1982年がアイドルの豊作年であったことは有名だろう。あまりその方面には詳しくない向きでも、“花の82年組” なんていう呼び名を聞いたことがあるかもしれない。
81年10月からの1年間にデビューしたアイドルは、松本伊代、小泉今日子、堀ちえみ、石川秀美、早見優に中森明菜にシブがき隊、さらには薬師丸ひろ子や原田知世も歌手デビューしているのだから、とにかく大変な布陣だったのだ。ちなみに賞レース選考の関係で、81年10月21日にデビューした松本伊代も82年組にカウントされる。
ところが真のアイドル好きはその翌年に着目するのである。
松田聖子や河合奈保子、田原俊彦がデビューした80年の翌年、81年はたしかにアイドル不毛の年と言われた。しかし83年は前年が凄すぎたために目立たないが、なかなかどうして多彩な顔ぶれなのだ。
伊藤麻衣子(現・いとうまい子)、大沢逸美、太田貴子、桑田靖子、吹田明日香、武田久美子、松本明子、森尾由美など、現在も芸能活動を続けている面々のほか、岩井小百合、小出広美、佐東由梨、ソフトクリーム、徳丸純子、原真祐美、横田早苗らの引退組にもアイドルマニア垂涎の逸材が集う。
自分が「83年組アイドル」に親近感を抱くのは、この年から学生バイトでテレビ局に出入りするようになったこともある。初々しい新人たちはバイトのADに対しても丁寧に接してくれた。中でもフジテレビの番組『ふりーばる'83 ザ・夏』のことは忘れがたい。
現在の『お台場みんなの夢大陸』にあたるフジテレビの夏の恒例イベント『ふり~ばる』が、当時は神宮外苑の絵画館前広場で毎年開催されており、72年から87年まで16年間も続いたそうである。
同所からは、後の『夕やけニャンニャン』の枠で会期中の5日間、毎日生中継された。
おぼろげな記憶を甦らすために、当時の台本を屋根裏部屋の倉庫から発掘してきた。司会はせんだみつおと湯原昌幸、日替わりでミスキャンパスがアシスタントを務めている。コーナー司会は片岡鶴太郎だった。
ゲストは先輩アイドル+この年の新人で構成され、まず月曜日は岩崎良美、石川秀美に、新人は大沢逸美と松尾久美子。さらに安岡力也の名もある。『オレたちひょうきん族』のホタテマンで人気を得ていた頃だろう。
下手の担当だった自分は、岩崎良美と大沢逸美の出のきっかけを任されてドキドキした憶えがある。
火曜日は河合奈保子、堀ちえみに、新人は小林千絵と徳丸純子。さらにこの年、映画『南極物語』のイメージソング「愛のオーロラ」で歌手デビューした荻野目慶子も映画の宣伝に駆け付けている。
今回、台本にフジテレビの封筒が挟まっていたのを見つけて開けてみたら、『ふりーばる’83』の招待券と一緒に「愛のオーロラ」の宣伝用シールが入っていてちょっと嬉しかった。34年前の自分からの贈りものに感謝。
以降の新人アイドルでは、水曜日は森尾由美と河上幸恵。木曜日は松本明子と花井その子。金曜日は伊藤麻衣子と原真祐美が出演した。
円谷プロダクション所属の花井その子は、レッドキングやピグモンを従えて歌っていた稀有なアイドルだった。個人的には徳丸純子と森尾由美と原真祐美が気になった。
真夏の暑い盛りの故、たしか下手の舞台袖だったか、氷水にレモンを浸した大きなバケツが設置され、喉が渇くとその水を柄杓(ひしゃく)ですくって備え付けの紙コップで飲んでいたのが懐かしい。衛生的にはかなりヤバい代物だったが、あれは正しく命の水であった。楽屋とステージ裏を若さにまかせて走り回っているうちに、5日間はあっという間に過ぎてしまった。
一番の想い出はアイドルたちよりも、上手と下手に3人ずつ配置された同じ年ごろのアシスタントの女の子たちだった。打ち上げの席で労苦を共にした彼女たちとようやくゆっくり話せたことで5日間の疲れが吹っ飛んだ。ああ、あの頃メールやLINEがあったなら…。
日本初のショルダータイプの携帯電話がお目見えするのはそれから2年後、85年9月のことである。
2017.09.16
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