ひょうきん族やとんねるずにハマった世代にしてみたら、欽ちゃんファミリーはお笑い界のサザエさん… みたいな感じだろうか?
あくまで当時の話だけど、私はビートたけしやとんねるず派であった。だが、萩本欽一勢も凄かったことも鮮明に記憶している。とにかくファミリー層をはじめ、女性人気も高かった。
それはイモ欽トリオ、わらべ、そして欽ちゃんバンド等の活躍があったからで、そのほのぼのとした笑いは親世代からの絶大な支持を集めた。
かたや、ひょうきん族やとんねるずはテレビで「セックス」を連呼したり、セットを壊したりするキワドイ笑いを構築し、若い世代の支持を固めていた。
そんななか、1984年12月21日に、これを覆す微妙な現象が起こる。
欽ちゃんファミリーの一人、風見慎吾(現:風見しんご)のシングル「涙のtake a chance」が発売された日である。
そして、この曲がテレビで放送された際に話題になったものがある。それが、ブレイクダンスだ。そう、ブレイクダンスという言葉を広め、若者の意識を欽ちゃんファミリーに向けさせたのは風見慎吾だったのだ。
この曲の裏側には、1982年にリリースされたマイケル・ジャクソンのアルバム『スリラー』があるとも言われている。
マイケルはこのアルバムで日本でもブレイク。とりわけ、「ビリー・ジーン」に見るムーンウォークや、アルバムタイトルにもある「スリラー」でのダンスは若者の心を掴んだ。
この風見慎吾の「涙のtake a chance」もマイケル・ジャクソンに劣らぬインパクトがあった。
もちろん踊りもまた凄まじく、当時の少年少女は踊りを真似するものの、私の周りでは、誰一人真似ができないのであった。凄まじいであるがゆえに、バック転した後の歌が遅れたり、マイクを落としたりしたら一瞬歌が聞こえなかったりといったシーンを観た覚えもある。それでも、ダンサーを目指す子供が増殖したのは間違いないと思っている。
時は過ぎ、今現在でも、たまに懐かしの歌謡番組に出ている風見しんごを観ることがある。もちろん当時のキレはないものの、年齢を考えたら今でも踊れているのは凄いことだ。ダンスを身体が覚えているからなのだろう。
『噂の東京マガジン』のイメージが強いと思うが、とんでもない!風見しんごは、ブレイクダンスを日本に広めた “伝説のダンサー” なのである。
余談ですが、私、酔っぱらって「涙のtake a chance」を歌って踊ったことがあったみたいです…。覚えていないけど(汗)。よほどのインパクトとして私の中に残っていたんでしょうね。
2019.09.09
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