クリスマス・イブ、それは伊藤銀次の誕生日
クリスマスがみんなにとって特別な日であるように、僕にとってもスペシャルな日であることは変わりないのだけれど、ほかの誰よりもこの日がずっとずっと特別なのは、12月24日、クリスマス・イブが僕の生まれた日だからなのだ。
はじめて僕の誕生日を知った人はみな「いいですね。うらやましい」というけれど…
実は子供の頃はイブ生まれだからいいと思ったことは一度もなかった。なぜならば、ほかの子供達は親から友達から、一年に2回、自分の誕生日とクリスマスにはちゃんと別々にお祝いしてもらっていたからだ。
ところが僕はといえば、プレゼントもケーキも毎年一つ。ケーキやグリーティング・カードには決まったように「Happy Birthday & Merry X’mas」と書かれてた。情けない理由だけど、いつも損をしているような気分で毎年クリスマス・イブと誕生日を迎え過ごしてきたものだった。
そんな僕が、こんな特別な日に生まれてきてほんとによかったと心から思えるときがあった。それは1982年9月からはじまった佐野元春 with ザ・ハートランド『Rock'N Roll Night Tour』の12月24日大阪公演のライヴ中に起こった。
互いにリスペクトし合う、伊藤銀次と佐野元春の関係
よく銀次は “佐野元春を育てた” という人がいるけれど、実は僕と佐野元春は相互にいい影響を自然に与え受け取ることができてた関係で、僕が本能的に彼の成功を確信し献身的になってたように、彼は僕を単なるバックバンドのギタリストとしてではなく、日本ロックシーンの先輩としてのリスペクトからか、機会があれば自分のショーで僕をフィーチャーして表舞台に出る機会を作ってくれたのだった。
今でも忘れられないのは、1981年の初夏だったか夏だったか ARB などとの日比谷野音での対バンライヴにハートランドで出るときのリハスタでの佐野君。
「今度の野音では銀次にも歌って欲しいんだ。この曲をね」
と、キーボードを弾きながらおもむろに歌いはじめたのは、80年代のおしゃれな AOR 風なアレンジになっていた、なんと「幸せにさよなら」!!
僕はその時胸がつまって何も言えなかった。この佐野君の計らいが、70年代のデビューアルバム『DEADLY DRIVE』が売れなくて、ずっと失意の底をさまよっていた、僕に再びソロ活動を決心させるきっかけになったことはいうまでもない。
その後82年にめでたく、5年ぶりの僕のソロアルバム『BABY BLUE』の制作が決まった時も、彼は僕のために「そして誰のせいでもない」という素晴らしい曲を書き下ろして僕を後方支援してくれたんだ。
12月24日の Rock'N Roll Night Tour、会場のファンから「ハッピー・バースデー」大合唱!
そして82年の秋から始まったハートランドのツアーは好評のうち全国を回って、12月24日には、僕のホームタウンの大阪の大阪厚生年金会館(現オリックス劇場)に。
その日がイブであり誕生日とはわかっていたけれど、僕の頭の中は “その日の元春のショーを今日もしっかりやりとげるぞ!” という思いでいっぱいで余裕がなかったからか、ショーが佳境に入った時にいきなり出た、佐野元春の MC にはもう驚いた。
「今日はクリスマス・イブ、そして銀次のバースデイなんだ。だから会場のみんなで銀次にハッピー・バースデイの歌を歌ってほしいんだ」
それは夢のような時間だった。会場に集まってくれた3000人近いファンが声を合わせて歌ってくれた「♪ Happy Birthday to you …」の大合唱に包まれた時のあの気持ちは今でも忘れられない。生まれてはじめてクリスマス・イブに生まれてよかったと思えたね。そして、その時はっきりと、僕たちの音楽をこよなく愛してくれ、僕たちをいつも見守り応援してくれてるファンの存在を肌身に実感した貴重な瞬間だったよ。
2019.12.24