『佐野元春インタビュー ② 僕は物語を書きたかった。ストーリーテリングという手法でね』からのつづき
80年代中盤の「VISITORS」以降、僕ははっきり言って苛立っていた
―『SOMEDAY』には論理とか宗教とかイデオロギーとか、そういうものを超えたところに存在する価値観が集約されていたと思います。そこに集約されているものに対する佐野さんの見方は今も変わらないですか?
佐野:それは分からない。自分は信念を持った人ではないし、これが正しい、これが間違いという道義的な白黒したところがはっきりとした人ではないから。僕は作家なので、その景色を自分なりに上手にスケッチすることに徹してきた。
― その基本的なスタンスは、今現在も変わらないということですね。
佐野:そうだね。3歳ぐらいの時からね(笑)。
― その中で『VISITORS』のように自我を強く出すようにシフトしていった場面もあったと思います。
佐野:『VISITORS』からソングライティングを変えた。80年代中頃から国は未曾有の好景気でみんな楽しそうだったけれど、僕はそうでもなかった。はっきり言って苛立っていた。その感覚は『Café Bohemia』、『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』に続いた。
― だんだんと表現が強くなっていったと思います。
佐野:あぁ、せっかくのパーティーなのに一人で不機嫌になってる奴のような(笑)。
― 佐野さんがニューヨークに行かれて『VISITORS』で、「俺はこうなんだ」というのをすごく感じました。そこで手法がガラッと変わったのは何故ですか?
佐野:手法は変わったけれど中身はそれほど変わってない。ただ当時ニューヨークでは音楽的な革命が起こっていた。ヒップホップ、ラップだ。言葉が前に出た音楽。前々からスポークンワーズに興味があったのですぐに夢中になった。ラップをフォーマットにした日本語の新しいロックミュージック。それを追求した。でもそれを日本に持ち帰ったら古いファンから「こんなの音楽じゃない」と散々言われた。
― 僕は『VISITORS』を初めて聴いた時、大きく変わったという感じが全くしませんでした。
佐野:そう言ってくれるファンもいた。新しい世代のファンだ。
― 佐野さんがニューヨーク滞在中に「THIS」に書かれていた中で、「この街で初めてできた友達がドラッグで死んだ」という一節があって、この人、体張って音楽を作っているだと強く感じました。
佐野:ニューヨークの生活はヘビーだったけれど、生きてるっていう実感があった。東京にいたら『VISITORS』は出来なかった。ドラッグ、人種問題、政治、戦争、セクシャリティ、差別と偏見。毎日がCNNニュースだったよ。明日は自分がどうなるかわからないっていう中で曲を書くんだからタフじゃないとやっていけなかった。表現が強くなるのは当然だった。そこにラップがあったのは助かった。まさに “現在” を表現できる音楽だった。僕は用意していた曲を全部捨てて、あの街でイチから曲を作り直した。そうして出来たのが『VISITORS』だった。
企画段階で消極的だった「SOMEDAY」完全再現ライブ
― 「SOMEDAY」完全再現ライブについてお話しをうかがいます。このアルバム再現ライブというのは、これまでの佐野さんのキャリアから考えると意外なことだと思えました。これをやろうと思った経緯を教えて下さい。
佐野:最初、企画が上がった段階では消極的だった。3年目にもう一度オファーが来て、やってもいいかなと思った。その2年の間に何が起こったのかは分からないけれど、やってみようという気持ちになった。
― これを2013年、およそ30年後に再現ライブというかたちでやられたわけですよね。
佐野:やってみたら楽しくなってきた。レコードサウンドを忠実に再現してようという試みだった。当時レコーディングしたマルチを引っ張り出してきて、それぞれどう演奏していたか、バッキングミュージシャンみんなが解析してくれて、その通りに再現していった。
― 実際のステージをやられてどうでしたか。楽しまれているように感じました。
佐野:僕も収録された映像を観ましたが、自分が楽しんでいるのが分かる。
― オーディエンスの表情もすごく良いんですよね。
佐野:そうだね。『SOMEDAY』完全再現ライブの主人公は僕じゃないよ。あの日集まってくれたオーディエンス。彼らが主人公だ。
― 人生をアルバム『SOMEDAY』と共に歩んできた人たちがティーンネイジャーだった頃の自分と会うという意味合いもありますよね。
佐野:まぁね。最初、企画を持ち込まれて消極的だったのは、「そんなノスタルジーに浸ってどうするんだよ」という思いがあったから。でも多くの人がアルバム『SOMEDAY』の音楽性の高さについて僕に語ってくれた。それを30年経った今、ライブで再現するのはとても意味があることだ、と。それで心が動いた。『SOMEDAY』という “物語” が30年を経てどうなったのか、知りたいと思った。
オーディエンスの喜んでくれている顔を見れば、何も言うことはない
― 「SOMEDAY」再現ライブを、今、ご自身はどう評価しますか。
佐野:過去の自分の音楽の再構築という、知的で、面白い作業だった。やってよかったと思った。あの映像に映ったオーディエンスの喜んでくれている顔を見れば、何も言うことはないよ。一言、「ありがとう」と言いたいです。
― オーディエンスのあの表情があったから、Blu-rayのリリースも決断したということですか。アルバムリリースから40年という節目に出るわけですから。
佐野:このライブをいつかパッケージにしようという話は以前からあった。2022年の今年、『SOMEDAY』リリース40周年という時にリリースできてよかったと思います。
― ファンのためでもあり、ご自身のためでもあると。
佐野:そうだね。ファンのためが98%(笑)。
― このリリースに際して、「俺たちは生き抜いてきたんだ」というコメントをされていますが、それは、オーディエンスの表情を見て、そのように感じられたと思うのですが、生き抜いてきたというフレーズが再現ライブらしいなと思いました。
佐野:まぁね。でも本当は、『SOMEDAY』をリアルタイムで体験していない10代のキッズたちにも楽しんでもらいたいライブだった。それにはちょっと会場が狭かったかもしれないね。
桑田佳祐プロジェクト「時代遅れのRock’n’Roll Band」に参加して
― 佐野さんと共に人生を歩んだ当時のティーンネイジャーは50代になっていると思いますが、みんなすごく勇気をもらっていると思います。
佐野:それは嬉しい。20代、30代の人たちも聴いてほしい。
― あの中の佐野さんの立ち位置というのは、多分、昔から変わってないんだなという感じがして。
佐野:あのプロジェクトは素晴らしい体験だった。他の4人はみんなテレビで活躍してきた人たちだ。カメラの前で自分がどう振る舞ったらいいかよくわかっている。よくわかっていないのは僕だけだった(笑)。
― あの佐野さんのソロパートは桑田さんのアイディアですか?
佐野:そう。桑田くんのアイデアは冴えていた。4人がいい感じで参加できるように準備してくれた。僕のボーカルパートも自然だった。桑田くんとハーモニーで声を合わせるのが楽しかった。
― あれを観て、佐野さんの音楽に初めて触れる人も多いと思います。
佐野:あぁ、そうだね。気に入ってくれるといいな。
(取材・構成 / 本田隆)
次回最終回は、近頃リリースした『ENTERTAINMENT!』、『今、何処(WHERE ARE YOU)』について、そしてThe Coyote Bandと奏でるサウンドの本質について語ってもらっています。
『佐野元春インタビュー ④ 僕のリリックはコヨーテバンドの演奏でより豊かに響く』につづく
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2022.07.01