80年代終わり。バブル景気の真っ只中。大学生の就活は売り手市場で、会社の説明会にいくだけで交通費と称してそれなりの金額が貰えたなどという話もよく聞いた。
そして、DC ブランドにボディコンシャス。ドレスコードがあったマハラジャのようなディスコが象徴するようなギラギラしたバブル期―― これとはちょっと趣は違うが、音楽に夢中でストリートに根を生やした僕らにとっても、バブルというものはあった。
88年ぐらいか。当時、僕は大学に籍を置きながらも、グラビア雑誌や音楽誌なんかに原稿を書きながらのんびりと暮らしていた。そして、お金がなくなると、日雇いのバイトに出かけた。よくやっていたのがコンサートの設営。だいたい朝6時ぐらいに現地に集合して、コンサート会場へすべての PA を運び、鉄筋を組んでステージを作る。会場が動き出す午後3時ぐらいまでにすべてを終わせなくてはいけない。
夏には野外のイベントが多かった。炎天下、脱水症状寸前でめっちゃきつい仕事。当時、瓶で売られていたポカリスエットの500mlを一気飲みしながら実労7時間ぐらいで確か3万円ぐらいもらえたように記憶している。そんな突発的な仕事も口コミでいっぱいあった。
原稿書きの仕事も、僕のような若者を面白がってくれる、かっこいい大人がたくさんいた。みんな自由で身軽でおおらかだった。だから、頭の中の思いをすぐにカタチにできた。
「いま、〇〇が新しいんですよ!」
「じゃあウチで書いてみる?」
そんなノリが多かった。経験のない若者でも遊びがすぐ仕事に繋がった。雑誌が最先端の情報を発信していた時代。それが僕のバブル期。自分のセンス次第でなんにでもなれると思っていた。こんな時代がずっと続くんだと誰もが思っていたはずだ。
夢は叶うもの―― そう信じて疑わなかったバブル期を思い出す、とっておきの1曲がある。GO-BANG’S(以下、ゴーバンズ)の「スペシャル・ボーイフレンド」だ。強がりな女のコの目線でお互いの夢を叶えるために別れましょうと歌う。ちょっぴり切ない歌詞はこんな風にエンディングを迎える。
あなたの夢が叶った時に
きっとどこかで見ているから
スペシャル・ボーイフレンド
大切に愛し合ったこと
スペシャル・ボーイフレンド
ずっと忘れないでいようね。
スペシャル・ボーイフレンド
クライマックスは
スペクタクルな MY BOYFRIEND
お互いの夢が叶うという揺るぎない信念を大前提に別れを切り出す。何年か先を見据えたクライマックス。この信念の大きさが計り知れない愛情だなって伝わってくる。
そんな森若ちゃんの歌詞は、時代の熱と共に当時、物凄くリアリティを感じた。僕らの歌だと思った。そして当時、20年後、30年後この歌をどのように噛みしめるのかなぁなんてぼんやりと考えてもいた。今聴くと時を越えてあの頃の甘酸っぱさが一瞬で蘇る。
ロッカーズや ARB が大好きなゴーバンズのメンバーは僕にとってもすごく身近な存在だった。彼女たちの音楽は、セックス・ピストルズや博多のめんたいロックにポップでカラフルな色を添えたような… 女のコにしかできない、女のコのロックンロール。それが決して嫌味ではなかった。等身大の彼女たちの音楽だったと思う。当時人気だったファッション雑誌『CUTiE』には毎月、森若ちゃんに憧れたクラブキッズが大勢載っていた。
そして、ゴーバンズは次の4枚目のシングル「あいにきてI・NEED・YOU!」でオリコン第2位の大ブレイクを果たす。つまり、この曲まで彼女たちは僕らのとっておきのバンドだったわけだ。
当時よく遊んでいた下北沢や高円寺で。ライブハウスの階段や、場末の居酒屋で。ハタチそこそこの僕は、どんな大風呂敷を広げて、どんな夢を語っていたのか、はっきりと覚えていない。ただ、「十年たっても二十年経っても今と同じ感覚で音楽を聴けたらなぁ」なんて、熱っぽく語っていたことだけが、こっぱずかしくも記憶の片隅に残っている。
―― なんにでもなれると信じて疑わなかった80年代の終わり。そんなあの頃の根拠のない自信が、僕にとっては今に繋がるバブルの恩恵だ。
そしてあの頃、森若ちゃんに憧れていたとびっきりキュートな女のコたちが、今も「スペシャル・ボーイフレンド」を思い出すのか、ちょっとばかり気掛かりではある。
歌詞引用:
スペシャル・ボーイフレンド / ゴーバンズ
2018.08.19
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