今日で30年。まさかの30年だ。
はじめにどこかで『リンダリンダ』を耳にして椅子から落ち、そしてこのファーストアルバムを買ってきて針を落とした1曲目『未来は僕等の手の中』で完全に言葉を失い、続く『終わらない歌』でさらに頭をバットで殴られて以来30年だ。
今回、ザ・ブルーハーツの1枚目のアルバムが発売されて30周年ということでこの文章を書いているのだが、まったく考えがまとまらない。というか、ブルーハーツに関して僕は、考察とか、見解とか、評論とか、そんなものはまったくない。それは今も目の前にある問いだからだ。
一般に、ブルーハーツはパンク音楽というムーブメントの中から出てきたと思われている。いまだにライブなどで甲本ヒロトがセックス・ピストルズの『アナーキー・イン・ザ・UK』に日本語の詞を乗せて歌うこともあるから、本人たちも好きだったのは間違いない。このファーストアルバムにもずばり『パンク・ロック』という歌もある。
僕 パンク・ロックが好きだ
中途ハンパな気持ちじゃなくて
ああ やさしいから好きなんだ
と歌詞は続く。だが、「パンク・ロック」について「やさしい」と表現する彼らのスタンスは、そもそも完全に独自の立ち位置にある。事実、この歌の曲調もとてもやさしい。
パンクとは、社会に対する反抗、既成概念の否定、というふうに考えられがちだが、彼らの場合はその先へ一歩進んで、社会に対する個人のありようを考え尽くした結果、反抗や破壊ではなく、本質や真実を問うところまで辿り着いている。『未来は僕等の手の中』で彼らはこう歌う。
誰かのルールはいらない
誰かのモラルはいらない
学校もジュクもいらない
真実を握りしめたい
だが、こうした組織や集団にたいして個を屹立させる生き方とは数と圧力に対する果敢な挑戦であり、必ず恐怖を伴う。『終わらない歌』の中ではそれが「キチガイ扱い」される事実を述べ、こう語っている。
真実(ホント)の瞬間は
いつも死ぬ程こわいものだから
逃げ出したくなったことは
今まで何度でもあった
ブルーハーツは、数の論理からはみ出すその怖さに立ち向かい、そして個を確立することこそがおたがいの尊厳を守ることであり、それが人間相互のやさしい関わり、振る舞いにつながることをはっきり自覚しているのだ。
その究極は『ブルーハーツのテーマ』だ。自覚的ではなく、共同体から仕方なくはみ出してしまった者にこそ、その純粋さ、そしてやさしさへのチャンスがあることが宣言されている。
人殺し 銀行強盗 チンピラたち
手を合わせる 刑務所の中
こんな歌詞がありえるだろうか。これはもう大乗仏教の領域ではないか。
ライブで一曲目に演奏される彼らのテーマ曲たるこの歌の歌詞が問題となって、メジャーから発売されるアルバムに収録することができず、自主制作盤という形で世に問うことになった事実そのものが、「組織・集団の論理」からはみ出すということはどういうことかを証明している。
僕はカラオケでブルーハーツの歌を歌うことができない。心の中でその一言一句が重くなりすぎていて、自分の下手くそな歌でなぞることを自分に許していないのだ。
この最初のアルバムが日本の社会全体に与えた衝撃は計り知れない。そして30年近くの時を経ても僕の心の奥底に叫びが聞こえ続け、とうとう人生を変えてしまったことは以前書いた通りだ。
ブルーハーツに関して僕は、考察とか、見解とか、評論とか、そんなものはまったくない。それはいまも目の前に厳然とここにあって、僕に問いを投げかけ続け、「死ぬ程こわい 真実の瞬間」を突きつけ続けているものだからだ。
逃げ出したくなりながらも、ザ・ブルーハーツの話を僕はまた、しようと思う。「あきらめるなんて死ぬまでないから」である。
2017.05.21
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