松田聖子「赤いスイートピー」女性ファンを呼び込んだ記憶に残る名曲

記録より記憶に残る名曲、松田聖子「赤いスイートピー」

記録より、記憶に残る男――。

かつて “ミスタープロ野球” と呼ばれた長嶋茂雄を評する言葉である。実際、長嶋の現役時代の記録は、プロ野球界で突出したものではない。本塁打は王貞治の868本のおよそ半分の444本。歴代14位である。安打数も１位の張本勲の3085安打に対し、長嶋は2471安打と歴代９位。打点もトップの王貞治の2170打点に遠く及ばず、歴代７位の1522打点だ。

それでも―― 長嶋の活躍が色あせることはない。プロ野球で前人未踏の巨人Ｖ９の立役者であるのはもちろん、天覧試合でライバル村山実投手からサヨナラホームランを放った伝説は今なお語り継がれる。平凡な三塁ゴロでもわざと難しくさばいて一塁への送球で手をヒラヒラさせたり、三振するにも豪快に振りぬいてヘルメットを落としたりと “全てが絵になる男” 長嶋茂雄。

同様に、24曲連続オリコンシングル１位の松田聖子サンの楽曲にも、記録より記憶に残る名曲がある。―― 「赤いスイートピー」だ。

実は、同曲の売上枚数は、聖子サンの歴代シングルの中でも11位と、10傑にも入らない。TBSの『ザ・ベストテン』でも１位はわずか１週のみ。でも―― 「赤いスイートピー」が聖子ソングの中で “記憶に残る” １曲であることに異論を挟む人はいないだろう。実際、聖子サン自身も、ある番組で自身の心に残る一曲を問われた際、同曲と「SWEET MEMORIES」を挙げている。

楽曲提供は呉田軽穂、女性ファンの拡大のキッカケとなる作品

そう、記憶に残る名曲「赤いスイートピー」――。
なにせ、それまで圧倒的に男性に偏重していた聖子サンのファン層が、同曲以来、女性も増えるキッカケとなったエポックメーキングな作品なのだ。それを呼び込んだのは、呉田軽穂ことユーミン。同曲は、彼女が初めて聖子サンに楽曲提供したものであり、これをきっかけに、以後、数々のユーミン提供の聖子ソングが生まれたのは承知の通り。今じゃ聖子サンのファン層の９割は女性である。

そんなユーミンを誘ったのは、他ならぬ作詞家の松本隆サンだ。聖子サンの７枚目のシングル「風立ちぬ」で朋友・大瀧詠一サンと組んだ松本サンは、次のシングルの構想でプロデューサーの若松宗雄サンから女性ファンの拡大を相談され、当時、女子大生やOLの教祖として君臨していたユーミンの起用を思いつく。ちょうど1978年から83年にかけて年２枚のオリジナルアルバムを出していた、最も脂がのっていた時代のユーミンだ。

「ライバルに曲、書いてみない？」

そう、松本隆サンは話を切り出したという。場所は飯倉のキャンティである。松本サンはユーミンとは「はっぴいえんど」時代からの旧知の仲で、松任谷正隆サンのガールフレンドとして紹介されたのが、２人の出会いだったそう。その後、松本サンは職業作詞家になり、ユーミンはプロのミュージシャンとしてデビュー。以来、２人はいわば戦友のような間柄だった。

松本サンの問いかけに、当初ユーミンは答えを渋る。自身の知名度で聖子プロジェクトに選ばれたと、世間に思われることを嫌ったからである。だが、松本サンの粘りに、ペンネームの「呉田軽穂」名義でよければ手伝ってもいいと引き受ける。

「誰が作ったか知らない曲で聴衆の心を掴めたら、これほど作家冥利に尽きる事はない」

―― かくして、1982年初頭に出す８枚目のシングルの座組、作詞・松本隆と作曲・呉田軽穂が決まった。タイトルは、若松プロデューサーがかねてより温めていた「赤いスイートピー」で行くという。当時、スイートピーに赤色の品種はなかったが、若松サンは春らしい楽曲をイメージし、そうユーミンに依頼した。1981年晩秋の話である。

