ポール・マッカートニーが歌ってくれたらと思ったファンは決して少なくなかったのではないか。ポールとエルヴィス・コステロの共作で、コステロが1989年のワーナー移籍第1弾アルバム『スパイク』からの1stシングルとして発表した「ヴェロニカ」である。
コステロの勧めでポールが伝説のヘフナーベースを久々に手にしたこの曲は、ポールらしく目まぐるしく変化するメロディーラインも冴え渡り、アメリカでは最高19位とコステロ最大のヒット曲になった。日本でもフジテレビの『とくダネ!』で1999年4月から1年間テーマ曲になっていた程。完璧なポップソングだった。
この数か月後ポールが発表した、やはりポールとコステロの共作「マイ・ブレイヴ・フェイス」は、ヘフナーベースはやはりうなっていたが、「ヴェロニカ」よりテンポがゆったりしていて、キレという点では「ヴェロニカ」に軍配を上げざるを得なかった。チャートでも全米25位と及ばなかった。コステロとの共演がポール復活のきっかけとなったのは衆目の一致する所だが、「ヴェロニカ」でコステロもいい思いをしたのでは? お互い様じゃないの? というのもポールファンの偽らざる想いだったのではなかろうか。
今年2016年9月7日、昭和女子大学人見記念講堂でのエルヴィス・コステロ日本公演最終日で、僕は初めて「ヴェロニカ」を生で観ることが出来た。しかしそのアコギ1本でのパフォーマンスは、サビを1オクターブ低めで歌うもの。少々違和感を抱きながら聞いていると、最後のサビはやっと1オクターブ上がるも節回しはかなり変わっていて、最後の2つの “Veronica” が漸くオリジナルキーでのシャウトで終わるというものであった。経年による変化なのかと思ったが、今回この原稿を書くにあたり調べてみると、長年この形で歌われていたのだった。
元々アルツハイマー性認知症に悩まされていた祖母のことを歌ったこの曲がポップソングとして消化されていくことに違和感を抱いたコステロは、結果大いに変化を加え、コステロ流の捻りのあるポップソングに生まれ変わらせたのだそうだ。「ヴェロニカ」のヒットはコステロをも悩ませたのだ。27年越しにこの曲を初めて生で観て僕は漸くこの事実を知ることが出来た。もちろん捻った「ヴェロニカ」も満場の拍手をもって迎えられたのだが。
しかし、だったら尚のこと1989年には「ヴェロニカ」はポールが歌った方がよかったのではないか、と改めて一瞬思ったが、あの歌詞はやはりポールの世界ではなく、紛れも無くコステロの世界だった。それにしても完璧なポップソングだよなぁ。
2016.10.03
YouTube / michaeloneill1993
YouTube / Elvis Costello on MV
Information