かつて、一人のアイドルがいた。
14歳で、アイドルオーディション番組『スター誕生!』に出場して優勝。華々しくデビューを飾るや、その年の『輝く! 日本レコード大賞』の最優秀新人賞を受賞し、一躍トップアイドルへ駆け上がる。以後、その天真爛漫なキャラクターを生かして歌にテレビにグラビアと、大活躍。3年目にはオリコン1位を獲得、その年の女性歌手の最高セールスにも輝いた。
ところが――
4年目の後半あたりから、彼女のレコードセールスに陰りが見え始める。外的要因は2つあった。1つは、デビュー以来、ライバルと呼ばれたアイドルで親友の確変である。
もう1つは、彗星のごとく現れた新人女性デュオの旋風だった。しかも、彼女たちとはレコード会社も作詞家も同じ。ローティーンの女性がメインというファン層まで被っていた。
セールスの停滞は、天真爛漫な少女の表情にも影を差す。そんな時、デビュー以来、彼女を音楽面で支えたディレクターが交代する。新しい担当は、流れを変えようと、一人の女性アーティストに楽曲の制作を依頼した。
新曲は、久しぶりのスマッシュヒット。少女は人気を盛り返し、そればかりか同曲は彼女の新たな一面を引き出し、次なるステージへ誘うキッカケとなる。
シングルのタイトルは「しあわせ芝居」、作詞・作曲は中島みゆき、歌うは桜田淳子――。
少々、前置きが長くなったが、今日11月5日は、今から41年前の1977年に、かの楽曲がリリースされた日である。
話は少しばかり、さかのぼる。
「しあわせ芝居」が登場する前年の1976年6月、淳子のライバルであり、親友の山口百恵の「横須賀ストーリー」がリリースされる。作詞・阿木燿子、作曲・宇崎竜童。2人の起用は百恵自身の指名だったという。同曲はいわば彼女のソウルソング。これを機に大人たちの操り人形から脱皮、“ディーヴァ” として新たな山口百恵像を確立していく。
その2ヶ月後の同年8月、今度は淳子と同じレコード会社のビクター音楽産業(当時)からピンク・レディーがデビューする。シングル「ペッパー警部」はいきなり60万枚の大ヒット。作詞は淳子をデビュー以来支える阿久悠で、作曲は都倉俊一。その人気はすさまじく、シングル2曲目以降、オリコン1位を重ねていく。ファン層の中心は、淳子と同じくローティーンの女性たちだった。
彼女のレコードセールスに陰りが見え始めるのは、この時期である。百恵に “脱・アイドル” 化で先を越され、肝心のアイドル人気も後輩のピンク・レディー旋風の前に霞んでしまう。当時、彼女のファンだった僕自身、「淳子はもう終わりかなぁ」と小学生ながらに思ったくらいだ。何せ休み時間、クラスの女子は全員、ピンク・レディーの歌マネに夢中だった。
淳子を音楽面で支えた初代ディレクター谷田郷士氏から、2代目ディレクター笹井一臣氏へバトンタッチされるのは、このタイミングである。時に、デビュー5年目の1977年夏――。
笹井Dは、当時の淳子の表情の変化を見逃さなかった。周囲は相変わらず、彼女に天真爛漫路線を求めていたものの、淳子自身はアイドルを演じるのに疲れているように見えた。彼はそんな彼女の “翳り” を歌にできないかと考えた。
「淳子の内面をエグってください」
笹井Dが、内省的な淳子を引き出すためにアプローチした相手が、当時新進気鋭のアーティストの中島みゆきだった。
75年に「アザミ嬢のララバイ」でデビューし、次のシングルの「時代」で一躍ブレイク。76年には研ナオコに楽曲提供した「あばよ」がヒットし、笹井Dが訪ねてきた77年秋は、後に自身初のオリコン1位となる「わかれうた」をリリースしたばかりだった。
ここで奇跡が起きる。当時のインタビューで、中島みゆきはこう答えている。「桜田淳子さんに影響を受けています」―― そう、彼女は既に淳子の “変化” に気づいていた。内省的な曲を作る自身と共鳴する何かを、淳子の中に見出していた。そして完成した楽曲が、桜田淳子の21枚目のシングル「しあわせ芝居」である。
泣きながら電話をかければ
馬鹿な奴だとなだめてくれる
眠りたくない気分の夜は
物語を聞かせてくれる
その歌は、一人のヒロインの私小説の体で進む。彼女には思いを募らせる、年上とおぼしき男性がいる。彼は、彼女の喜怒哀楽をいつもやさしく受け止めてくれた。2人は思い合う仲なのだろうか。
とてもわがままな私に
とてもあの人は優しい
たぶんまわりの誰よりも
とてもあの人は優しい
だが―― この曲を歌う淳子は、何か淡々としている。ヒロインを演じてはいるが、情感たっぷりに歌い上げるのとは違う。そう、曲を聴いている人たちがヒロインに自分を投影できるよう、敢えて感情を抑えているのだ。表面上は軽やかに歌う、高度なテクニックである。
奇しくも、淳子と同じく中島みゆきから何度か楽曲提供を受けた研ナオコも、あるインタビューで同じ趣旨の発言をしている。「みゆきさんの曲は、テクニックで歌うと伝わらないんです。10ある感情のうち、2しか自分の思いは込めず、8は聴いている人に委ねます」――。
そして、同曲はサビを迎える。
淳子の “芝居” の真骨頂は、ここでもいかんなく発揮される。敢えて感情を抑えたリフレインのフレーズが、聴く者の思いを容赦なく揺さぶるのだ。
恋人がいます 恋人がいます
心のページに綴りたい
恋人がいます 恋人がいます
けれど綴れない訳がある
ここで、物語は急展開を見せる。それまで淡々と恋心を綴っていたヒロインが、ハタとある事実に気づく。
私みんな気づいてしまった
しあわせ芝居の舞台裏
電話してるのは私だけ
あの人から来る事はない
そう、全ては彼女の一方的な “しあわせ芝居” だった―― というオチ。ここへ来て、聴く者は一転、悲恋の谷に突き落とされる。劇的なアンチ・クライマックスだが、不思議と僕らファンにはマイナスの感情はなかった。
なぜ?
歌のヒロインと、淳子が重なって見えたからである。深読みすれば―― これまでずっと天真爛漫なアイドルを期待され、“しあわせ芝居” を続けてきた淳子が、ようやく重い鎧を脱ぎ捨て、本来の自分に目覚めた、とも――
今思えば、それは桜田淳子第二章「女優編」のプロローグだった。
かつて山口百恵が「横須賀ストーリー」でディーヴァに目覚めたように、淳子も同曲をキッカケに、次のステージへと歩み始めたのだ。
彼女が、ミュージカル『アニーよ銃をとれ』に初主演し、史上最年少で芸術祭優秀賞を受賞するのは、この3年後である。
2018.11.05
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