松田聖子プロジェクトが抱えていた悩み

　春色の汽車に乗って
　海に連れて行ってよ
　煙草の匂いのシャツに
　そっと寄りそうから

当時、松田聖子プロジェクトは１つの悩みを抱えていた。それは、聖子サンの歌声である。デビュー以来、天性の喉を武器に、声を張り上げる歌唱を続けてきたが、喉を酷使するあまり、次第にかすれてきたのである。体調面も多忙が重なり、思わしくなかった。

「喉に負担が掛からないよう、キーを抑えたスローバラードをお願いします」

若松プロデューサーの発注に、誰よりもミュージシャンの喉の負担を知るユーミンは快諾する。そうして出来上がったデモテープは、シンプルな旋律ながら、ユーミンらしいメロディアスなスローバラードに仕上がっていた。２度繰り返されるＡメロは申し分なかった。これに松本サンは、歌い出しで「♪春色の汽車に乗って～」と、お得意の色使いの歌詞を当てはめ、「♪煙草の匂いのシャツに～」の部分は、背伸びして、思いを寄せる少女の気持ちを代弁した。

松本隆がＢメロに乗せたピュアな恋物語

ところが、若松プロデューサーは、デモテープのＢメロに難色を示す。当初、このパートは音程が後半、下がる旋律だったという。つまりマイナーコードだ。若松サンは同曲を春らしい楽曲に仕上げたいと思っていたので、次のサビに繋がるＢメロの後半を、希望を予感させる旋律に変えてほしいと、ユーミンに持ちかける。異例の相談だ。コンサートのリハーサル中の楽屋に押しかけて直訴する若松サンの迫力に押され、さすがのユーミンもリテイクに応じる。かくして、Ｂメロの後半はメジャーコードに転調され、音楽理論的にも極めてドラマチックなパートが生まれた。

　何故  知りあった日から半年過ぎても
　あなたって手も握らない

そんなＢメロに松本隆サンが当てた詞が、この２行である。マイナー調の前半は「♪何故 知り合った日から～」と、悩める少女の胸中を覗かせ、一転、「♪あなたって～」から盛り上がる旋律となり、奥手な彼への思いを歌い上げる。

　I will follow you あなたに
　ついてゆきたい
　I will follow you ちょっぴり
　気が弱いけど
　素敵な人だから

そして、物語は一気にクライマックスに突入する。このサビの旋律は、ほぼデモテープのままという。そこに松本サンは、「I will follow you～」と、気弱な彼に思いの丈をぶつける少女の気持ちをストレートに描いた。

だが、その直後、僕らは意外な種明かしに面食らう。

　心の岸辺に咲いた 赤いスイートピー

―― そう、「♪心の岸辺に～」とある通り、先にサビで歌い上げた少女の思いは、全て彼女の胸の内に秘められた心の声だったのだ。彼女もまた恋に奥手であり、だからこそ、自分に似た性格の彼に思いを募らせたのだ。なんてピュアな恋物語！

ちなみに、赤いスイートピーの花言葉は、「門出・別離・想い出」。どう捉えるかは、聴き手に委ねるということだろうか。

聴き手の数だけある物語、赤いスイートピーが指す意味とは？

このあと２番が来るが、「♪四月の雨に降られて」とあるので、時間軸で言えば、ひと月ばかり経過した頃だろう。だが、歌詞を追う限り、２人の距離にあまり変化は見られない。そればかりか、少女の不安が増しているようにも見える。ここでも肝はＢメロである。

　何故 あなたが時計をチラッと見るたび
　泣きそうな気分になるの？

この２行は、松本隆サンの作詞家人生においても、極めて聴き手の共感度の高いシークエンスに数えられるのではないだろうか。聖子サンの女性ファンの比率を上げるために引き入れたユーミンだが、結果として、彼女の珠玉のメロディが、松本サンのピュアな詞を引き出し、女性ファンを増やすことに成功する。

同曲は、都合サビが３回繰り返される。いずれも締めのフレーズは同じである。

　（２番）
　線路の脇のつぼみは 赤いスイートピー

　（３番）
　心に春が来た日は 赤いスイートピー

さて、赤いスイートピーは何を指しているのだろう？ 恋の序章か、別れの序曲か、あるいは、過ぎ去りし日の恋の想い出か――。同曲のヒロインを自身に重ねる聴き手によって、様々な解釈が可能だろう。

そう、聴き手の数だけ物語がある。これがプロの作詞家の仕事だ。


2021.07.23