椎名林檎「丸の内サディスティック」に登場するベンジーこと浅井健一
リオデジャネイロオリンピック閉会式での、オリジナリティあふれる引継式のパフォーマンス。全世界を魅了し、東京オリンピックへの華麗なる序章とした。日本のトップクリエーター、アーティストの才能に感動し、日本文化の豊かさ、先鋭さを誇らしく思った。その音楽監督を務めた椎名林檎さん。
林檎さんの活躍ぶりは語るまでもないが、彼女の初期の楽曲「丸の内サディスティック」の歌詞に登場するのが、ベンジーこと浅井健一。伝説のロックバンド、BLANKEY JET CITY(以下BJC)のヴォーカル&ギター、孤高のロッカーである。
将来僧に成って結婚して欲しい
毎晩寝具で遊戯するだけ
ピザ屋の彼女になってみたい
そしたらベンジー、
あたしをグレッチで殴(ぶ)って
レコーディングはロンドン「レッド・ギター・アンド・ザ・トゥルース」
林檎さんはベンジーを敬愛しており、「歩く芸術」と称している。BJCはデビューアルバムをロンドンでレコーディングしていたため、自らもロンドンに渡っている。この街にベンジーはいたのだ、と同じ空気を吸いたくて。一体この人はどんな生い立ちで、日々なにを考えているのか、すごく興味があったとラジオでベンジー本人に話している。
私も全く同感である。ベンジーはその独創的な自分の頭の中にある世界を現実に持ち込んでそのまま展開させてしまう。彼のイメージは現実を喰らうのだ。その歌声とギターの旋律は時にものすごく凶暴で冷たくて、痛くて暗い。時に、ものすごく純粋で大きな愛に満ちている。とにかくかっこいい。
ブランキー・ジェット・シティ、イカ天5週連続勝ち抜き鮮烈デビュー!
浅井さんの幼少期について語られた資料を探しても見つけられなかった。もしや、不遇の少年時代だったのかと俗的な想像をしてしまう。私などが想像しても無意味だけど。3人の子供があり、午前中から爽やかに創作活動をし、子供たちをこよなく愛す愛情深い父親である。
有名な話だが、BJCのデビューは80年代の音楽シーンへの登竜門『三宅裕司のいかすバンド天国』(イカ天)である。圧倒的な力で5週連続勝ち抜き、鮮烈なデビューを飾った。この時の映像、ベンジーの髪型がリーゼントなことが違うくらいで、今見ても全盛期の彼らに見劣りしないほど圧巻のパフォーマンスだ。はじめから完成している。たった3人でどうしてあんなに厚みのある音がだせるのか。BJCはもう再結成しないだろうが、あのベンジーにまた会いたい。
歌詞引用
丸の内サディスティック / 椎名林檎 ※2016年10月14日に掲載された記事をアップデート
2021.04.12