2022年 7月27日

増田惠子インタビュー ② 極寒の雪山で水着姿になった激動のピンク・レディー時代

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増田惠子のアルバム「そして、ここから…[40th Anniversary Platinum Album]がリリースされた日
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増田惠子「そして、ここから...」歌手としての多彩な魅力が味わえるソロ40周年アルバム

増田惠子インタビュー ① 40周年アルバムのテーマは “アンチ・アンチエイジング”

増田惠子インタビュー ③ たゆまぬ挑戦を続けるケイちゃんの「今」と「未来図」

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『増田惠子インタビュー ① 40周年アルバムのテーマは “アンチ・アンチエイジング”』からのつづき

社会現象となったピンク・レディーのデビューから45年、中島みゆきから提供された「すずめ」でのソロデビューから40年。その間にフランスデビューを果たすなど、歌手として着実にキャリアを重ねてきた増田惠子のソロ40周年記念アルバム『そして、ここから…[40th Anniversary Platinum Album]』が7月27日にリリースされた。豪華作家陣による新曲5曲を含む同アルバムは、ソロ名義で発表した全シングル表題曲に加え、ピンク・レディー時代のソロ音源も網羅されたアニバーサリー企画にふさわしい内容。9月2日の誕生日には記念公演『増田惠子40th Anniversary & Birthday Live“そして、ここから…”』の開催が決定するなど、いつにも増して精力的な活動を展開中だ。その “ケイちゃん” へのロングインタビュー。第2回はピンク・レディー時代から現在まで、もうすぐ46年となるキャリアを振り返ってもらう。

「そして、ここから…」に収録されたナンバーを振り返る


― 最新アルバム『そして、ここから…』にはピンク・レディー時代に音盤化されたソロ歌唱曲がスタジオ音源で2曲、ライブ音源で8曲網羅されています。古巣のビクターならではの企画と言えますが、ご自身はこの選曲をどう受け止めていますか。

増田惠子(以下、増田):当時から応援してくださっているコアなファンは別として、多くの方はソロでも歌っていたことをご存じないと思うんです。だから今回、自分のアルバムで若い時代の歌声をお届けできるのが嬉しくて。特にライブ音源がこういう形でまとまるのは初めてのことですから、自分でもワクワクしました(笑)。



― 最初のソロ音源はファーストアルバム『ペッパー警部』(1977年)に収録された「インスピレーション」(作詞:阿久悠、作曲:都倉俊一、編曲:いしだかつのり)。実はデビュー直後からソロでも歌われていたんですよね。

増田:そうなんです。ミイも私も最初はソロ歌手を志望していて、ヤマハのオーディション(1973年)を個別で受けて合格していたくらいですから、お互いソロでも歌わせてもらえると知ったときは「え、いいんですか?」って喜んで。「インスピレーション」は自分にとって初めてのオリジナル曲ですから本当に嬉しかったし、都倉先生が「ちょっと平山三紀(現・平山みき)風にすれた感じで歌ってみようか」とか、いろんな注文を付けてくださったのも楽しかったんですよね。私は昔からレコーディングが大好きで、しかもいろいろ言われた方が燃えるタイプなんです(笑)。

― チャレンジ精神の塊なんですね、ケイさんは(笑)。今回のライブ音源に関して言うと、コンサートのソロコーナーで披露された新旧の洋楽が多数収められています。

増田:特に初期のコンサートは持ち歌が少なかったので、ほとんどが洋楽。歌う曲はすべて相馬さん(所属事務所の制作部長だった相馬一比古氏)が決めていました。ソロに関しては、衣装を替えるとき、2人とも引っ込んじゃうとステージに誰もいなくなっちゃうから、着替えのためにそれぞれ何曲かステージで歌っていたんです。それはデビューの頃から変わりませんでしたね。

ロック系の洋楽で自分を表現できることが嬉しい


― ケイさんはロック系の洋楽を歌うことが多くて、20歳前後とは思えぬソウルフルな歌唱に毎回圧倒されました。

増田:私も今回久々に聴き直したのですが、我ながらパワフルでカッコいいなぁと(笑)。とはいえ音程やリズムがよくなかったりする部分もたくさんあって、今聴くと気になるんですけど、当時はその瞬間を生きることに精いっぱいだったんですよね。特にこの齢になると、青春真っ只中で必死に走り続けていた自分が愛おしくて愛おしくて。ピンク・レディー時代からお世話になっている川原さん(音楽プロデューサーの川原伸司氏)からは「昔のケイちゃんは絶望的な声だった」と言われましたが、その声は激動の日々を生きていたあの時代だけのもの。のどかで幸せな生活を送っている今の私には出せません。だからあの頃の自分に挑戦する気もないし「もう降参!」という感じですね。

