4月1日

早見優「夏色のナンシー」からの筒美京平3部作はミラコーでマジコー!

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早見優、筒美京平の3部作は宝物


『夏色のナンシー』『渚のライオン』『ラッキィ・リップス』の3部作は、本当に宝物の3曲です

―― 稀代のヒットメーカー・筒美京平が亡くなった2020年10月、早見優は自身のブログに、レコードのジャケット写真込みでそう綴った。

メロディがとてもきれいで、ポップで、レコーディングの前に曲をいただく時にいつもワクワクしていたことを思い出します

1966年9月、ジャズシンガーの娘として熱海で生まれ、3歳のとき家族でグアム島に渡った早見は、7歳からハワイに移住。1980年に現地でサンミュージックからスカウトを受け、単身帰国して芸能界入りした。ゆえに英語はネイティヴ並み。「帰国子女アイドル」として異彩を放っていた。

アイドル豊作の年、1982年4月にデビューした早見。当時、歌番組で「優ちゃん、英語得意なんでしょ? なんか喋ってみてよ」とよく振られていたが、返事はまるで速射砲。あまりに流暢すぎて高1の私には何て言ってるのかサッパリ聴き取れなかった。「ついにアイドル界にも黒船が来たか」と思ったものだ。

そんな “Strong Point” も幸いして、早見はデビュー時から注目されてはいたが、曲のほうはデビュー曲の「急いで!初恋」以降、4曲続けてオリコン20位~30位台で “Stop”。本格 “Brake” にはもう “One Push” 足りていない感じだった(私も “A Little”、横文字使ってみました)。

やってきた “Big Wave”「夏色のナンシー」


早見とほぼ同期デビューで、今も仲良しの松本伊代は、第1弾「センチメンタル・ジャーニー」から4曲連続で筒美にシングル曲を書いてもらっていた。早見は「いいなぁ、私もあんなポップで明るい曲を歌いたい」と内心羨ましく思っていたそうだ。

そんなデビュー2年目の1983年、早見に願ってもない話が舞い込んできた。コカ・コーラのCM出演である。しかもイメージソングは自分の新曲で、曲は筒美京平が書いてくれるという。おそらく早見は「来た来た! 私にも “Big Wave” が来たわよ!」と、ハワイのビーチで大波に乗ったサーファーの気分だったんじゃないだろうか。

さっそく上がってきた曲は、早見の理想に “Just Fit” した、明るく爽やかなポップソングだった。その曲こそ、彼女の出世作にして代表作「夏色のナンシー」である。作詞は三浦徳子が担当した。

この曲、間奏部分で英語のコーラスが入る。これは有名な話だが、早見はその英語詞に注文を付けた。「文法的に、こんな英語はありえない」と言うのだ。当時はまだ、アイドルが自己主張するなんて、という時代だった。だが、ハワイで米国の教育を受けて育った早見は「おかしいものはおかしい」と言うのが当たり前。早見の意見が通り、歌詞は彼女が考えた自然な英語に変えられた。

またこの曲、実はタイトルも変更されている。最初は「夏色のキャシー」だったそうだ。「キャシー」はハワイでの早見の愛称だ。ところが「キャシー」だとどうも歌いにくいので、同じくポピュラーな名前の「ナンシー」に変更された。正解だったと思う。頭韻(「な」ついろの「ナ」ンシー)を踏み、よりキャッチーになったからだ。

一方、同時進行で撮影されたコカ・コーラのCMは、早見の “地元” ハワイでロケが行われた。水着姿でビーチを駆け抜け、ショートパンツでローラースケートに乗る彼女は、風貌こそ日本人だがまさにアメリカン。自由で、自然体そのものだった。そこにBGMとして流れる「夏色のナンシー」。最初に聴いたのもCM経由だったが、その軽快なサウンドも、これまた自由で爽快だった。

メロディの良さもさることながら、「ピッピッピッピッピキピキピッピッ……」「パラリロリロリロリロ……」というシンセの音がとにかく耳に残り、「こんなみずみずしい音が出せるんだ!」と驚いたのを覚えている。編曲は、あの四人囃子にも一時期キーボードで在籍した茂木由多加。歌謡曲の枠にとらわれず、思いきりエレクトロサウンドに寄せた大胆なアプローチはさすがである。

オリコン最高7位を記録した80年代エレポップの金字塔


1983年は筒美にとっても転換期で、それまで編曲はほとんど自身で手掛けていたが、曲の発注が殺到して多忙を極めていたこともあり、この頃から編曲を有能なアレンジャーたちに任すようになっていく。結果、80年代エレポップの金字塔とも言えるアイドル歌謡が誕生したわけで、この曲は茂木が適任、と判断した筒美の采配に敬服するほかない。

CMの効果もあって、「夏色のナンシー」はオリコン最高7位のヒットを記録。早見にとって初のベスト10ヒットとなり、彼女はデビュー5曲目でついにブレイクを果たした。リリースから40年近く経つというのに、今も夏になるとこの曲を頻繁に耳にするのは、それだけインパクトが強かった証拠だ。

「♪恋かな〜」「Yes!」「♪恋じゃない〜」「Yes!」という冒頭の掛け合いも新鮮だった。てか、答えがどっちも「Yes!」って、恋なのか恋じゃないのか、結局どっちなのよ? “風が吹くたび気分も揺れる” のが乙女心とはいえ、永遠のナゾだ。

