5月21日

フレンチポップスの雄、奇才ミッシェル・ポルナレフが放った新たなスタンダード

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ミッシェル・ポルナレフのアルバム「カーマ・スートラ」が日本でリリースされた日
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2000年代に日本でリバイバル、ミッシェル・ポルナレフ


突然だが、漫画『ジョジョの奇妙な冒険』の登場人物ジャン=ピエール・ポルナレフの名前の由来になったのが、今回取り上げる70年代フレンチポップスの雄、ミッシェル・ポルナレフである。そのポルナレフの名前が日本で再び聞かれるようになったのは2000年代に入ってからだった。

1969年のシングルで日本でも大ヒットした「シェリーに口づけ(Tout, tout pour ma cherie)」が携帯電話や車、シャンプーや飲料のCMソングや、2002年サッカーワールドカップの応援歌や、2003年のドラマ『ウォーターボーイズ』でのシンクロナイズドスイミングの音楽として立て続けに使用され、一気にお茶の間に馴染んだ。

2000年4月26日には「シェリーに口づけ」のシングルと、同名のベスト盤が同時リリースされたが、それを遡ること10年前の1990年5月21日、ポルナレフは日本で秘かにアルバムをリリースしていた。5年振りのオリジナルアルバム『カーマ・スートラ』であった。

お馴染みのヒット曲「シェリーに口づけ」「愛の休日」


70年代、ミッシェル・ポルナレフは日本で2曲のシングルをトップ10に送り込んだ。「シェリーに口づけ」は1971年にシングルで再発され最高6位を記録。翌1972年には「愛の休日(Holidays)」がやはり6位まで達している。

オフコースは1974年のライヴ盤『秋ゆく街で ⁄ オフ・コース・ライヴ・イン・コンサート』の洋楽メドレーの中で「愛の休日」をカヴァーしている。松任谷由実もこの曲の俯瞰の目線の歌詞に衝撃と影響を受けたことを認めている。日本のポップスにも確かに爪痕を残していたのだ。

カーリーヘアに四角くて白い縁の濃い色のサングラスという独特のルックス、ファルセットを多用したヴォーカルに抜群の腕前のピアノ、隠遁やヌードのポスター等数多くの奇行、ここまで奇才という言葉が相応しいアーティストはなかなかいないのではないか。70年代半ばに自らの責任ではない脱税の疑いをかけられポルナレフはフランスを離れ、アメリカに拠点を置くようになり活動もペースダウンする。

80年代は前半に『シャボンの中の青い恋(Bulles)』と『アンコグニート(Incognito)』の2枚のオリジナルアルバムをリリースしただけだったポルナレフの、90年代初にして唯一のオリジナルアルバムが、フランスで2月23日にリリースされた『カーマ・スートラ』であった。

90年代唯一のオリジナルアルバム「カーマ・スートラ」


アルバムタイトルは、インドの性典から採られた同名の曲(4曲め)から付けられているが、この曲も含めアルバムはラヴソングが多いもののさほどセクシャルではない。その中では3曲めの「トワ・エ・モワ」がエイズの脅威の中での恋愛を歌っていて、最も際どい内容かもしれない。

共同プロデューサーに、シャーデーも手がけたことのあるベン・ローガンを迎え、打ちこみのドラムも導入し、その音は90年代の幕開けに相応しいコンテンポラリーなものだった。ちなみに2曲めと5曲めではマイク・オールドフィールドがギターを弾いている。

そして曲のヴァリエーションの豊かさも健在だった。シングルにもなった5曲め「エルナ・ホ」と6曲め「刺青のように(Comme Un Tatouage)」はラテンのパーカッション、リズムを大胆に導入。一方アルバムタイトル曲や、8曲めで最後の曲「カプセル入りの愛(Amour Cachets)」は、ポルナレフ節とも呼べる、70年代から変わらぬロマンに溢れたフレンチポップスのバラードであった。

ニック・ケイヴもカヴァー 先行シングル「グッドバイ・マリルー」


そしてバラードと言えばもう1曲、このアルバムから先行シングルとして1989年6月にフランスでリリースされた、アルバム7曲めの「グッドバイ・マリルー」を忘れるわけにはいくまい。このアルバムを代表する1曲であり、引いては寡作であったが80年代~90年代のポルナレフを代表する1曲と言ってしまっても過言ではあるまい。

タイトルからして別れの歌かと思いきや、この曲はフランスでのインターネットの前身 “ミニテル” での通信での恋愛を歌っていて、マリルーも架空の名前、“Goodbye Marylou” も何かのコードや合図の様なものなのだ。そもそもこの文言自体、明らかに1961年のリッキー・ネルソンのヒット曲「ハロー・メリー・ルー(Hello Mary Lou)」(ジーン・ピットニー作)へのオマージュである。

歌詞に書かれているのは現代的なドライでヴァーチャルな恋愛なのに、あたかも失恋の歌の如く胸に迫ってくるのはひとえにその劇的なメロディー、そしてサビでの大胆なファルセットである。大仰と言えば大仰なのだが、一方歌詞は徹底してドライな俯瞰の目線。このアンバランスさ、レンジの広さは、まさに奇才ポルナレフの魅力なのではないか。別れの歌として聞いてしまってもいい包容力こそがこの曲を名曲たらしめていると思う。ぜひ一度、耳を傾けて頂きたい

ちなみにこの曲が1999年にニック・ケイヴによってカヴァーされていることを今回原稿を書くなかで初めて知った。

2007年、28年振り(!)にポルナレフがツアーを行うというので、僕は生まれて初めて彼を観るためフランスのリヨンまで渡航した。『カーマ・スートラ』から17年が経っていたが、まだこのアルバムが最新作だった。

コンサート本編最後という重要な位置で「グッドバイ・マリルー」が登場。観客の歓声も高かった。サビのファルセット、最後の部分は観客に託され大合唱となった。フランスのファンがこの曲を愛していることがひしひしと伝わってきた。

その後2016年のツアーでも「グッドバイ・マリルー」と「カーマ・スートラ」が歌われた。この時点でもまだ『カーマ・スートラ』は最新作だったのである。それから2年後の2018年、遂にポルナレフは28年振りのオリジナルアルバムを発表した。その名は『Enfin !』(遂に!)。このアルバムの日本盤は未だリリースされていない。

2020.05.21
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  YouTube /  Michel Polnareff
 

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