10月5日

キャプテンレコード第1弾【ザ・ウィラード】新宿駅前フリーライブに8,000人が集結!

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「キャプテンレコード」発足、1985年は新たな胎動を告げるはじまりの年


日本の音楽シーンが大きく変化する契機となったエポックな年は過去にもいくつかあるが、1985年もまた、新たな胎動を告げるはじまりの年として記憶されるだろう。

この年、JICC出版局(現:宝島社)のサブカルチャー雑誌『宝島』が、インディーズ・レーベル「キャプテンレコード」を発足させた。今でこそインディーズのレコード会社など珍しくもないが、この時代はまだ大手メーカーが幅を利かせており、その中でも独立系のレコード会社がいくつか台頭してきた、そんな時代である。バンドやアーティストが既成概念にとらわれず、自由な表現でレコードを制作する環境は、80年代に入っても確立されていたとは言い難い。その中で、若者向けサブカルチャーを標榜する出版社がオーナーとなったキャプテンレコードの楽曲群は、従来のロックとは一線を画していた。

その第1号作品が、THE WILLARDの『GOOD EVENING WONDERFUL FIEND』である。

ゴシック風の海賊メイクに、ホラーやウエスタンなどの映画をモチーフにしたTHE WILLARD


THE WILLARDは1982年に結成。ヴォーカルのJunをはじめ、ギターのKLAN、ベースのCASINO、ドラムスのKYOYAの4ピースバンドで、83年に一時活動を停止し、Junはザ・スターリンにギターで参加するが、84年に活動再開。CASINOの死去によりKLANがベースに回り、新たにYOUをギタリストに迎えて再スタートを切った。

ゴシック風の海賊メイクに、ホラーやウエスタンなどの映画モチーフを前面に出したコンセプチュアルなイメージ作りは、個性的なバンドの多いインディーズシーンの中でも突出して目立つ存在であり、一躍大きな人気を獲得した。

83年に発表された彼らのデビューEP「LA CADUTA DEGRI DEI」は、スターリンの遠藤ミチロウ責任編集の雑誌『ING,O!』創刊号にソノシートで発表された。

8000人が集結!キャプテンレコード発足記念のフリーライブ「好きよ!!キャプテン」


そして、満を持してのファーストアルバム『GOOD EVENING WONDERFUL FIEND』のリリースにあたっては、キャプテンレコードも第1号作品として勢力的にプロモーションを展開。その一環が8月18日に新宿駅東口スタジオアルタの反対側に位置するステーション・スクエアで開催された、キャプテンレコード発足記念のフリーライブ「好きよ!!キャプテン」だった。

日曜日の午後、緑地帯と歩行者天国に囲まれた開放的なステージには約8,000人もの若者が集まり、各々パンク、ニューウェーヴファッションに身を包み、新宿を占拠した。

有頂天からスタートしたライブは、パパイヤ パラノイア、コブラ、ハードコアパンクのGUSTUNK、ガールグループのキャ→etc. 次々に繰り出される音の洪水にファンは熱狂。ビジュアルもサウンドもバラバラだが、音楽の自由度という点では共通している。THE WILLARDはトリで登場し、ストリートの感性そのままに、ど直球のロックを聴かせた。

ところがこの時点ではまだアルバムは完成しておらず、録音に難航しながらも、10月1日に開催された日本青年館でのソロライブでようやくリリースできる運びとなった。



THE WILLARDのコンセプトがレーベルイメージにも大きく関与


彼らの音楽性の原点となるサウンドは、ほぼこのファーストに集約されており、ダムドの影響と思しき性急なビートパンクもあれば「Jolly Rogers」「The End」などはサーフサウンド風の爽快な音作りで、これらの世界観や海賊イメージなどのコンセプトは、ほぼすべての楽曲を作ってきたJunの嗜好によるものである。

奇抜なコンセプトとは裏腹に、音楽面ではそこまで聞き手を選ばない間口の広さと、ドラマ的なサウンド作りの上手さが、彼らを一躍インディーズシーンのヒーローに押し上げた理由ではないだろうか。

『GOOD EVENING WONDERFUL FIEND』はインディーズとしては異例の2万枚近くを売上げ、彼らは有頂天、ラフィンノーズと合わせ「インディーズ御三家」と呼ばれるようになり、絶大な人気を獲得した。



翌86年には8月に新宿都有3号地(現在の東京都庁がある場所)で記念ギグを行い、9月には東芝EMIからメジャーデビュー第一弾『Who sings a gloria?』をリリースする。なお、キャプテンレコードの命名に関しては、当時『宝島』の編集部に在籍していた、映画評論家・町山智浩の記憶によると、「宝島」から海賊をイメージすることと、『地獄の黙示録』のウィラード大尉を引っ掛けて「キャプテン」と名付けたらしい。

要はTHE WILLARDのコンセプトがレーベルイメージにも大きく関与していたわけである。

キャプテンレコードは以降も、意欲的な作品群を生み出した。有頂天がリリースしたチューリップ「心の旅」のカヴァーもこのレーベルからで、他にもパパイヤ パラノイア『もはやこれまで』、遠藤ミチロウのソロ作『ベトナム伝説』、さらにはPERSONZ、レピッシュ、メトロファルス、ニューロティカ、the pillows、JUN SKY WALKER(S)など錚々たるアーティストを世に送り出していった。日本の新しいロック、自由な音楽の気風は、ここから産声を上げたのである。

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2023.06.23
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馬飼野元宏
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