1977年 11月25日

ピンク・レディー第2弾シングル「S・O・S」昭和51年の緊急事態宣言?

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ピンク・レディーのセカンドシングル「S・O・S」がリリースされた日
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45年前の日本に発生した “緊急事態宣言” と思しき事態とは?


「緊急事態宣言を発令します!」

ここ2年ばかり続くパンデミック、いわゆるコロナ禍によってすっかり耳馴染みになってしまった言葉である。いや、こうなってしまうのは由々しきことであるというのが私的な見解になるが、こんなご時世なのだから、“よんどころない” と捉えるべきなのか。そもそも、緊急事態とはなんなのか? 気になったので辞書を引いてみた。

1:速やかな対応が必要とされる重大な事態の発生
2:大規模な災害や騒乱などが発生し、治安上の差し迫った危険が存在する状態

なるへそ… ということは、コロナ禍においては上記「2」を特に指し示していたことになるのか。「1」に関してはポジティブな事態にも使われるため、危険がテマネキの意味オンリーで使われるものではない… ということをひとまず理解するのである。

だとしたら、今日(こんにち)から遡ること45年前の日本にも、ソレとおぼしき事態が発生していたのではなかろうか? この件を語り継ぐためにも、ペンを粛々と走らせることにした次第なのである。

何が起こったか… の詳細は後ほど説明することにして、まずは楽曲の解説から始めることにしよう。

ピンク・レディーのセカンドシングル「S・O・S」


ピンク・レディーの「S・O・S」は、1976年11月25日に発売された、デビュー曲「ペッパー警部」に続くシングル第2弾である。出だしこそ辛酸を舐めた「ペッパー警部」は、あかぬけ一番なキンキラキンのド派手衣装に身を包んだ「新宿音楽祭」への出場をキッカケに波に乗り始め、ヒットチャート上で “風雲のぼり竜” 状態となった。「S・O・S」が発売された時点で、すでに8位に到達していたのである。

世間では「ペッパー警部」+ピンク・レディーというトピックでザワつき始めていた時期であり、「S・O・S」という新曲の存在よりも「ペッパー警部」の方に話題が集中していたと記憶する。かくいう幼き日の筆者も、「ペッパー警部」のレコード欲しさに母親と連れだったレコード店内にて「S・O・S」のレコードが掲示されていた光景は記憶に残す。が、すでにテレビで見聞きし話題になっていた「ペッパー警部」の方に触手を伸ばす結果と相成ったのである。すなわち、8月後半デビューというハンデをモノともせず、メディアへの積極的な露出や音楽賞レースへの参戦、更には子供やヤング層間での口コミにより火が点き始めた「ペッパー警部」の、その裏で隠れ気味になっていたのが「S・O・S」だったと言えようか。

そもそも、「S・O・S」は楽曲として「ペッパー警部」との比較でどうなのだろうか?

曲調は、インパクトありきだった後者とはうって変わったアイドル路線。どこかしらキャンディーズっぽさも漂わせ、「ハート泥棒」あたりの作風に近いと言える。

阿久悠×都倉俊一「ペッパー警部」とリンクする「S・O・S」


 男は狼なのよ 気をつけなさい
 年頃になったなら つつしみなさい
 羊の顔していても 心の中は
 狼が牙をむく そういうものよ

歌詞には狼や羊、はたまた乙女をキャラクターとして登場させ、メルヘンチックで可愛らしい世界観を描いてみせた。注射や連発銃、殺す等のいぶかしげな言葉が飛び出す「ペッパー警部」とは相反するのである。共通している点と言えば…

1:作家陣はデビュー曲同様、阿久悠&都倉俊一コンビ
… であり、フリツケに関しては…
2:「ペッパー警部」の大股開きを、横向きにしてイントロ部分で継承
… といったトコロ。

