7月21日

桑名正博「セクシャルバイオレットNo.1」松本隆が歌詞で伝えたアーティストの魅力

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photo:NIPPON COLUMBIA  

男性アーティストに提供した松本隆の詞、その特徴とは?


松本隆には女性が歌う詞の達人というイメージが強いが、優れた男性詞もけっして少なくない。

もともと松本隆はロックバンド “はっぴいえんど” のドラマーであり、バンドのレパートリーのほとんどの作詞を手掛けていたし、それらはもちろん男性目線で書かれたものだった。その後もはっぴいえんどのメンバーだった大滝詠一や鈴木茂のソロアルバムや、松本隆自身がプロデュースした南佳孝のデビューアルバム『摩天楼のヒロイン』(1973年)をはじめ、早くから松本隆は男性アーティストにも詞を提供してきた。

改めて男性アーティストに提供した松本隆の詞をを見ると、いくつか特徴があることに気づく。ひとつはロック、フォーク系アーティストのデビューにかかわる作品だ。THE ALFEE「夏しぐれ」(1974年)、原田真二「てぃーんず ぶるーす」(1977年)はデビュー曲だし、チューリップ「夏色のおもいで」(1973年)、オフコース「わすれ雪」(1974年)はデビュー曲でこそないが、デビュー間もなく発表されたシングル曲だ。

松本隆にこうした作品が多かった背景には当時の歌謡シーンの状況があった。1970年代に入ってフォークを中心に新しい音楽が台頭していた。こうした動きをメジャーシーン(既成音楽業界)は取り込もうとしたけれど、新しい時代の感覚を表現できる作家はきわめて少なかった。そうした時代において、松本隆はロックのフィールドから突如登場した気鋭の作詞家だった。

シンガーソングライターからも求められた松本隆の詞


はっぴいえんど時代の松本隆には “繊細な言葉のニュアンスによって詩情豊かな心象風景を描く通好みの作家” という評価があった。しかし「夏色のおもいで」がこの時代随一のヒットメーカーである作曲家・筒美京平の目にとまったこともあり、彼は歌謡ポップスに新しい時代感覚を入れ込むことができる貴重な作詞家として注目されることになったのだ。

その意味では、当時のレコード制作スタッフには、ともすれば自分達の世界に閉じこもる恐れがあるフォーク、ロック系新人アーティストをメジャーシーンで勝負させるための保険として、彼らが納得できる音楽センスをもつと同時に楽曲を歌謡曲として成立させることができる作詞家として松本隆を起用した人もいたのかもしれないとも感じる。

しかし、それ以上に注目すべきなのが、松本隆の詞が、シンガーソングライターなどの自分も詞が書けるアーティストにも求められていたということだ。自らの経験からアーティストの本質を理解し、その上で彼らの作品に必要な詞を適確に提供する。その作家としての力量を評価して積極的に松本隆に詞を依頼した大物アーティストも少なくなかった。吉田拓郎も「外は白い雪の夜」(1978年)を始めとする多くの松本隆の詞を歌っているし、矢沢永吉も「サブウエイ特急」(1975年)など松本隆とともにつくった名曲を残している。

桑名正博も、そんな松本隆とともに名曲を生み出した忘れられないロックアーティストの一人だ。

桑名正博「セクシャルバイオレットNo.1」でチャート1位


桑名正博を知ったのは、関西を拠点とするロック・バンド、ファニー・カンパニーのヴォーカリストとしてだった。1972年に「スウィートホーム大阪」でデビューした彼らは “東のキャロル、西のファニー・カンパニー” と言われるほど高く評価されていた。当時、「スウィートホーム大阪」は大阪弁のロックとして話題になったけれど、僕が強く感じたのは桑名正博の圧倒的な歌唱力歌だった。単に曲を正確に歌おうとするのではなく、リアルな感情を投影しながらグイグイ演奏を盛り上げて聴き手を歌の世界に引き込んでいく、まさに最高のロックシンガーだと思った。

ファニー・カンパニーは1973年に解散、桑名正博は1976年にソロアルバム『Who are you』を発表する。しかし、この時は大きな反響は得られなかった。そんな彼を本格的にプッシュしようと名乗りを上げたのが筒美京平だった。

筒美京平は松本隆と組み、桑名正博のファーストシングルとなる「哀愁トゥナイト」(1977年)を手掛ける。この曲がスマッシュヒットしたことで桑名正博は全国的に知られるようになり、その後も一連の桑名正博の楽曲を筒美京平×松本隆のチームが手掛けていく。そして1979年の「セクシャルバイオレットNo.1」でついに桑名正博はチャート1位を獲得した。

