3月8日

渋谷屋根裏で録音された名盤「JUST A BEAT SHOW」

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渋谷屋根裏でライブイベント「JUST A BEAT SHOW」が行われた日
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1980年代半ばから盛り上がりを見せたインディーズブーム。アーティスト自身がレーベルを運営して、自分たちのバンドのみならず、たとえ知名度が低かったとしても、趣向の合った周辺バンドの音源をオムニバスアルバムとして世に放ってきました。これによりシーンの基盤はより確固たるものになっていきます。

その主軸となっていたのが、有頂天のケラが主催するナゴムレコードやラフィンノーズのAAレコードでした。そして彼らを模倣して様々なレーベルが乱立した80年代後半。このシーンの中で、忘れられない一枚というのが、86年5月に Jeepster Records よりリリースされた『JUST A BEAT SHOW』というオムニバスアルバムでした。

収録バンドは、ザ・ブルーハーツ、レピッシュ、ザ・ジャンプス、ザ・ロンドンタイムスの四つのバンド。これは、このレコードがリリースされる2か月前に渋谷屋根裏で行われた同名ライブイベントの音源をレコード化したものです。

渋谷屋根裏というのは、RCサクセションが動員記録を塗り替えたことで有名な渋谷センター街の入り口近くにあったライブハウス。同店はこのライブがあった直後の86年8月に下北沢に移転。移転後もシーンの活性化を担っていきました。

当時の渋谷と言えば、屋根裏の他に、ライブイン、ラ・ママ、エッグマンというライブハウスを思い出します。井の頭線の改札口近くのライブインには、ブレイク直前のBOØWYや、デビュー直前のザ・ブルーハーツが出演していました。出演の間口が広い登竜門的なラ・ママでステージデビューを果たし、次に公園通りの坂を登りメジャー志向の強いエッグマンを満員にし、その目の前にある渋谷公会堂でホールデビューするというサクセスストーリーは、多くのバンドマンの憧れだったと思います。

閑話休題。この『JUST A BEAT SHOW』をなぜ手に入れたかというと、当時夢中になっていたザ・ブルーハーツの音源がここに収録されていたからに他なりません。それまで唯一制作された無料配布のソノシート『1985』を手に入れるチャンスを逃してしまった僕は、彼らの音をレコードで聴けると喜び勇んで入手しました。

このアルバムを手にしたのは、渋谷公園通りにありインディーズの聖地と言われた、ダイエー系列のレコードショップ・CSV渋谷でした。しかし、いざレコードに針を落としてみると4チャンネルでライブ一発録りということもあって音はあんまり良くありませんでした。

それでも繰り返し聴いたのは、ザ・ブルーハーツ同様、ほかの三つのバンドにも、ロックンロールを基盤としながら独自の背景がくっきりと見え、ロックの奥深さを感じずにいられない音があったからだと思います。

ARB を思わせる切なくも硬派な歌詞をシンプルなビートで醸し出すザ・ジャンプス。

英国のユースカルチャー、モッズムーブメントの影響そのままに、若者の衝動を描く繊細な言葉。キーボード主体でブリティシュビートを独自の世界観に昇華させたザ・ロンドンタイムス。

そして、スカを基盤にテクノ、パンク、サイケデリックなど、様々な音楽性を加味しミクスチャー化したレピッシュ。そして、その後のザ・ブルーハーツやレピッシュの活躍は周知の通り。

ちなみに、ザ・ロンドンタイムスは、この後、雑誌『宝島』が主催していたキャプテンレコードからミニアルバムを発表。豊島公会堂でのワンマンライブを満杯にしていました。ヴォーカル、片岡健一氏は同バンド解散後にフレデリックというバンドでメジャーデビュー。現在もハニーオニオンズを率いて精力的にライブを行っています。また、この『JUST A BEAT SHOW』を主宰したザ・ジャンプスのヴォーカル、島掬次郎氏は、バンド解散後、新司法試験に合格。現在では東京弁護士会に所属する弁護士として活躍しています。

80年代後半、物凄く曖昧な定義で、ビート・バンドなる言葉が常套句として多用されましたが、これも、この『JUST A BEAT SHOW』以降の気がしてならないのです。これは僕の個人的な意見なのですが、ビート・バンドとは、しっかりとした音楽的背景を持ってシンプルなロックンロールを体現するバンドの呼称だと思っています。例えば、このアルバムに収録されている四つのバンドのように―― そして、この源流には、日本のリヴァプール、英国経由の音楽を感度のよいアンテナで吸収し、多くのバンドが巣立った奇跡の街、博多、北九州出身のザ・モッズ、ザ・ルースターズ、ザ・ロッカーズというバンドがいるのではないでしょうか。

このアルバムには、80年代後半というストリートの音楽が多様性を伴い深化していく時代の足跡が真空パックされています。ここで十代の僕が感じ取ったことは、シンプルな音楽ほど奥が深いということ。

それぞれのルーツ、背景を持ったバンドがシーンに浮上することで僕は、音楽の深い森へと誘われていくのでした。

2018.05.10
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  YouTube / deadmanspeedrock
 

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カタリベ
1968年生まれ
本田隆
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