1985年8月6日 NHK で『インディーズの襲来』という番組が放映された。この番組は、この年の11月21日に華々しくメジャーデビューを果たすラフィンノーズのフロントマンであるチャーミー氏のインディーズ戦略を中心に構成されていた。新宿アルタ前での、ばら撒きソノシート事件(注)も記憶に新しかった時だ。 80年代初頭の日本のハードコア黎明期に登場したラフィンノーズは、その後、疾走感溢れるポップでキャッチ―なメロディを得意とし、それまでのパンクの暴力的で重苦しいイメージを完全に払拭し、時代の最前衛を走るバンドとなっていた。しかし、ラフィンを最前衛たらしめるものはそのサウンドだけではなかった。つまり、バンドたるもの、曲を作って演奏するだけでなく、自分たちでレコードを作り、自分たちで売るといった DIY精神で新しい時代を作っていくんだという姿勢があった。そんな彼らの時代の壁を超えていこうとする意気込みをこの放映から僕は感じ取った。 番組ではラフィンの他にも、ラフィンと共にインディーズ御三家と言われたザ・ウイラード、有頂天、さらには耽美的なスタイルを身上とするポジティブ・パンク勢からマダム・エドワルダや G - シュミットと言ったアンダーグラウンドシーンで注目をあびていたバンドが取り上げられていたように記憶している。 ■渋谷にインディーズの聖地誕生 この放映から約3か月後の85年11月29日オープンしたインディーズ主体のレコードストアが CSV渋谷(以下CSV)だ。当時、日本インディーズのレコードを買える店は限られており、そんな中、広々とした売り場面積だけではなく、随時ミニライブやトークショウを積極的に行いファンとアーティストの距離をグッと縮めてくれたのは CSV であり、まさに聖地だった。そして、数々のアクションを繰り広げるこのストアに僕はラフィンと同じく DIY 精神を感じていた。 CSV は渋谷駅から公園通りに入り、渋谷公会堂方面に向かう緩やかな坂の途中にあった。85年の渋谷と言えば、渋谷系にはもちろんまだ早く、渋谷宇田川町近辺にレコードショップが軒並みオープンし「レコード村」と呼ばれる時代にもまだまだ早い。センター街に革ジャンとエンジニアブーツで武装したチーマーたちもいなかった。公園通りには高校生客主体のディスコ「ラ・スカラ」が賑わっていたが、どちらかというとスノップな大学生の街という印象が強かったかもしれない。だから、なおさら CSV の存在は特異だったということがわかるだろう。 ■DIY精神に基づくコンセプト 当時六本木には西武資本の最先端カルチャーの発信基地「WAVE」があった。音楽関連の商品のみならず、カフェ・バーなども擁し、階下には映画館「シネ・ヴィヴァン六本木」が鎮座していた。これに対抗してオープンされたのがダイエー資本の CSV とされている。しかし、時はバブル直前期、アーバンなライフスタイルを提唱した WAVE に対し、CSV はどこか土着的でマニアックな雰囲気を醸し出していたことが僕はたまらなく好きだった。 CSV はレコードストアというのも憚る総合的なオーディオ・ビジュアルショップであった。レコード売り場のみならず、2階建てのショップ1Fの AVサロン(もちろんオーディオ・ヴィジュアルのほうね)ではカルトムービーやインディーズビデオなどの上映会が頻繁に行われていた。2Fには、無料デモテープ作りができる MTRスタジオがあった。またデモテープライブラリーなるものもあった。ここでは誰でもデモテープの持ち込みが許可されレコード会社のディレクターなども情報収集を目的に頻繁に現れていたという。 さらにミュージック・ビデオやカセットマガジンなども制作販売していた。第4号までリリースされたオリジナルのカセットマガジン「Hi’Ide」には当時有頂天のボーカルだったケラのマンガとエッセイや電気グルーヴの前身、人生(ZIN-SAY)の音源なども収録されていた。 このように、情報の発信基地であった WAVE とは違い CSV は情報の相互性があり、それはインディーズの特性である DIY 精神に基づくコンセプトであったと言えるのではないだろうか。なぜならば、CSV のコンセプトは、インディーズバンドの情報が満載だった雑誌 FOOL’S MATE の編集長、北村昌士氏が顧問として関わっていたことに拠るところが大きい。同誌の編集者も店員として立っていた。だから、国内インディーズの品揃えに関しては秀でていたのだろう。 FOOL’S MATE の雑誌カラーからも分かる通り、『インディーズの襲来』で取り上げられていた G - シュミットやマダム・エドワルダなどポジティブ・パンクの系統が多かったと思われがちだが、それだけではなくインディーズ全般にめっぽう強かった印象を僕は持っている。 当時高校生だった僕も渋谷に赴く際は必ず立ち寄り、ザ・ブルーハーツが収録されているオムニバス・アルバム『JUST A BEAT SHOW』やKENZIのインディーズ時代の大名盤『ブラボージョニーは今夜もハッピーエンド』などもここで買ったと記憶している。もちろん自分の贔屓するミュージシャンだけでなく、自分の趣向とは違ったバンドの試し聴きというか 300円前後から買えるソノシートを購入し、わくわくしながら公園通りの坂を下って家路を急いだ思い出もある。 ■インストアライブの先駆け また、今でいうインストアライブを頻繁に行っていたのも CSV渋谷だった。僕もゴーバンズのライブに足を運んだ記憶があるし、ロック系ではないのだが、日テレ系音楽番組『トップテン』でアイドルの西村知美が「君は流れ星」でチャートインしたとき、ここから生中継されたこともなぜか鮮明に覚えている。 このように、時代の潮流に乗り、インディーズのみでなく、様々な音楽ジャンルにも対応しつつ、満を持してのオープンと思われた CSV渋谷だったが、オープンから約2年後の88年1月27日に突然閉店した。閉店の理由は経営不振とされているが、当時通っていた僕らにとってみれば晴天の霹靂であった。 若いころ、特に十代の頃は自分中心に世の中を考えがちで、インディーズブームが音楽シーンの中心だと信じて疑わなかった。しかし、実情を考えてみると、その存在はまだまだマイノリティであり、インディーズから巣立ったバンドがシーンの核になるのは、87年にブルーハーツがメジャーデビューし、88年に雑誌『バンドやろうぜ』が創刊し、89年に『三宅裕司のいかすバンド天国』の放映がスタートされたあたりだったのかもしれない。 早すぎた CSV渋谷の閉店であったが、当時東京でインディーズシーンに夢中になっていた僕と同世代の人たちには同じような思い出を共有できる人も多いのではないだろうか。(注)ばら撒きソノシート事件 ラフィンノーズが1985年4月28日、自らが制作したソノシート「聖者が街にやってくる」を新宿アルタ前で無料配布した。押し寄せたファンは約1300人。新宿東口近辺は大パニックになった。
2019.04.17
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