大きなターニングポイントとなったアルバム「ジャーニーマン」
ジョージ・ハリスンとエリック・クラプトンが親友同士だったことは、よく知られている。
ただ、「ジョージは僕よりふたつ歳上で、だから少し威張ってる(笑)」、「本当の兄貴のように思えるんだ」というエリックの発言から、親友というよりは兄弟に近い感覚だったのかもしれない。
20歳前後で出会って以来、幾多の荒波を乗り越え、ジョージが息を引き取るまで、ふたりの関係が変わることはなかった。
1989年11月7日、エリックのキャリアで大きなターニングポイントとなったアルバム『ジャーニーマン』がリリースされた。そこにはジョージが書き下ろした佳曲「ラン・ソー・ファー」も収められている。
ジョージらしい優しいメロディーが際立つナンバーで、ジョージはギターとコーラスでも参加している。息の合った演奏と気心の知れた雰囲気が、派手な印象の本作に爽やかな風合いを残すこととなった。
そして意外にも、ジョージがエリックのソロアルバムに参加したのは、この時が初めてだった(※注)。エリックの方は何度もジョージのアルバムを手伝っているというのに、何か参加したくない理由でもあったのだろうか。でも、このアルバムでは「ラン・ソー・ファー」を含め3曲も書き下ろしている。そして、エリックはその中から1曲だけを採用したと。なんだかこの感じが、エリックが言うところの、兄と弟の関係なのかもしれない。
ジョージがエリックに書き下ろした新曲「ラン・ソー・ファー」
薄い笑みを浮かべて君は飛び立つ
君が混乱しているのがわかるから
僕はため息をつく
この後、歌はサビでこんな風に続く。
孤独な日々 ブルーギター
逃げ道はない 今は逃れられたとしても
おそらく、ここで歌われている人物は、出口の見えない状況に直面しているのだろう。でも、この穏やかなメロディーを聴いていると、暗い気持ちにはならない。「現実を受け入れてみるんだ。きっとそこから新しい道が開けるよ」と、ジョージが優しく語りかけているように思えるのだ。当時、エリックは深刻なアルコールの問題を抱え、結婚生活も暗礁に乗り上げていた。この曲には、そんな親友への励ましの気持ちが込められていたのかもしれない。
それから時は流れ、2001年11月29日、ジョージ・ハリスン永眠。その時、エリック・クラプトンは日本にいた。
このジャパンツアーで、1度だけエリックの演奏が荒れた日があったという。そしてワールドツアー全体でも、ラストナンバーの「オーヴァー・ザ・レインボウ」が演奏されなかったのは、この夜だけだったそうだ。ジョージの訃報が届いたのは、それから数日後だった。もしかすると、エリックには事前に何らかの知らせがあったのかもしれない。
遺作となったアルバム「ブレインウォッシュド」でセルフカバー
2002年11月18日、1周忌を前にジョージの遺作『ブレインウォッシュド』がリリースされた。素晴らしい新曲群に交じって、そこには馴染みのある曲がひとつ収められていた。
薄い笑みを浮かべて君は飛び立つ
君が混乱しているのがわかるから
僕はため息をつく
「ラン・ソー・ファー」である。この後、歌はこんな風に続く。
孤独な日々 ブルーギター
逃げ道はない 今は逃れられたとしても
12弦ギターの美しい響き。エリックのヴァージョンよりも、さらに優しく仕上がっている。どうしてジョージはこの曲を選んだのだろう? その答えを知る術はもうないけれど、きっと心配だったのだと思う。自分がこの世を去ることで、悲しむであろう親友のことが。かつてエリックに書き下ろした曲を、今度は自分で歌ってみせた。そこにはジョージなりの理由があったように思う。
「現実を受け入れてみるんだ。きっとそこから新しい道が開けるよ」
僕には、ジョージがエリックにそう語りかけているように思えるのだ。
※注:
エリックのソロではないが、ジョージは1970年にデレク&ザ・ドミノスのレコーディングに参加し、「テル・ザ・トゥルース」と「ロール・イット・オーバー」を録音したと発言している。この2曲はシングルとしてリリースされたが、その後すぐに市場から回収された。そして、アルバム『いとしのレイラ(Layla and Other Assorted Love Songs)』に収録されたのは、ジョージが参加していないヴァージョンの「テル・ザ・トゥルース」だった(「ロール・イット・オーバー」はアルバム未収録)。
そもそも、シングルでリリースされた「テル・ザ・トゥルース」にも、ジョージの名前はクレジットされていない。クレジット漏れの可能性はあるが、参加を明言するのは難しいだろう。B面の「ロール・イット・オーバー」に関しては、後にクレジットが確認されている。※2018年11月29日に掲載された記事のタイトルと見出しを変更
2020.11.07