というわけで、筒美に明るくポップなヒット曲を書いてもらうという夢が叶い、しかも大成功を収めた早見だが、筒美も「歌手・早見優」を気に入ったようで、続くシングル2曲も書き下ろしている。1983年7月発売の「渚のライオン」と、同年9月発売の「ラッキィ・リップス」だ。

この2曲は、どちらもオリコン最高10位とヒットはしているのだが、誰もが知っている「夏色のナンシー」に比べると、今一つ埋もれてしまっているのは残念だ。せっかくの機会なので、早見が「私の宝物」と言うこの2曲についても触れてみたい。

筒美京平、モータウン調で遊ぶ「渚のライオン」


「渚のライオン」の作詞は「夏色のナンシー」と同じ三浦徳子。おそらくコカ・コーラのCMからの連想だろう。主人公の女の子は、ローラースケートで街を抜けビーチへと向かう。彼氏はサーファーで、ちょうどビーチに着くと、大波をつかまえている最中。たて髪揺らしながら “Big Wave” に乗るその姿がライオンみたい…… という曲だ。



筒美はここで、モータウン調という遊びを入れてきた。このへんの「試してる感」こそ、早見の歌手としての才能を買っていた証拠だと思う。「アメリカ文化で育ったんだから、肌感覚で歌えるでしょ」っていうね。筒美の見立てどおり、しっかり対応してみせた早見。これは天性のものだ。アレンジは引き続き、茂木由多加が手掛けている。

また当然ながら、この曲にも英語詞が挿入されている。三浦はサビの最後で「♪It’s a miracle, miracle It’s a magical, magical」と韻を踏んでみせた。普通のアイドルだったら「♪イッツ・ア・ミ〜ラクル」「♪イッツ・ア・マ〜ジカル」とカタカナチックに歌うであろうところ、ネイティヴの早見はこう歌った。

「♪イッツァ・ミラコー、ミラコー イッツァ・マジコー、マジコー」

『ベストヒットUSA』で、小林克也がマイケル・ジャクソンを「マイコー・ジャクスン」と呼んだときと同じくらい、私は彼女の「本場の発音」に衝撃を受けた。またもや黒船来航である。いや、大政奉還か。喩えがよくわからなくなってきました。

でも細かいことを言うと、「Lion」の正しい発音は「ライオン」ではない。「o」の部分は、発音記号で書くと「ə」(「ア」と「オ」の中間の音)だ。

そこはタイトルと絡むだけに譲ったのか、ひと揉めあったのかは不明だが、早見は「♪You are the Lion」を日本語風に「♪ユーアー・ザ・ライ “オ” ン」と、明らかに「オ」に寄せて歌っている。そこで譲った分、サビは私の流儀でやらせてもらうわよ、ということなのか。こうして少女は大人になっていく。

大村雅朗のテクノ風アレンジがポイント「ラッキィ・リップス」


そして3部作の〆は、資生堂バスボン・ヘアコロンシャンプー&リンスのCMソングになった「ラッキィ・リップス」(口紅のCMじゃないのは不思議だった)。こちらも作詞は三浦徳子だが、編曲は大村雅朗に交代。アレンジはよりテクノ風なアプローチになった。



「♪ばかね fall in love, fall in love あの日からずっと…」としっとりした感じで始まり、だんだん軽快にテンポアップ。途中、女声コーラスとの掛け合いも楽しめるポップソングで、筒美はこれで、早見の歌手としての “幅” を試したのだと思う。

野球で喩えると「アナタ、変化球は何種類投げられるの?」みたいな感じ。ここで試した “幅” が、松本隆・大村雅朗とタッグを組んだ次々作「誘惑光線・クラッ!」につながっていくのである。

こうして振り返ってみると、デビュー2年目でこれだけのそうそうたる面々と渡り合い、筒美が期待する水準をヒョイッとクリアしてみせたあたり、早見優って只者ではなかったのだな、とあらためて思う。

筒美京平の創作意欲を掻き立てた存在だった早見優


早見が「夏色のナンシー」「渚のライオン」「ラッキィ・リップス」の3曲を「宝物」と呼んでいるのも、筒美が自分を「ただのアイドル」ではなく、1人のアーティストとして扱ってくれたからだろう。過去のキャリアや肩書きで人を判断するのではなく、純粋に能力だけを見て、自分の才能を引き出してくれた最初の大人。それが筒美だった。

筒美もまた洋楽指向で、従来の日本の歌謡曲に飽き足らず、自分に刺激を与えてくれる新しい才能をつねに探していた。英語の歌詞をネイティヴ同様の感覚で歌える早見優は、筒美にとって、大いに創作意欲をそそるシンガーだったに違いない。二人が出逢ったのは、まさに「ミラコー」であり「マジコー」だった。

その早見だが、ちょうどこの原稿を書いていた8月21日に自身のインスタグラムを更新。デビュー40周年を機に、所属事務所を円満退所し、独立して様々な活動を始めると宣言した。彼女と同学年で、同じ大学を卒業した私としては、ただただ応援するのみだ。

Cathy, let’s make a miracle!

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2022.09.02
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