レコード音源に関しても、デビュー曲同様でミイちゃん(※当時の表記は "ミー" ですが、以下ミイ)ボイスが音量大きめに設定されている。

が…諸君よ、待ちたまえ!「なんだこの程度か、やっぱりな」と早合点してはならぬ。なぜなら…

・年頃の若いムスメに対して、良識あるオトナがお小言を申し渡す
… というモチーフで通底しているからである。そう、可愛いフリをしつつも、「ペッパー警部」とちゃっかりリンクしているのが「S・O・S」なのだ。

ミイ&ケイが抱いた不安…


この曲が2枚目だと知らされたミイ&ケイは、はじめて聴かされた感想としてこんな風に答えている。

「この曲で大丈夫なのかしら」

いわゆる、不安に慄いた状態と言える。「ペッパー警部」については、デビュー曲であることも相まってか、あまりの衝撃に震えが止まらなかったという2人。が、「S・O・S」に関しては…

 S・O・S S・O・S ほらほら呼んでいるわ
 今日もまた誰か 乙女のピンチ

だけど不安を感じちゃう… 女の子だもん。嗚呼、乙女のピンチそのもの? いや、おそらく「S・O・S」の可愛らしい曲調から、よくありがちなアイドル歌謡として鳴り響いてしまったのかもしれない。ケイちゃんに至っては、B面曲「ピンクの林檎」の方がお気に入りだったとも振り返るのだ。

デビュー当初はゲテモノとこき下ろされ、視聴者からは「若いムスメが股をパカパカするなど下品極まりない」等のクレームも寄せられたピンク・レディーのこと。すでに高校を卒業、歌の世界で成功するしか選択肢が残されていなかったミイ&ケイにとって、「ペッパー警部」の一発屋として終わるのだけは勘弁だったに違いない。

が、ピンク陣営は「ペッパー警部」の勢いに水を差す失態はしでかさなかった。なんと、ソレを見越した仕掛けをきちんと用意したのである。

放送禁止? 2つ存在するレコード番号


トトト ツーツーツー トトト…

これは、楽曲冒頭でまことしやかに鳴るモールス信号の音である。

「話題作りとして、イントロにシンセサイザーで作った “SOS” のモールス信号のような効果音を入れようということになったのです」

―― と振り返るのは、当時レコーディングディレクターを務めた飯田久彦氏。このいたずらを仕掛けた盤をあえてラジオ番組でオンエアしたところ、局側から苦言を申し立てられ、「冒頭部分はもちろんカット、放送禁止扱いだ!」とザワつかせる事態へと発展したのである。

元々の構想としては、常識を踏まえた上で、市販盤にはモールス信号を収録しない予定だったとのこと。この騒動は新聞までもが飛びつき大きな話題として扱われたのである。コレは曲調がややおとなしめだった「S・O・S」の話題作りを目論んだという陣営の思い通り、してやったりの結果になったと言える。「S・O・S」の盤に、「SV-6128」と「TLP-3002」という2つのレコード番号が存在する理由、実はコレに他ならないのである。

 このひとだけは 大丈夫だなんて
 うっかり信じたら
 駄目 駄目 あー駄目駄目よ

いや、信じていいでしょ! 頭脳明晰で優秀なチームだがな。が、あくまでもピンク・レディーというモンスターが巨大化しすぎて制御不能に陥るまで… の話になるけれど。「ソレ褒めすぎ!」と眉をしかめるかもしれないご一同様向けとして、念のため申し添えてしておくことにしよう。

「S・O・S」が打ち立てた記録


ミイ&ケイが抱いた不安をよそに、「S・O・S」は陣営の仕掛けも功を奏しバズった。発売早々42位へ初登場するや否や、28位→19位→18位→15位→8位→6位→3位→2位と上り続け、11週目となる2月14日付のバレンタインデーに1位へ躍り出たのである。

先行の「ペッパー警部」も10位に留まっており、2曲同時10位以内のチャートインという快挙! ここがまさしく、ピンク・レディー連続1位快進撃のスタート地点と相成ったのである。

