映画を観るために高校生の僕は、きつい坂道を自転車で漕いで行かねばならなかった。いや正確に言えば「映画のDVDを借りるため」に、である。
16歳の僕は、いかに周りと違うものを観たり聴いたりするかに文字通り「命を賭けて」いた。そこで僕が目をつけたのが、ビデオ店の隅にあった「ミニシアター」コーナーであった。映画について全く不案内だった当時の僕は、このニッチな「ミニシアター」のコーナーにあるものをまず「全制覇」することを目標とした。
それを端から端までしらみつぶしに観ようとする意地が、僕を地元でも有名な心臓破りの坂道に「トライ」させていた。
店長の好みだったのかもしれないが、人の背丈ぐらいある棚にぎっしり独立系映画の並んだ丘の上のレンタルビデオ店は、僕にとってある種の「聖殿」だったのだ。
そんな僕に映画の魅力を教えてくれた監督が、80年代ミニシアターブームの火付け役であったヴィム・ヴェンダースとジム・ジャームッシュであった。この二人の監督によって僕は初めて、映画を観る時に「監督は誰か」を意識するようになった。
そんな初体験から10年経った。しかし僕は、ヴェンダースを今でも「語る」ことができないでいる。理由は彼の描く「情感」にある。
僕にとってヴェンダースの『パリ・テキサス』(1984)は「僕を描いた僕のための」映画であり、『ベルリン 天使の詩』(1987)は僕の日記だ。そのような作品との距離感がゼロのものを、僕は突き放して「語る」対象にはできない。
しかし、ジャームッシュは「語る」ことができる。これは、ジャームッシュの作品に思い入れがヴェンダースに較べて「無い」ということでは、もちろんない。ヴェンダースとは違いジャームッシュの作品には、何か感情移入を拒むポーズが感じられるのだ。
僕はジャームッシュの作品を、第1作から年代順に観ていった。つまり僕のジャームッシュ初体験は『パーマネント・バケーション』なのだが、そこにはヴェンダースのような「エモーション」が無く、斜に構えた冷ややかさで満ちているようだ。そっけないとも言える。
そんな『パーマネント・バケーション』を観た時の衝撃は大きかった。その50分弱という短さとストーリーの脈絡の無さ。突然ニューヨークに爆撃音が響いたと思えば、他のシーンではラテン系の女性が1人、叫ぶように歌っている……。今観たものは何なのか、心に残り続け何度も見返した思い出がある。
そして主人公・アリーのシニカルな態度! フランスの退廃的な詩を読み、ジャズのレコードで踊る彼と、僕は同い年だった。影響されないわけがないのだ。
『パーマネント・バケーション』を観た次の日から、僕の生意気さにより拍車がかかった。影響を受けやすい僕は、すぐにアリーの「冷笑」を身につけてしまった。そしてその爪痕は、未だに僕に残っている。
そしてジャームッシュの作品に触れてから、僕は自転車に乗って汗をかきながら坂道を登ることをやめた。なぜなら「アリーはそんなことはしないだろう」と思ったから。
心は16歳のまま、身体だけ歳をとった僕の「パーマネント・バケーション」は、どうやら永遠に終わりそうにない。
2017.07.12
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