『中村あゆみ「翼の折れたエンジェル」が持つ奇跡的フレーズの音楽性 ①』からのつづき「♪ もし俺がヒーローだったら 悲しみを近づけやしないのに」。
今回は、『翼の折れたエンジェル』の、このフレーズの音楽性を検証する回の後編です。さて、ここのコード進行は、このようになっています。
「♪ 【A】もしお【B/A】れがヒーロー【G#7】だったら【C#m】」
1つ、見た目に変なコードが混じっています。【B/A】。【BonA】とも書きます。これは何かというと、「コード(和音)は【B】だが、ベース(低音)はAの音」という意味です(その見てくれから、俗に「分数コード」と呼びます)。
その前の【A】は、コードもベースもA。しかし、次の【B/A】は、コードはAからBに上がるけれど、ベースは【A】と同じAのままということになります。
実は、こういうコード進行は、ごくたまに使われます。往々にして、サビのここ一番というところで使われるのです。
以下、「♪ もし俺がヒーロー~」と(ほぼ)同じコード進行を使っているフレーズを紹介します。《 》内のところが、その「分数コード」です。
・オフコース『Yes-No』:「♪ 君を抱いて《いいの 好き》になってもいいの」
・荒井由実『卒業写真』:「♪ 人ごみに《流され》て」「♪ 変わってゆ《く私》を」
・チューリップ『青春の影』:「♪ 自分の《大きな夢を》 追うことが」
ここで、このコード進行を頭に思い浮かべながら、『翼の折れたエンジェル』含めて、これらのフレーズに表れている、主人公の気持ちを解読してみましょう。
・「ヒーローになりたいけれど、ヒーローじゃない」
・「抱きたいけど、抱いていいかわからない」
・「人ごみに流されたくないけど、流されそうだ」
・「大きな夢にも未練はあるけど、君を幸せにすることを優先しよう」
つまりは理想と現実のギャップが歌われています。さらには「理想と現実のギャップはあるけれど、理想に後ろ髪を引かれながら、現実に踏み出そう」という、一種の諦観のようなものまで含まれています。
このコード進行を、私は「後ろ髪コード進行」と名付けます。図で説明します。
図1:通常のコード進行

図2:「後ろ髪コード進行」

この「後ろ髪コード進行」の図をよーく見てみると、何だか、後ろ髪(前のコードのベース音=A)を引かれている女性の姿が浮かびませんか?
図3:後ろ髪を引かれる女性

『翼の折れたエンジェル』には、この「後ろ髪コード進行」の魅力が、強く貢献していると思います。そして、前回述べたメロディの跳躍も含め、「♪ もし俺がヒーローだったら 悲しみを近づけやしないのに」という歌詞とメロディを、決して忘れられないものにしたのです――。
と、以上、ワタシ的には、「後ろ髪コード進行」の構造と魅力を、しっかりと書ききったという手応えがあるものの、それでもやはり、多くの読者には分かりにくいんじゃないかと危惧します。そこで、YouTubeにて、2つの付録を付けます。
1つは、私自身が弾くピアノによる「後ろ髪コード進行」の動画解説。前半が普通のコード進行、後半が「後ろ髪コード進行」になっています(曲は荒井由実『卒業写真』。キーはC)。
2つ目は、もしかしたら、日本でいちばん有名な「後ろ髪コード進行」かもしれない、鈴与グループのCMソング=「♪ 見たこともないも《の 見てみ》たいな~」。《 》内のところが「分数コード」です。以上2つ、下のリンクより。
というわけで、『翼の折れたエンジェル』の「後ろ髪コード進行」の妙味を、少しでも分かっていたたければ幸いです。でも「これでも難しかったかも?」と後ろ髪を引かれつつ、今回は終わりです。
2017.07.09