1977年 1位獲得週数:28週 / 52週中
1977年 年間ベスト10:4曲(「渚のシンドバッド」「ウォンテッド」「カルメン '77」「S・O・S」)
1978年 1位獲得週:31週 / 52週中
1978年 年間ベスト10:4曲(「UFO」「サウスポー」「モンスター」1-3位独占、「透明人間」)

ブームが最高潮に達した1977年12月19日あたりからの数か月においては、シングル「UFO」とLP『ベストヒットアルバム』の両方で10週連続1位をキープ、カセットテープ「Perfection」にて連続13週間、同8トラ版で連続10週間、1位の座を4部門にまたがり独占し続けたという凄まじい記録も打ち立てたのだ。

全ての世代を飲み込んだ社会現象に!


このような様相を呈すことは、1976年晩秋以降の動きを見ても明らかだった。その頃から「ペッパー警部」を口ずさむ子供たちが現れ出し、年が明け3学期が始まると教室内はピンク・レディーの話題でもちきりに。先生も手をこまねくほどに、猫も杓子もミイ&ケイのことが好き! すき! とおっぱじめたのである。

なにせブラウン管の向こうにいたのは、超ミニスカという出で立ちなのにいやらしさのカケラすらない、最上級にチャーミングなお姉さん2人! すでにこの時点で子供たちが吸い寄せられ始め、その兆候はナノレベルどころではなかったと記憶するのである。

ここから向こう2年に渡り狂乱は続くことになるのだが、運動会やお楽しみ会の出し物としてピンク・レディーを提案する先生がいたというのも、これまた事実でアリマシテ。若年層のみならず、大人やお年寄りを含んだ全世代を渦に巻き込み、社会現象を巻き起こしたのがピンク・レディーブームの特徴だ。コレも一種の緊急事態!? と判じられるのではなかろうか。

「ピンク・レディー来たる!」公開録音で街は大パニック!?


この頃、とある街にラジオ番組の公録としてピンク・レディーがやって来た。「S・O・S」が発売された少し後くらいのことであり、前述したブームの夜明け前といった候である。その街に、家族揃ってお出かけの最中だった幼少時の筆者は、凄まじい光景を目撃したのである。

会場は、とあるデパートの決して広いとは言えない屋上スペース。「ピンク・レディー来たる!」の報を聞きつけた人々が、血眼になり会場めがけて突進したことで街は大パニックに陥ったのである。幼き筆者の背丈よりもウンと大きな人々が、ドシンドシンと轟音を鳴り響かせての大突進。ソレは地鳴りにも似た、こじんまりした街ひとつグラつかせるほどの衝撃だったのだ。

デパート周辺は、我先に屋上へ上がろうとする群衆でごった返し、おしくらまんじゅう状態の修羅場と化しているではないか! コレぞまさしく緊急事態S・O・S!? すなわち、「速やかな対応が必要とされる重大な事態の発生」そのもの。ピンク陣営にとっては嬉しい反響だったかもしれないが、治安上の差し迫った危険も存在した、真の緊急事態だったと言える。無力な小学生だった筆者は「ミイ&ケイを見たい!」という願いも空しく、安全確保のため泣く泣く諦めることを説得させられたのである。

 昔のひとが いうことみたいだと
 ぼんやりきいてたら
 駄目 駄目 あー駄目駄目よ

そうですよそうですよ… 当時を知らない世代の方々にも共有しておきたい、昭和のあの日に起きた出来事であるからして。まぁ、こうしてつらつらと書き連ねると、昭和の昔話ばかりする悪癖がまたもやぶり返すのがオチなのだから、嫌われないようにせねばと悔い改める所存でアリマシテ。駄目 駄目 あー駄目駄目よ、とまとめあげてコラムを〆たいと思うのである(笑)。

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2022.06.20
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カタリベ
1968年生まれ
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