2010年 9月1日

解散やめ!宣言をしたピンク・レディー、その第2幕における2人の真骨頂!

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ピンク・レディーが「解散やめ!」を宣言した日
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昨年の年末、レコード大賞でピンク・レディーが披露した圧巻のステージを、私は忘れることが出来ない。

ご覧になった方には、伝わるだろう。あの息を呑むようなパフォーマンス。彼女たちの気迫、歌声、姿勢に、気付けば圧倒されていた。

還暦を迎えてもなお、現役時と引けを取らない、いや、むしろ、それをも超える “プロ” の “ピンク・レディー” としての生き様に、魂が震えた。ただただ涙が溢れてきたのを覚えている。

ヒールのブーツで踊り、2回の衣装替え、6分半のメドレーを完璧にこなした2人は、息切れしながら、「あぁ~ 楽しかったぁ!」(ミイ)、「今日は、死んでもいいと思ってやりました!」(ケイ)と語った。

その言葉がどれほどに重く、晴れやかだったか。2人がピンク・レディーとして生きる覚悟を見せてもらった気がした。

一切妥協のない、最高のパフォーマンスに、私たち平成生まれから当時を知る世代まで、釘付けになった。「あぁ、自分も頑張ろう」平成最後にピンク・レディーからもらった、込み上げてくるような勇気は格別だった。

1980年の9月1日に「解散」を発表してから、あの2018年末のステージまで、彼女たちが何を思い、どう歩んできたのか。

私は「解散後」のピンク・レディーについて、知りたくなった。

2005年に行われた全国100都市ツアーのドキュメンタリー映像や、『ほぼ日刊イトイ新聞』でケイが受けたインタビューを参照し、私は “ピンク・レディー” の哲学に触れた。ピンク・レディー第2幕は、昭和のあの頃をも超える、神々しいエネルギーに満ちていた。

ピンク・レディーは2005年まで複数回行われた期間限定の再結成、さらに、解散宣言から30年後の2010年9月1日には正式な「解散やめ!」宣言が行われている。

2005年の100都市を回る全国ツアーは、過酷なものだった。47歳(当時)の彼女たちは、ステージで圧巻のパフォーマンスを行う傍ら、裏では足や腰の痛みに苦しみマッサージを受ける。息切れ混じりに、昔のようには動かない体の「現実」と向き合いながら、夢のような時間を作り上げるピンク・レディーの姿があった。

その密着取材の中で、彼女たちが当時を振り返り、人気絶頂だったあの頃くすぶっていた思いを語っていた。

それは、 “ピンク・レディー” とはプロデューサー:相馬一比古、作詞家:阿久悠、作曲家:都倉俊一、振付師:土居甫、そうしたプロジェクトチームが作り上げたものであり、「自分たちは単なるパフォーマーに過ぎない」「自分たちにとってピンク・レディーとは何なのか」、という疑問だった。

だからこそ、47歳(当時)になった今でも、なぜピンク・レディーとして歌い踊り続けられるのか、と問われた2人はこう答えた。

「本当にピンク・レディーが自分たち2人でなくてはいけなかったのかを確かめたいから」(ミー)

「本当に最後となるこのツアーで(当時)、ピンク・レディーとして生きた意味を知りたいから」(ケイ)

そんなこと、ファンからしたら、いくらだって挙げられるのだけれど、彼女たち自身がピンク・レディーとして生きた意味を探し、踊り歌う姿は、かつてのものとはまた違う領域に到達していた。

それから6年後2011年に行われた、2人の意思での「解散やめ!」宣言後の全国ツアーは、さらなる過酷さを極めた。

いわゆる「いただいたお話」である、以前までの再結成のツアーでは、スイートルームに泊まってきたわけだが、自分たちの意思で、つまり自分たちがプロデューサーとなって行うこのツアーでは、客足が読めず、経費を削るために、時にはビジネスホテルに泊まることもあったという。

整体師がマッサージをするための簡易ベッドが開けず、廊下で施術を受けたこともあると言うから驚きだ。

それでもなお、なぜ、2人が「解散やめ!」をしてまでもう一度ピンク・レディーをやりたいと思ったのか。

それは、以前の2005年の再結成後、作詞家:阿久悠、振付師:土居甫、プロデューサー:相馬一比古が、相次いで亡くなったことによるものだった。

どちらかが死んだら、もうピンク・レディーはありえない。自分たちが今元気でいられるのは奇跡なんだ、そう思った時に、「もう一度やりたい」という思いが芽生えたという。

一生は一度しかない、一生懸命に生き切って、一生懸命に死に切りたい、とケイは語った。

2人のハーモニーは、2人にしか出せないものなのだ。

最後までピンク・レディーでいる、という2人の決意は、若い頃とはまた違う覚悟を孕んでいた。

「やるのであれば、昔以上のものを見せないとお客さんは来てくれない」

自分たちに厳しいハードルを課して行うライブは、更なる進化を遂げていた。

年齢を重ねて衰えた部分はあるけれど、それ以上に豊かになったものがたくさんある、という彼女たちの自負は、確かに伝わっていたと思う。

それから7年後の年末、彼女たちは『レコ大』のステージに立っていた。私は、ピンク・レディー「解散後」の第2幕における、2人の真骨頂を見た。

ピンク・レディーが、ピンク・レディーである、その尊い真実のために踊り続ける姿はあまりにもきらびやかだった。

2019.09.22
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  YouTube / Victor Entertainment
 

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カタリベ
1996年生まれ
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