2月11日

伊藤銀次が語る イカ天こと「三宅裕司のいかすバンド天国」大ブームの功罪ってなに?

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伊藤銀次が語る「三宅裕司のいかすバンド天国」大ブームになって武道館は超満杯!

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『伊藤銀次が語る「三宅裕司のいかすバンド天国」大ブームになって武道館は超満杯!』からのつづき

どこか「笑点」のようなイカ天審査員の立ち位置


“ついこないだ” のことのように思えていたイカ天も、あらためて月日を数えてみると、今年2023年で、なんと番組終了から30年以上が過ぎてしまってるではないか! 令和の時代の20代の若者たちは、もはやイカ天がなんだったのかも知らないわけで、あらためて月日の経つ速さを実感してしまう銀次なのだ。

僕にとっての「イカ天」は、それまでほとんどテレビに出ることがなかった自分の存在を世の中に知らしめるという意味では有意義だったけれど、その後、番組を見ていた後輩たちと話すと、“とてもコワイ人” というイメージを与えてしまったようで、それにはちょっと困ったね。いろんな意味でテレビの影響力や怖さを実感させられた、貴重な体験だったことは間違いないのだけれど。

土曜日の深夜ということもあってか、僕たちはけっこう真面目に審査していた。それにも関わらず、いわゆる、レギュラー審査員の立ち位置というのは、どこか番組『笑点』のように見えていたのではないだろうか。三宅さんが先代の圓楽、そして吉田建と僕が歌丸&こん平というふうに。今振り返ると、ユニークなバンドの魅力に加えて、この審査員同士の大喜利のようなやりとりが他の番組にはない不思議なおもしろさを生み出していたような気もするね。

どんなときもやさしくて明るかった中島啓江との思い出


残念ながら、僕たちと共に審査員を務めていた中島啓江さんはその後鬼籍に入られてしまった。忘れられないのは、僕が番組でよくベストを着ていたことに気づいてベストをくださったこと。いまでも大事にとってあるそのベストを見ると、どんなときもやさしくて明るかった中島さんを思い出してしまう。

毎回新しい面白いバンドと出会えるという楽しみの他に、ちょっとミーハーになってしまうが、個人的には、毎回僕のお隣に座る、週替わりのゲスト審査員も楽しみのひとつだった。

ある日いつものように本番前にスタジオに入ると、僕の隣の席になぜかハンドマイクがおいてある。「うん? なんだろう?」と思って本番に入ると―― おぉ、なるほど! ラッシャー木村さんがその日のゲストだったのだ。

いつものリング上での「おい、永源!」というパフォーマンスと同じように、ラッシャーさんだけがハンドマイクを手にコメント。ははは! こういう細かい演出が、この番組のスタッフの冴えたところで、どうりで人気が出るわけだ。

ゲスト審査員で登場した内藤陳、大島渚


他に印象的だったのは、70年代に「ハードボイルドだど!」でおなじみだった、大好きなトリオ・ザ・パンチの内藤陳さん。隣に内藤さんがいて話しかけられたりすると、もちろん表には出さないようにしてたけど、実は我を忘れて興奮していた。マルコシアス・バンプの時に、内藤さんが「ドラムの子、オレに似てないか?」というコメントには笑えた。ほんと親子かというぐらいに似てたもんだからね。笑えた笑えた。

そしてなんといっても大島渚監督まで登場したのがすごい。同じくマルコシの演奏曲のタイトル「バラが好き」に対して「お前のバラが好き」のほうがいいんじゃない?―― という監督の鋭い指摘にはまいった! さすがでした。

その監督もラッシャーさんも内藤さんもすでに鬼籍に。まさに「歳月人を待たずだ」。

イカ天の功罪、そして建&銀次のコンビは健在ぶりを発揮


なにごとにも功罪両面があるように、イカ天にもいいところ、悪いところがあったような。

まず「罪」の部分では、イカ天から多くのバンドがメジャーデビューしたにも関わらず、ほとんどが雲散霧消してしまったことだろう。

ほとんどのバンドのおもしろさが、すでにテレビの中で消費されてしまっていて、TVビューアーのほとんどが、さらにCDまで買おうという気にならなかったからじゃないかと思えたりもする。

それに加えて、あまりにも人気のあった番組だから、彼らをデビューさせたレコード会社も、さらなる新たなプロデュースも施さず、ほとんど手を加えない原木のままレコーディングしてリリースしていたことも大きい理由かも知れない。

その後にやってくる、Mr.ChildrenやスピッツなどにみられたJ-ロックのプロデューサーブームのことを考えると、いくつかのバンドはきちんとプロデュースしていれば残っていけたかもしれないと思うとかなり残念な気がするね。

「功」の部分では、なんといっても、イカ天以降、誰もが気軽にバンドを組んで、自由に楽しむということがあたりまえになっていったこと。いまではプロのミュージシャンだけでなく一般の音楽ファンもライヴハウスでライヴをする時代に。これはとっても素敵なことだと思う。

それでは最後に後日談。その後、しばらく吉田建とも会う機会がなかったが、令和に入って久しぶりに2人でトークイベントを開くことになった。題して「帰ってきた辛口~あの時君は辛かった」。長いブランクにもかかわらず、建&銀次のコンビは健在ぶりを発揮して、イベントが “いやが王でも長嶋でも” 盛り上がったことは言うまでもない。

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2023.04.24
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カタリベ
1950年生まれ
伊藤銀次
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