応援ソング全盛期に放たれた、小泉今日子「月のひとしずく」
とにかく、歌いだしの歌詞のインパクトに尽きる。
「人にまかせて僕らは行こう 人にまかせた人生だから」
この「月ひとしずく」を初めて聴いた時、随分振り切ったことを言っているなぁ~、とびっくりした。なぜなら、この頃の日本の音楽シーンと言えば、ZARDの「負けないで」に代表されるような、夢や勇気といったコトバが溢れた応援ソング真っ盛りの時期だったからだ。
80年代後半から90年代にかけて大衆の支持を集めていたのは、岡村孝子「夢をあきらめないで」、KANの「愛は勝つ」、大事MANブラザーズバンドの「それが大事」、岡本真夜の「TOMORROW」など、ポジティブに聴き手の背中を押してくれるような曲の数々。そんな中で「人にまかせて僕らは行こう」っていう真逆のメッセージがぶっこまれてきたのには、背後から不意打ちのキックを食らったような衝撃を受けた。
百歩譲って、頑張れ一辺倒ではない「ありのままでいい」とか「そのままの君でいい」ようなメッセージソングも、当時あるにはあったとは思う。しかし「人にまかせて僕らは行こう」なんて、ここまで言っちゃうようなのは無かった。
ただ、この放蕩無頼とも思えるようなこのメッセージが、その後意外にも10年20年と私の心の奥の方に住みついて、長きに渡って自分の気持ちをラクにしてくれる、そんな私の “お薬” のような曲になった。今回はそうした感謝の気持ちを込めて、このコラムを書こうと思う。
作詞は井上陽水と奥田民生と小泉今日子。奥田民生の歌詞に感じる植木等イズム
「月ひとしずく」は、1994年11月、小泉今日子本人も出演したTBS系ドラマ『僕が彼女に、借金をした理由。』の主題歌としてリリース。
作詞・作曲のクレジットを見ると、作詞が「井上陽水・奥田民生・小泉今日子」、作曲が「井上陽水・奥田民生」の共作となっているのだが、この曲、曲の前半が奥田民生、後半が井上陽水によって書かれていることが、本人達によって明かされている。これはもう、一聴すれば「あ~、前半民生で後半陽水だな」と判るくらい、ハッキリそうだと判る。
確かに、なんとなく奥田民生という存在自体に「悠々自適に、好きな時に起きて、好きな時に食べて…」そんなイメージがある。そう考えると彼らしい詞なのかな~、とも思う。また、奥田民生は自身の音楽ルーツについて「ビートルズと植木等」と発言していたこともあり、そういわれてみると確かに、「こつこつやる奴ァごくろうさん!」と歌った、植木等の「無責任一代男」の影響は大いに感じられる。
この2年後に、奥田民生は、彼自身の代名詞的ナンバーともなった「イージ㋴ー☆ライダー」で、泰然自若とした調子で自らの30代へのユルい決意を歌いあげることになるが、同学年の小泉今日子に提供したこの「月ひとしずく」も、言わんとしていた根っこの部分には共通性がありそうだ。もしかしたら、この「月ひとしずく」は、「イージ㋴ー☆ライダー」のプロトタイプになっていた曲なのかもしれない。
辛い時こそ脳内再生! 心に沁みる緩やかな歌詞と心地良いサウンド
さて、冒頭で私はこの曲を「気持ちをラクにしてくれたお薬のような曲」と書いたが、こんな私でも20代~30代の頃にかけて、色々と責任がツラくなったり、疲弊していた時期があって、そうした状況下で耳に入ってくる「負けないで」とか「それが大事」といった応援ソングは、逆に精神的に自分自身を追いつめることがあった。
そんな中、この「月ひとしずく」の緩やかな歌詞と心地良いサウンドは、私の心にジワジワと浸透し、やがて “辛いときに脳内再生させる曲” のトップに位置づけられるようになった。キョンキョンが「人にまかせて行こう」って言ってるんだから、もう、それでいいじゃん! となったのだ。自分ひとり位抜けたって、社会も会社も回るじゃないかと。
脳内再生したくなる時間帯はいつも、仕事に疲れ切ってトボトボと帰路につく夜だった。見上げる空にポツンと佇む月が “綺麗” だと意識できるうちはまだ大丈夫だ、と自分に言い聞かせたりして。
この曲がリリースされた1994年時点では、過重労働などはあまり社会的にもクローズアップされていなかったが、過労死するくらいなら「人にまかせて行こう」ってのは、ある意味「頑張れ」って言うよりも深い真理だと思う。時には「やりたくない事をやめる勇気」も必要だろう。もし今、変な責任を負わされてがんじがらめになっている人が居たら、この曲を口ずさんで、是非元気を取り戻して欲しいと願う。
黒柳徹子も見抜いていた、小泉今日子が古くならない理由
ところで、先日放送された『NHK MUSIC SPECIAL 小泉今日子』で、黒柳徹子が、ザ・ベストテンに出演していた当時の彼女についてこう語っていた。
「しっかりした目で周りを見ている。賢い子だなと思いました。頭がいいんでしょうね」
―― やはり黒柳徹子はその頃から彼女のことをきちんと見抜いていたようだ。
そう。小泉今日子が40年経っても古くならないのは、黒柳徹子が言うように、かわいいアイドルであり続けながらも、こうした “地に足についた人間性” を失わずに歩んできたからなのだろう。よく考えたら、90年代「人にまかせて行こう」と歌った彼女に比べ、むしろ、いまだに「負けないで」とマラソン走者を頑張らせ続けている24時間テレビのほうが、時代の中で古びてきている気すらする。
折しも、先述の『NHK MUSIC SPECIAL 小泉今日子』の中で、芸能界同期の本木雅弘からは、「小泉さんらしく新しい老人の在り方を提案して欲しい」との発言があったけれど、間違いなく言えるのは、10年後も20年後も、小泉今日子は陳腐化しないだろうということ。“潮流に流されず本質を押さえている人” の存在価値は目減りしないのだなぁ… と、彼女を見ていてつくづく思う。
それはまるで、いつの時代でも変わらず夜空に綺麗に佇んでいる、ひとしずくの月のよう。そして、私の心の中にはいつまでも、この「月ひとしずく」という普遍的名曲が佇んでいるのだ。
40周年☆小泉今日子!
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2022.03.25