― 寝る間もない忙しさのなか、持ち歌以外の歌詞をこれだけ覚えるのは大変だったのでは。

増田:「ホテル・カリフォルニア」にしても「朝日のあたる家」にしても、カッコいい曲ばかりを歌わせてもらえていましたから、大変だと感じたことはないですね。寧ろそういう曲で自分を表現できることが嬉しくて「絶対にきちんと覚えて歌いたい」と思っていました。

― 改めて聴いてみて、特に気になったライブ音源はありますか。

増田:後楽園球場で歌った「チェインド・トゥ・ユア・ラブ」。あのパフォーマンスは自分を超越した魂の叫びというか、ロックアーティストみたいで大好きです。動画サイトに映像があるので、そちらも観ていただけたら嬉しいな。

「すずめ」でソロデビュー。歌うときの心構えは?




― ピンク・レディーとして歌うときとソロで歌うとき、歌い方や心構えは異なるものでしょうか。

増田:それはもう全然違います。ミイと歌うときは2人でピンク・レディーの声を作るんです。私たちは声質が全く異なるので、お互いの声の間に自分の声を嵌めていくっていうのかな。そこで倍音を作ってユニゾンやハーモニーを厚くしていくんです。でもソロのときは誰かに合わせるのではなく、自分の歌いたいように自分の想いを表現する。どちらも私にとっては楽しい作業です。

― 一世を風靡したピンク・レディーは4年7ヶ月で解散。ケイさんはその8ヶ月後に「すずめ」(作詞・作曲:中島みゆき)でソロデビューを果たします。歌って踊ったデュオ時代とは一転、切ない曲をしっとりと歌う姿は大きなインパクトがありました。

増田:あえてイメージチェンジを図ったわけではないんです。解散後にお世話になった事務所の方から「ケイちゃん、ソロデビュー曲はどんな人に書いてもらいたい?」って訊かれたときに、ダメもとで「大好きな中島みゆきさんに書いていただけたら…」と言ったら、ありがたいことに実現して。私のために書き下ろしてくださった作品ですから、きっとあの歌に重なるイメージが当時の私にはあったのでしょうね。それまで歌ったことのないタイプの曲で、「どう歌えばいいだろう」と最初は悩みましたけど、大好きなレコーディングにじっくり取り組めたのも嬉しい経験でした。

― その「すずめ」は特に女性の支持を集めてヒットしました。

増田:楽曲づくりに自分の意見を出したことも初めてでしたけど、有線放送などを回る大プロモーションを展開したのも初めて。それがヒットに結びついたことはすごく嬉しかったし、私にとって運命的な作品になりました。自分が今あるのは「すずめ」のおかげだと感謝しています。

フランスでもデビュー、そして女優としても活躍




― その後もユーミン、竹内まりやさん、桑田佳祐さんなど、シンガーソングライターの作品を中心にリリースを重ねたケイさんは1989年、フランスデビューも果たします。

増田:ピンク・レディー時代に仕事でパリを訪れたときからフランスには惹かれていたんです。セーヌ川の畔を歩いていたら、流れがすごく速いところと、藻があってゆっくり流れているところがあってね。それを見て「今の自分は激流の中にいるけれども、いつかゆったり流れるときも来る。それまでは頑張ろう」と思えたときから心が落ち着く場所になりました。フランス語の響きも好きで、いつかシャンソンやフレンチポップスを歌ってみたいと思っていたのですが、思わぬ形でチャンスが訪れて。初めて歌声を耳にしたときから憧れていたパトリシア・カース(フランスのポップスシンガー)の制作スタッフの方たちとお会いしたら、とんとん拍子に話が進んでアルバムを制作することができたんです。ピンク・レディーのときはアメリカでデビューしましたけど、フランスでもデビューできるなんて思ってもいなかったので、このときは嬉しいサプライズでしたね。

