ジャイアント馬場さんは、プロレス界のみならず、日本中の誰もがその名を知っていた。あらゆる競技の中で、最も有名な選手の一人であった(今でもそうかも)。だって、当時の幼稚園児だって知っていたのだから…… 私が幼稚園に通っていた “鼻たれ小僧” の頃、父の会社の運動会で馬場さんと綱引きをしたことがある。正確には、「ジャイアント馬場 vs ちびっ子たち」で、あれは確か豊島園のグランドだったと思う。われ先にと飛び出し、綱の最前列に並んだ私の目の前に馬場さん。やっぱり巨大で、私は真上の空を見上げるようにして顔を見た。馬場さんの顔の向こうに青い空が見えたという残像が、いまだに残っている。 なにせ幼稚園児でも知っている巨人が目の前にいるのだから、どうしたって興奮する。嬉しくなった私が綱引きそっちのけで、あの十六文キックを繰り出す長い足にまとわりつくと、ニヤニヤ(そう、ニコニコというよりもこっちのイメージ)して、頭を撫でてくれた。当時の私にとっては、かなり自慢の出来事だった(しかし、なぜか綱引きの結果は覚えていない)。 さて、馬場さんの入場曲は、1980年代中盤になると、『王者の魂』というオリジナル曲に変わったが、やっぱりこっちの方のイメージが強い。それは、『日本テレビスポーツのテーマ』。数多くのスポーツ中継で使われていた曲で、ジャイアンツの試合やボクシング中継などでも流れていた。この曲、元は、『スポーツ行進曲』と言うらしい。1953年に黛敏郎が作曲した行進曲で、それを日本テレビが採用し、あらゆるスポーツ中継で使っていたのだそうだ。本コラムを読んでくださっている皆さんも、絶対に耳にしたことがあるはずで、いわば国民的なスポーツのテーマ曲だった。 もちろん、『全日本プロレス中継』でも使われていたのだが、馬場さんは自身の入場曲としても使っていた。日テレの顔を立てるためだったと想像するが、馬場さんの律儀な性格を感じる。でも、あの国民的なテーマ曲をバックに入場する馬場さんは、やはり体同様、巨大な存在だった。まさに、スポーツ界を代表していたと言っても良いのではないだろうか。 本コラム執筆中に、馬場さんの試合を見返した。1984年4月、ハンセンにPWFタイトルを奪われたのがラストのタイトル戦だったと思うので、その前あたりがベストかと、1982年4月22日のハンセンとのPWF戦を選んだ。この試合では、何とトップロープから飛んでいる(かわされて不発に終わったが)。そういえば、別の試合では、ハンセン相手に32文ロケット砲もぶっ放している。80年代でも飛んでいたのは驚きだ! 最近、この曲を耳にする機会も少ないと思うので、馬場さんの懐かしい映像とともに是非どうぞ。
2017.01.24
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