川の総監修のもと、カルオメの人気曲のリミックス音源とリアレンジ音源「アクアマリンのままでいて 2022」を収録したオールタイムのリミックスベスト盤。オリジナルを尊重しつつ、今の時代に合わせた最先端のエンジニアリングで瑞々しい音源に生まれ変わっているので、聴き比べるのも楽しいだろう。

▶ カルロス・トシキ&オメガトライブのコラム一覧はこちら!



2022.06.19
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