― ケイさんは音楽活動の一方で女優としても活躍。特に90年代はあまたのドラマや映画に出演されています。

増田:映画を撮影しているときだったかなぁ? あるカメラマンさんに「ケイちゃんさぁ、こんな辛い仕事をしなくても、歌を1回歌えばいいギャラをもらえるでしょう? 歌っていた方がいいんじゃない?」って言われたことがあるんです。その言葉がズキッと響いて「そうか、片手間にやっているように見えるんだ。きっと芝居が下手だと思われているんだろうな」と。それから歌のお仕事は少し休んで本格的にお芝居だけをやってみようと思ったんですよね。でも何年かして「歌っていない自分は自分じゃないな」と。もちろんお芝居も好きなんですけど、「歌いたい」という気持ちが募って音楽活動を再開しました。振り返ると、数年間お芝居に没頭したことで、歌を演じることが多少はできるようになったと思うし、自分自身の歌に対する想いを確認することもできた。今も情熱を持って歌えているのはあの時期があったからだと考えると人生で無駄なことは1つもないなと。齢を重ねると、そう思うことがたくさんありますね。

― ケイさんのお話を伺っていると、齢を重ねるのは素敵なことだと勇気が湧いてきます。言葉の端々から窺えるポジティブさとバイタリティは、壮絶なピンク・レディー時代を乗り越えたケイさんだからこそ持ち合わせているのかもしれませんね。

増田:私ね、ソロになってから「これは大変だ」とか「もうやってられない!」と思った仕事は1つもないの。たとえばドラマのお仕事で睡眠時間がなかったり、寒いところで撮影しなくてはいけなかったりして、周りの皆さんが疲弊していても私は平気。ピンク・レディーとしてデビューした頃は雪山で私たちだけが水着姿で、カメラマンさんはみんな防寒着という現場もありましたから、それに比べたらなんでもないし、過酷な条件をみんなで分かち合えるなら寧ろ楽しく思えるんですよね。

「解散やめ!」からのメモリアルコンサートは大盛況




― 働き方改革やコンプライアンスが叫ばれる昨今、ピンク・レディーのような忙しさに追われるタレントさんは二度と出てこないと思います。そのピンク・レディーはいくたびかの期間限定の再結成を経て、2010年に「解散やめ!」を宣言。ファンを歓喜させました。

増田:解散の原因はたくさんあるのですが、その1つに私のプライベートなことがあって。それを言えないまま解散しましたから、皆さんに対してずっと申し訳ないという想いがありました。その気持ちから解放されたのは2003年から2年間限定で開催された『ピンク・レディー メモリアルコンサート』です。

― 全国100ヶ所で200公演を実施したツアーですね。

増田:ええ。当時は40代半ばで1日2回公演をこなすのは相当きついスケジュールでしたけど、お話をいただいたとき「これはチャンスかもしれない」と。自分の身体を酷使することで禊というか、皆さんへの償いにしたかったんです。『あこがれ』(2004年)という本で解散の真相を書いたのもその時期でしたね。

― ツアーは大盛況。ピンク・レディーの衣装を自前で用意して、客席で一緒に歌って踊るという新しい文化が誕生しました。

増田:嬉しかったですねぇ。どの会場でも総立ちで私たちを迎えてくださって、かつて子供だった方たちが幸せそうな顔をして一緒に歌って踊っている。最初の4年7ヶ月にはなかった現象でしたから「これはすごいプレゼントだな」と。そんな素敵な光景を1日2回もステージから見ることができて、涙が出るほど感動したし、「ここまでやってきてよかった」と心から思いました。

― 当時の歌謡曲、特にアイドルポップスは一過性のものと思われていましたが、ピンク・レディーは時の洗礼を受けても色褪せず、多くの人に愛され続けています。

増田:私自身も当事者でありながら、かつては「消えていくものだ」と思っていました。でも何度かの再結成や、その2年間のツアー、そして2011年の『INNOVATIONツアー』を通じて、皆さんが「ピンク・レディーはすごい!」って思ってくれたのだとしたら、これほど嬉しいことはありません。いつも「昔の再現では意味がない。やる以上は昔を超えたパフォーマンスをお見せしたい」と思ってやってきたので。

― 2017年と2018年の日本レコード大賞でも、お二人の圧巻のパフォーマンスに魅了されました。

増田:年々ハードルは高くなりますが(笑)、齢を重ねて昔を超えたパフォーマンスができたことはミイにも感謝だし、自分の身体にも感謝。その経験がまた自分の自信になって素敵な人生を送れているなぁと実感しています。

(取材・構成 / 濱口英樹)

 
最終回は、常に新しいことに挑み、進化し続けるソロシンガー・増田惠子の “今の想い” と “野望” についてお聞きします。

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2022.07.30
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