1977年にスタートした「みどころガンガン大放送」
私も今年で芸能生活(?)49年目に入ったが、そのルーツは1977年までさかのぼる。この年の新卒としてTBSに入社。6月に配属されたのが制作局演出部、もともと音楽バラエティ志望だった私は念願通りの部署に配属された。最初についた番組が、毎週水曜19時30分からの音楽バラエティ『みどころガンガン大放送』だった。
そう、この番組にADで入ったことが、すべての始まりだった。この年4月に始まった『みどころガンガン大放送』は “みどころ学園” を舞台とした音楽バラエティで、レギュラーは、ピンク・レディー、せんだみつお、藤村俊二、志穂美悦子、ザ・ハンダース(清水アキラ、アパッチけん、アゴ勇、佐藤金造、鈴木末吉、小林まさひろ)。そこに毎週ゲストが加わり、歌やコントを繰り広げた。
当時のTBSは、平日19時台に若者向けの音楽バラエティを放送していた。そもそもは1974年10月にスタートした『せんみつ・湯原ドット30』から始まり、その後も企画やタイトル、出演者を変え、1980年代の『たのきん全力投球!』につながる枠だった。希望通りの部署に配属されたとはいえ、想像以上の過酷な地獄のような毎日が突然やってきた。
番組に社員ADは私1人。スケジュール作りからタレントの入り確認の連絡、楽屋割りからスタジオ押さえ、技術、美術との打ち合わせの手配、弁当発注、駐車場や車両の手配、当日は出演者の位置決めからリハーサルの進行、楽屋の呼び込みに終日フロア業務、翌日からは編集、MA(音入れ)作業の手配とディレクターのアシスト業務、放送までのフォローと、膨大な作業量だった。当時は、まだ “働き方改革” も無い時代、24時前に帰宅したことは一度もなかった。そう、毎日の帰宅時間は明け方の4時か5時だった。
最初は右も左も分からぬまま、ディレクターには、今ならハラスメントのように怒鳴られ、時には小突かれ、蹴られ、制作会社の先輩ADからも冷たくあしらわれながら辛い日々を過ごしていた。そんな中、私を支えていたのは “いつか面白い番組を作りたい” という夢があったからであり、どんなにつらくても “軍隊よりはまし、命まではとられないだろう” と自分に言い聞かせてきた。
不思議な連帯感を持った、当時人気絶頂だったピンク・レディー
そんな時、やさしく温かく接してくれたのが出演者の皆さんだった。せんだみつおさんは出演番組を数多く持つ当時の大スター。でも決して偉ぶらず、ペーペーの私にもやさしく接してくれた。ザ・ハンダーズの面々は私と同世代。まるで学校の友達のように、オフの時はよくバカ話をしたものだ。
そして当時人気絶頂だったピンク・レディー。彼女たちも超人気者ゆえ地獄のような過酷な状況。同じく厳しい環境にいた私にとっても大いに共感でき、不思議な連帯感を覚えたものである。テレビだけでも1日13~15本の出演をこなしていたというピンク・レディーの伝説は今でも語られているが、この番組でもコントに持ち歌、さらにプロダクションナンバーという別の人の歌や名曲、時には外国曲まで歌い踊るというコーナーもあり、大変な仕事量だった。
たいていは音合わせにも来れず、ギリギリにスタジオに飛び込んで1回リハーサルをした後、スタジオの片隅で休み、本番でさっと立ち上がって颯爽と歌い、出番が終わるとすぐに飛び出すというのが毎回のパターンだった。夏の大磯ロングビーチのロケでは、水着姿の2人がプールサイドやヨットの上で「渚のシンドバット」を歌いミュージックビデオのような映像を作ったが、この時ばかりは2人ともつかの間のリゾート気分を味わっていたように楽し気だった記憶がある。
無理難題にも答えてくれたプロフェッショナルさとサービス精神
一番過酷だったのは、急遽、持ち歌を1曲追加収録しなければならず、彼女たちのスケジュールを当たったところ、深夜の12時から明け方4時しか空いてないということ。さてどうしようか? TBSのスタジオは深夜12時以降使えないため、急遽、渋谷のスタジオを押さえ、深夜から明け方にかけて収録したことがある。
フラフラの状態で現れた彼女たちは歌の時以外はぐったりとピクリとも動かず、声もかけられない状態だった。そんなピンク・レディーだったが、どんな要求にも文句すら言わずやってくれた。しかし、ただ一度、北極の氷のセットで、2人が北極熊の着ぐるみで歌うという時だけは、着ぐるみの手でマイクを持つことができない、とさすがにダメ出しされたことがあった。
しかしそんな過酷な状況の中、どんな無理難題にも答えてくれたプロフェッショナルさとサービス精神には改めて頭が下がる思いである。当時の2人の印象は、ミーちゃんはつとめて明るく元気にふるまっていたが、ケイちゃんはいつもぐったり疲れきっていてこちらも常に心配していた印象である。
年下の山口百恵に注意された思い出
ゲストでいえば、私が大ファンだったキャンディーズが来た時は、ガチガチに緊張して、彼女たちにスタジオで説明する時、声も手も震えていたのを思い出す。そして、私より年下なのに、実にしっかりした大人だったのが山口百恵である。ある時、ロケで列車で移動した時、車内で大声で話していたら、彼女に “他のお客さんもいるから少し静かにしなさい” と言われ、年下の彼女に注意されて恥ずかしかった思い出がある。
この『みどころガンガン大放送』は、視聴率も20%近い人気バラエティだった。最近のバラエティは、クイズや芸人のトーク、グルメや街歩きが中心だが、この当時のバラエティは、歌にコントにドラマ、ショータイムと、文字通り “バラエティ” に富んだショーであり、わたし的にはこれが本当の “バラエティ” だと思うのだが。さて、1977年秋、私も配属から3か月が経ち、ようやく少し慣れたころで『みどころガンガン大放送』は終了。10月から『たまりまセブン大放送』に変わることになったのである。
▶ ピンク・レディーのコラム一覧はこちら!
2025.08.24