キャッチフレーズを生かて伝えた桑名正博の魅力


「セクシャルバイオレットNo.1」が大ヒットした要因のひとつは、カネボウの夏のキャンペーンソングとなったことだ。実は1970年代中頃から、資生堂、カネボウを中心とする化粧品メーカーの季節ごとのキャンペーンソングは、そのCM露出量や世間滝注目度の大きさもあって、必ず大ヒットするというジンクスがあり、尾崎亜美の「マイ・ピュア・レディ」(1977年)、サーカスの「Mr.サマータイム」(1978年)、堀内孝雄の「君の瞳は10000ボルト」(1978年)など、多くのヒット曲がキャンペーンから生まれていた。

この “セクシャルバイオレットNo.1” という言葉もキャンペーンのキャッチフレーズだった。しかし、この曲を見ていくと、このキャッチフレーズを生かしながら桑名正博の魅力を最大限に伝えている歌詞の力を改めて強く感じる。松本隆の詞が、この曲の大ヒットに大きく貢献していたことは間違いないと思う。

筒美京平が桑名正博と組んだのは “日本のロックをつくりたい” と考えたからだという。もちろん松本隆にもその意欲は伝えられていただろう。「哀愁トゥナイト」をはじめとする、松本隆が桑名正博のために書いた詞を見ていくと、そこにはファニー・カンパニー時代から松本隆が見てきた桑名正博ならではのチャームポイントを引き出そうとしていることが感じられる。

松本隆の計算された歌詞、その期待に応えた桑名正博


当時、僕自身が桑名正博に強く感じていたのが男としてのカッコよさだった。端正なルックスだけれど、気取りのない豊かな表情の持ち主で、笑顔がとてもチャーミングだった。時にはムチャもするけれど、人としてのスジは曲げない。そんなやんちゃさと育ちの良さとがミックスされたような不思議な魅力があった。男の僕から見ても、桑名正博のちょっと危険さも忍ばせたセクシーさには惹かれるものがあった。

松本隆は、そんな桑名正博のチャームポイントをより効果的にアピールしようとしたんじゃないかと思う。「哀愁トゥナイト」でも、愛し合った直後の男女の機微を男の視線で描いているし、セカンドシングル「バラと海賊」(1978年)では海賊になぞらえて肉食系男子の心情を描いている。そして、サードシングルの「サード・レディー」(1978年)も、肉体的に結ばれた後の男女の心情を描いた曲だ。

こうしたある意味生々しさのあるテーマは誰もが歌えるものではないと思う。歌からいやらしさが感じられてしまえば、聴き手には受け入れられない。キャラクターとして嫌味のないセクシーさを持つとともに、その歌に込められた情熱をストレートに表現できる桑名正博なら歌いこなせる。松本隆はそう計算していたのではないだろうか。そして、桑名正博はその期待に見事に応えてみせた。

桑名正博のパフォーマンスに感じる “ロックのスピリット”


「セクシャルバイオレットNo.1」は、それまでの作品でトライしてきた “セクシーな男” の魅力のエッセンスを結集させた作品だと思う。詞が描いているのは、まさに男と女が結ばれようとする瞬間をピンポイントで捉えたシーン。これをリアルな臨場感を感じさせながらピュアな情熱を伝える歌として表現するのは至難の業だ。しかし、桑名正博のヴォーカルは、リスナーにグイグイ迫りながらも爽快感すら感じさせる素晴らしいものだった。

Youtubeを探してみれば、当時のテレビで「セクシャルバイオレットNo.1」を歌う桑名正博の姿を見ることができると思う。生放送とはいえ歌番組にどこまで期待して良いのか疑問に感じるかもしれないが、実際にそのパフォーマンスに触れれば、桑名正博が楽曲そして詞の世界をいかにダイナミックに表現していたのか納得できるだろう。同時にそのパフォーマンスから、紛れもないロックのスピリットを感じることができるだろう。

詞で引き出した桑名正博のポテンシャルとロック表現の可能性


当時、桑名正博、さらには「気絶するほど悩ましい」(1977年)をヒットさせていたCharなどに対して “彼らがやっているのは歌謡ロックで、ホンモノのロックではない” という評価もあった。たしかに、彼らが日本のメジャーシーンで勝負するために、歌謡ポップスのノウハウを利用したのは事実だろう。しかし、それはあくまでリスナーに対する入りやすさを用意したということに過ぎず、けっして彼らのロックスピリットが薄められているわけではない。この機会に桑名正博の「セクシャルバイオレットNo.1」のパフォーマンス映像をいくつか見直して、僕はそれを確信した。

松本隆は、その膨大な作品を通じて、それぞれのアーティストの個性や秘められた可能性を輝かせることに傾注してきた作家だと思う。そして、「セクシャルバイオレットNo.1」は桑名正博という男性アーティストのポテンシャルを究極の形で引き出すとともに、日本におけるロック表現の可能性に対するアプローチの意味も込められた “詞” だったのではないかという気がする。


2021.07.21
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カタリベ
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